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  毎日にもっと楽~を! BLOG Tokyo

2008年8月27日

シルクロードをゆく 22 - 敦煌石窟:莫高窟(ばっこうくつ)

莫高窟(ばっこうくつ)にやってきた。「敦煌」という映画も見て、イメージを高めていた。ここ敦煌で大規模の造形が何世紀にも渡って、そして現在まで、権力の地図が変わっても大切にされてきたことそれ自体奇跡にも思えてくる。

壁画や仏像には穏やかな表情のものが多い。かつて敦煌の政情は不安定で侵略など厳しい状況にさらされた民衆の祈りのようなものが伝わってくる。

映画「敦煌」で活動的な主人公が莫高窟(ばっこうくつ)の中で、シンミリするシーンが印象的で、それが経典を守ろうとするモチベーションになったのかなと思いを巡らせた。




入場料の180元(2,700円)には、外国語通訳ガイド料も含まれ、なんと日本語を話せるガイドさんがついてくれるのだ。ガイドなんて要らないと思うかもしれないが、絵心も仏教美術も知らない人は必ずつけた方がいいだろう。石窟の中は暗いので、ポイントを絞って鑑賞するには、ガイドさんの助けが必要だ。ちなみに英語のガイドは多いようだが、英語の仏教用語と日本語は若干ニュアンスが異なるのかもしれない。

ガイドさんの日本語の穏やかさも印象的だった。

敦煌石窟
とんこうせっくつ

中国、甘粛(かんしゅく)省敦煌県城の南東20キロメートル、大泉河に臨む鳴沙山(めいさざん)の断崖(だんがい)に営まれた石窟寺院で、莫高窟(ばっこうくつ)(千仏洞)ともよばれる。1987年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。南北約2キロメートルにわたって486個を数える窟院が、2段、3段、4段と層をなして並んでいる。唐の碑文によると、石窟の開削は前秦(しん)の366年(建元2)楽(らくそん)の創建とされるが、現存する最古の窟としては北涼(ほくりょう)窟があり、その後、北魏(ぎ)、西魏、北周、隋(ずい)、唐、さらに元代にまで及んでいる。河岸の断崖に窟院を営む寺院形式は古くインドに始まり、西域(せいいき)を経て中国へと流行したが、これほど大規模で長期にわたって造営された例はない。
 岩質が礫岩(れきがん)でもろいために、塑像と壁画を発達させることとなった。壁画の保存状況は良好で、初期のものは仏伝図(ぶつでんず)、本生図(ほんじょうず)が多く、画風は西域的。やがて維摩経変(ゆいまきょうへん)、法華経変(ほけきょうへん)、阿弥陀浄土変(あみだじょうどへん)など、中原(ちゅうげん)の影響を色濃く反映するようになる。現存する石窟のうち唐窟が約半数を占めるが、異彩を放っている北大仏も、南大仏も、ともに唐代の造営である。中国政府の手で着々と修理計画が進められており、壁画の模写、図像の研究など、その成果にはみるべきものがある。

出典:日本大百科全書

石窟内は撮影禁止で残念ながら掲載できない。下記のサイトでじっくり鑑賞できる。
nhk BSで面白そうな番組が放送中である。



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