2008年7月15日
シルクロードをゆく 6 - ウルムチ
シルクロードに想いを馳せる旅行者にとって、ウルムチは高層ビルが立ち並び、彼らの想像するそれとは違うと地球の歩き方あった。しかし、旅行初日からバリバリのシルクロード突入は、日本で生活する自分にとって正直ツライ。徐々に慣れてゆっくり楽しみたい方なので、ウルムチが都会だからといって、むしろ心地よかった。それでいて、一歩生活区に足を踏み入れると、そこからはシルクロードの香りがほんのりと漂う。
ウルムチでは、中国語は通じるが、看板がウイグル語なのが興味深い。
ウルムチの歴史
ウルムチ うるむち /烏魯木斉ウルムチとはモンゴル語で「美しい牧場」を意味する。古く漢代には車師(しゃし)後国の中心であり、また唐代の庭州、北庭都護府もこの近くにあった。現在の町の歴史は比較的新しく、1755年、清(しん)朝がジュンガル王国征服のために、ここに軍営を設け城塞(じょうさい)を築いたことから始まる。当時ここに紅色の垣をもつ関帝廟(かんていびょう)がつくられたことから紅廟子ともよばれた。最初ここに天山東部(東路)を監督する烏魯木斉 (ウルムチ)都統が置かれた。1773年ウルムチは迪化(てきか)州と改められ、この地方の交易、交通の中心として発展した。1882年、準部、回部が新疆省として再編成されるとその省都となり、迪化府となった。解放後の1953年ウルムチ市となり、さらに57年新疆省が新疆ウイグル自治区となると、自治区人民委員会が置かれた。63年にはハミからの鉄道も通じ、蘭新(らんしん)鉄道が完成した。
出典:Japan Knowledge
- by editor
- at 23:01
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