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  毎日にもっと楽~を! BLOG Tokyo

2008年8月 2日

シルクロードをゆく 13 - 灼熱のトルファン

北京オリンピックで観光客が全然来ないらしく、閑散としている。道路は工事中が多く、観光地といった雰囲気は一切ない。バスターミナルから歩いてホテルへ向かった。一応トルファン市内の最高級ホテルを予約したのだが、客が全然居ない。そして、水道からは赤い水が。錆びているのだ。これは、ひょっとして間違った旅程を組んでしまったのかと若干凹んだ。しかし、実際はトルファンを後にする頃には、気に入ってしまうのだが、それは今回以降のエントリーで紹介したい。

とはいえ、初めてトルファンに足を踏み入れた印象は、あまりよくない。暑い、ものすごく暑い。その上、廃れている。ホテルの部屋に閉じこもりたい気分になるが、ホテルの部屋もあまりよくない。お腹が空いたので、ご飯を食べに行きたいが、暑いので面倒くさい。まだ、トルファン観光の手配もしていないので、それもやらなくてはいけないという煩わしさと観光地を巡らなければならないという、義務感に似た葛藤があった。結局単純な自分は、お腹が空いていただけで、近くの中華料理屋に行って小料理を食べたら速攻で元気が出た。


ホテルのフロントにある温度表。2泊3日滞在したが、この数字が変わることはなかった。一番暑い夕方の5時6時は41度以上あるのではないだろうか。

ご飯を食べて元気が出たので、午後は車をチャーターして遺跡めぐりに出かけた。単なるツアーではなく、運転手ごとチャーターするのでツアーより高い(二日間で一台350元(約5250円))が、自分たちの都合で見て回れるので、オススメだ。ちなみに遺跡の入場料は含まれていない。自分たちの都合で見て回れるのだが、ある程度ルートが決まっており、行きたいと告げた以外のところも勝手に連れて行かれる。余計なことはやめて頂きたいのだが、あとで思えば行って良かったなと思えてくる。観光客というのは優柔不断なものなのだ。

【蘇公塔】もその一つ。日差しが真上から容赦なく照りつける。あちぃ。

トゥルファン
とぅるふぁん /吐魯番

中国、新疆(しんきょう)ウイグル自治区の東部、天山山脈南麓(なんろく)にある地域、およびその主邑(しゅゆう)の名。地域名としてのトゥルファンは、東部天山のボグド連山と南のクルク・タグとの間に広がる盆地をさす。北から南に緩やかな傾斜をなし、その最低部は海面下150メートルに達する。降水量が極端に少なく、炎暑の地として名高く、豊饒(ほうじょう)ではあるが水が乏しいので、カレーズとよばれる地下水路による灌漑(かんがい)が行われている。この地は古くから東西交渉路上の要地として、またオアシス農耕地帯と北方のステップ遊牧地帯との接点として著名であり、そのために周辺諸勢力の動向に左右された複雑な歴史をもっている。すでに紀元前2世紀の中国の記録『史記』には、この地に車師王国の存在を伝え、以降、遊牧勢力や中国の諸王朝の支配を受けたが、ときには高昌(こうしょう)国などの土着的王朝も成立している。9世紀には新たにトルコ系ウイグル人が移入して、地域住民はトルコ語を用いるようになり、彼らは西ウイグル王国を建てた。18世紀に清(しん)に征服され現在に至っている。
 都市名としてのトゥルファンは、10世紀にすでに盆地内の新しい町として存在したが、その地方の代表的都市になるのは15世紀のことである。とくに清朝の治下で、新疆北部および南部と、中国内地とを結ぶ拠点都市として重要視され、発展した。南疆鉄道もトゥルファンを始発点としている。現在、盆地内の1市2県(吐魯番市、善(ピチエン)県、托克遜(トクスン)県)で吐魯番地区を編成しているが、トゥルファン市はその主邑で、人口24万3811。

出典: 日本大百科全書







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