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  毎日にもっと楽~を! BLOG Tokyo

2009年5月14日

世界の芸術文化政策 芸術=時空を超えた存在との出会い

放送大で「世界の芸術文化政策」を受講している。第1章の芸術文化政策原論を受講して興味深かったことである。

授業は、「優れた芸術作品と出会った時、我々は時空を超えた思いをすることがある」という冒頭で始まる。

..このように、芸術作品を通じて、過去に生きた人々や、架空の世界に生きる人々と思いを一つにするとき、いつしか日常の瑣事(サジ)から解放され、時空を超えて、何かしらの永遠の世界に憩う。そうした体験を通じて、我々は、我々が生きている意味、我々が生きていくことの意義を見出す。芸術には、人間の実存と関わる何か深い真実が潜んでいるように思われる。

僕は、この部分を読んで、2008年後期にとった「発達心理学特論」の授業を思い出した。それは、「人はパンのみにいきるのではない」というフレーズだ。創造力こそに我々が生きていくことの意義を見出すのではないだろうか。優れた音楽を聴く、小説を読む、映画を観る、彫刻や絵画をみる、演劇をみる、など、これらを生み出した芸術家たちはまさしく天才で尊敬して止まないが、僕のような一般人は、彼ら天才達の芸術作品を通じて、創造力に触れることができる、コミュニケーションがとることが出来るのだ。そのような場を提供してくれるのが美術館であったり、博物館であったり、映画館であったり、コンサートホールでとてもありがたい話だといまさらながらに感謝の念が沸いてくる。

一方現代は、コミュニケーションの場が箱物から電波やインターネット、CD・DVDなどあらゆるメディアで享受できるようになった。芸術というものが一国のアイデンティティであった(たとえば漫画は日本の文化だというような)が、いまや文化は国境を越えボーダレス化し(アメリカでドラゴンボールが映画化されたりとか)、これまでの芸術・文化が一国のアイデンティティだったというクラシックな概念からかけ離れたところまできている。(見失ってはいないと思うが)

メディアの技術革新により、日常の生活の中に「美的」イメージ、ロゴ、商品パッケージ、宣伝広告など、かつてないほどの美的経験を積める時代となった。このような背景において、これまで蓄積された「芸術文化」保護するだけではなく、現代におけるあたらしい「芸術文化」を創出しようとするとき、我々はあらためて、我々の時代の「芸術」とはなんであり「文化」とはなんなのかを、根本から反省してみる必要がある

と締めくくられた。おそらくこの議論が現代人にとっての生きる意義や明日への糧になるのではないだろうか。



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