Search

  毎日にもっと楽~を! BLOG Tokyo

2005年11月18日

母上がやってきた。2

日本から見るジャマイカ。ジャマイカから見るジャマイカ。観光地はジャマイカの一部でしかなく、観光地と観光地の間は、間違いなく発展途上国なのである。そういったところも見てもらいたくて隊員の居る学校や、自分の学校に連れて行った。自分には、「もう」きれいなホテルや町並にしか見えなくても、日本から来た母には「きれい」には写らなかったらしい。

自分の家に一泊してもらった。運が悪く、断水・停電で要らぬ心配をさせてしまった。断水後、ちょろちょろっとでた僅かな水道水をペットボトル入れる自分の姿を見て、目を真っ赤にしていた母を忘れられない。「住めば都」と何度も言い聞かせたけど、やっぱり日本から見るとかなり悲惨な光景に写って仕方ないみたいだ。


自分ひとりで生きていくために強く生きていこうと心に誓って22歳で親元を離れて東京へ。転職をした時期が一番厳しく、それを乗り越えるために、自分の中にある「弱さ」や「センチメンタル」を封印して30歳になった。仕事の忙しい時は、職場と家の往復だけの毎日でかなり無機的な生活を送っていたかも知れない。協力隊でジャマイカに来て、楽しい協力隊の仲間や職場のジャマイカ人に囲まれて、生活が有機的になっていたのかもしれない。柄でもないけど、母に逢えて嬉しかった。母の友人が母を連れてきてくれて嬉かった。母上ご一行にジャマイカを最大限満喫してもらうため、協力隊の仲間が最大限のサポートをしてくれて嬉しかった。たった4日間だったけど、ジャマイカに来て一番嬉しかった。転職のときに封印した「弱さ」や「センチ」が母の来ジャマイカで飛び出しちゃったのかなぁ。母とその友達が北海道の言葉で話をして、持ってきてくれた日本食を食べて、そのやさしさに触れて。マジで柄でもないけど、母上ご一行がジャマイカを出国した後、切なさが爆発して、残り8ヶ月ちょっとなげーなぁとか、早く北海道に帰りたいなぁとか思ってしまった。こういうのってノスタルジーって言うんだろうな。まぁ、そういうことを気づかしてくれたのは、ジャマイカでの生活、協力隊生活なわけで、、、
あと8ヶ月の間に日本では経験できないことがもっといっぱいあるに違いない。(あるといいなぁ)


ミスチルのcandyを聞きながら書きました。



Bookmark and Share


編集長のおすすめの一冊!2010

comments

comment form

(BLOG Tokyo にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form