2011年3月10日
チャリティマラソンのその後。寄付先を訪問しました。
みんなに支えられ、伊豆戸田マラソン、無事完走しました。それは10月末で約2ヶ月の月日が過ぎました12月中旬に長野県上田市を訪問。侍学園はこのチャリティマラソンの寄附先の団体だ。そこで現場の責任者の方とこれまでの経緯や今後の再興プランなどについてお話を頂きました。
侍学園は民間の教育施設で、今の公教育では補うことが出来ないものを与えてくれる場所、「生きることを学べる場所」を求めて幅広い年齢層の学生さんが集まっています。
それから生徒さんの前で一言僕からお話する時間を頂きました。突然だったので何の話をしていいのか迷いましたが、「走ることについて」話してみようと思いました。
僕はなぜ走ったのか。それは友達のためでした。友達は重い病気と闘い36歳という若さでこの世を去りました。
僕と彼の違いは何だったんだろう。
僕じゃなかったのは運だけなのだろうか。
僕だったらどうしただろう。いくら考えても自分じゃない誰かを思うことそれを経験したものでなければその痛みや悲しみを分かち合うことはできません。悲しいけどそれが現実です。そして同情して見せても、泣いてみても他人の僕らの時計の針が進むのは早い。残酷なほどに。だとしたら、時計の針が進んでしまう前にできることはないか、自分らしくできることは何か考えました。そして責任を持ちたかった。日本で一番厳しいコースの42キロという長いフルマラソンにエントリーしたのはそういう理由です。とにかく厳しいレースを走りたかった。自分を限界に追いこんでそこで出会う弱い自分と対峙しそして友人に思いを馳せよう、そう決心し、迷いが生じないように友達にチャレンジを宣言しました。もっと責任を重くするためにさらに寄附までお願いした。それは自分のためでも、友人のためでもない、「今を一生懸命生きたい」人たちのための寄附です。
フルマラソンは正直何度もきつくて歩こうか、投げ出しそうになったけど、何のためのチャレンジか、友人のため、そしてこのチャレンジに賛同してくれた方々の思いが後押しになって最後まで歯を食いしばって歩を前に進めました。ゴールした時は「やった」でも万歳でもなく「足りてない」という湧き上がる思い。もう走る体力は当然なく、だったらもう一回行ってこいよ言われたらシンドイんだがどうしても「足りない」、満たされなかった。
走りきったことで何か得られたか。何も得られなかった。ただ走ったという事実だけ。
12月に寄附先に行き、それから1月に故人の実家で線香をあげて来ました。
走ってよかった、と寒い冬空の帰り道そう思いました。
- by editor
- at 19:26
編集長のおすすめの一冊!2010
comments