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  毎日にもっと楽~を! BLOG Tokyo

2008年8月 7日

シルクロードをゆく 16 - 火焔山と西遊記

トルファンには火焔山という観光名所があり、西遊記のゆかりの地でもあるそうだ。なので、西遊記の石像が火焔山付近ではたくさんある。正直言って、火焔山と聞いてもピンと来ないし、西遊記をテレビで見ていたのは25年前なので、全く思い出せない。

西遊記
さいゆうき

(内容)

玄奘は五行山下の悟空を救い出して旅に出る。途中で白馬となった竜を乗り物にして進み、人間の家に婿入りしていた豚の化け物、猪八戒(ちょはっかい)を従者に加える。次に、流沙(りゅうさ)河で河に潜む沙悟浄も従者とする。こうして一行は、九九八十一難(くくはちじゅういちなん)に遭い、さまざまの妖怪 (ようかい)と戦う。金角・銀角を瓢(ふくべ)の中に吸い込み、羅刹女(らせつにょ)・牛魔王から芭蕉扇(ばしょうせん)をだまし取って火焔山(かえんざん)の炎を鎮め、無事西方の楽土にたどり着く。そして経文を携えて都に帰った一行はみごとに成仏する

出典: 日本大百科全書

名前を聞くと、ドラゴンボールにも出てくるので親しみはある。まぁとにかく凄まじい火焔に囲まれてそれを消せるのが、「芭蕉扇」ということで、悟空が扇をもって火を消す石像が多いのだ。


火焔山は見た目が、炎のように見えるのでそう命名されたそうだ。

西遊記
さいゆうき

中国、明(みん)代に完成した長編の口語体章回小説。『三国志演義』『水滸伝(すいこでん)』『金瓶梅(きんぺいばい)』とともに、いわゆる「四大奇書」の一つ。
成立


 唐の太宗のとき、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が国禁を犯して出国、困難を克服してインドに取経旅行した史実は、唐代に早くも伝説化された。南宋(なんそう)に至ると、講談の台本とみられる、短く素朴なストーリー性をもつ『大唐三蔵取経詩話』が現れ、孫悟空(そんごくう)が猴行者(こうぎょうじゃ)、沙悟浄(さごじょう)が深沙神(しんしゃしん)として登場する。そのほか、壁画、詩、戯曲などに伝承された断片的な説話が、元末になってほぼ骨格の整った『西遊記』となる。朝鮮に伝わる『朴通事諺解(ぼくつうじげんかい)』、明(みん)の百科全書『永楽大典(えいらくたいてん)』は、そのころの物語の断片を存する。これが現行の形に大きく近づくのは、明の中葉に成った『西遊釈尼(しゃくに)(厄(やく))伝』によってである。従来の物語を集大成し、大幅に肉づけしたとされる『釈尼伝』自体は現存せず、編者も不明であるが、概要は、1592年(万暦20)に金陵(きんりょう)の世徳堂が刊行した『西遊記』(世本)などに伝わり、ここで『西遊記』はいちおうの完成をみる。その後、清(しん)代康煕(こうき)年間(1662~1722)には、陳士斌(ちんしひん)評の『西遊真詮(しんせん)』(1696)も刊行された。
 著者は明の文人呉承恩(ごしょうおん)という通説があるのは、『淮安府志(わいなんふし)』の記述などに拠(よ)るものだが、成立の過程をみてもわかるように、1人の人間がある時期に書き上げたものではなく、長い間に多くの人の手を経て成った書である。呉承恩がなんらかの形でかかわった可能性はあるが、著者とはいえない。

出典:日本大百科全書





香港スターに西遊記

中国四大古典のひとつ「西遊記」を、香港オールスターキャストによりVFXとワイヤーワークを駆使して描くアクションアドベンチャー第7弾。旅も佳境を迎え、仲間の絆も深まる中、一行の行く手には最強の敵・火焔道人が待ち受けていた。




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