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2006年1月25日

キューバに思いを馳せる

弟が持ってきた本にチェゲバラの本があった。最近再評価されだしているみたいで、キューバにも行ってみたかったので一読した。

チェゲバラ、熱いっす。

簡単に言うとチェゲバラはアメリカの帝国主義(軍事力を背景に自国の民族主義、宗教、文化、経済の拡大と同時に新たな領土、天然資源を獲得すること)に猛烈に対抗し続けた革命家なんだけど、世界最大の軍事・経済国アメリカに反発するのは難しい。日本なんかは原子爆弾を2発打ち込まれていても、やはりアメリカの言いなりにならざるを得ない事情から見てもその困難さは想像しやすいと思う。

チェゲバラは、そんなアメリカの支配の中貧困で苦しみ農民たちを救うためフィデル・カストロとともにキューバ革命を成功させた。どれだけ貧困だったかというと一部の大地主ががっぽり儲けて、小作農は住む家すらないという状況だったらしく、病気に苦しむ家畜に打つ注射があっても小作農に打つ注射はなかったようだ。革命後の目標は農地改革をして大地主の一人勝ちを是正しようとするが、当然損をするのは大地主。その中の多くはアメリカさん側の人間なのでアメリカは猛烈に大反対。アメリカによる経済的制裁などによりキューバは革命後も経済的に厳しい状況が続いているようだ。
*キューバの主要輸出品目はサトウキビでその多くをアメリカが購入していたため、アメリカがそれを買わなくなると売り上げが激減してしまうという構図。特にこの地域はハリケーンなどもあって農作物に自国経済を頼っているため(モノカルチャ)、経済的に安定させるのは難しい。

この本をきっかけで中南米の歴史をざっと追うことができた。アメリカを毛嫌いするジャマイカ人が多い。彼らが毛嫌いする理由はあまり論理的なものが少ないが、とにかく嫌いみたいだ。最初のころはその意味がよくわからなかったが、スペインに占領され、その後イギリスの支配下になった。アメリカが直ぐ北方に控え、巨大プランテーションを展開している。意識の片隅に奴隷時代から一部の白人に経済を搾取されてきたという思いがあるんだと思う。

ポートランドへ

Porty2006-01-23_02.jpgポートアントニオに行けば、やっぱりロブスターレストランかな?


Porty2006-01-23_06.jpg翌日は映画カクテルの撮影現場になったリーチフォールへ。公式には閉鎖になっていて進入しようとすると阻止される。それを振り切って前進するとリーチフォールに達する。途中の道はまるでジャングルのようだ。
リーチフォールは単なる滝なんだけど、公式には閉鎖しているのになぜかガイドが居て案内してくれる。水が透明で崖から飛び降りたり、洞窟をくぐったりとジャマイカ最大のアトラクション・ダンズリバーよりもエキサイティングだった。
Porty2006-01-23_07.jpg
その帰りにロングベイというビーチへ。ピザがなかなかおいしいと評判で、実際ピザハットよりはおいしかった。
Porty2006-01-23_08.jpg
最終日はボストンベイのジャークポーク・センターへ。発祥の地と一応なっているので観光化されているが、味に大差はない感じがする。日曜の10時頃に行ってみたが、まだ始まっていなかった。
Porty2006-01-23_01.jpg

2006年1月24日

ちょっと乗せすぎかもよ(Bダッシュ)

Porty2006-01-23_04.jpgジャマイカ国内を安く旅行しようと思ったら必ずお世話になるのがルートタクシーバス。タクシーといっても普通の乗用車だし、バスといっても普通のワゴン車。どちらも特定のルート間のみを走行しており、それらを乗り継いで目的地を目指すのである。車には定員という言葉が存在しているが、ここでいうこれらの交通サービスにおいて、定員というのはどれだけ乗客を載せられるか、そういう意味になっている。安全とか快適とは関係ない。なので、途中乗車の人たちは当然立つことになるし、時にはハコノリ状態で、体が完全に車外にでているお客さんまでいる。

運転手さん、ちょっと乗せすぎかもよ。

やっぱボブマーリーかもよ(Bダッシュ)

Porty2006-01-23_03.jpgジャマイカといえばボブマーリー。キングストンと言ったらトレンチタウン。レゲエでジャマイカを結びつけると、すぐにこれらのキーワードが思い浮かんでも仕方がない。しかーっし、ジャマイカはそんな旅行者の夢をあっさりへこませる事件がいっぱい起こっているので要注意。注意しながら出会ったボブマーリ像との記念撮影はかなり嬉しい。

2006年1月23日

ロブスター・ブラザーズ見参(Vol.22)

LimeCay2006-01-22_02.jpg弟が海にやってきた。そうだぜ、ここはメイデンキー。


今日のカリブ海も絶好調。草根一本も生えない場所、メイデンキー。日差しが強烈過ぎるが、今日はビーチに寝そべりに着たんじゃないんだ、ロブスターを捕りにきたのさ。って意気込んでいたもののさっぱり見つからない。エースS君の話によると最近のこの辺りは小物しかいないというし、まさかゼロなんてことは。。。。
っと思ったら遠くで、「とったどーーーーーー」と叫ぶ声が。
「なぬ?」
LimeCay2006-01-22_03.jpg
ま、まさか、初ハンティングでいきなりのゲット。しかも面倒くさかったので、特に居場所とかを教えていなかったのに。ひょっとして天才か。。。いやいやいや、まぐれですよ。ぐれまー。
と思いきや、また遠くで叫ぶ声が。。。
「とったどーーーーーー」
なんと今度はお魚。手モリでは不可能といわれていた魚をゲット。こやつ、、只者ではない。

LimeCay2006-01-22_01.jpg
ともあれ、さっそくロブ鮨を披露。チームロブスターのスタメンのTazさんが、都合により来れないにもかかわらず、僕たちのために、鮨飯とお弁当を早起きして持たしてくれた。おかげで、本物のロブ鮨を食べさせてあげることができた。
弟:なんじゃー、このぷりぷり感は。感動したどーーーー。
ほんまTazさんのやさしさは天井しらずやでーーー。

若干時間があまったので、流木でモニュメントをつくって記念撮影。景色がいいと、どういう角度で写してもいい絵になるんだよなぁ。

今回で通算50匹に達したぜ!!目指せ100匹。
(This time 3, Total 51)
LimeCay2006-01-22_04.jpg
LimeCay2006-01-22_05.jpg

2006年1月15日

グループポリシーが適用できない 2

1ヶ月前は正常にグループポリシーが反映されていた。しかしある日突然、スクリーンセーバーが変更されていたり、IPアドレスを変更されていたりしていた。そう、生徒がコントロールパネルにアクセスしているのだ。

クライアントライセンスの設定が問題だと踏んでいたが、もっと簡単にトラブルシュートが完了した。(結局4時間くらいかかっちゃったけど。。)


4時間のトラブルシュートで2000serverのSP4をパッチしたり、2003Serverを試したりOSの問題から手をつけたが、どれも駄目。最悪はアクティブディレクトリの再設定かなーと思っていた。

何パターンも試すのが面倒だったため、どれが原因だったがわからないが、次のことをやったら解決できた。

1.IPアドレスの設定で、DNSの欄を固定で指定する。
2.一度ドメインから外す(ワークグループに参加)
3.また、もとのドメインに戻す。
(ノートンゴーバックをDISABLEにしておく)

なぜ突然コントロールを失ったのか。。。未だに原因不明。今後も同じようなトラブルに悩まされるんだろうな。

2006年1月14日

弟がやってきたぜ 2

弟がやってきた。ついて早々の強行日程。朝日がまぶしいぜ。S_Jamaica03_2006-01-16.jpg


1月11日
飛行機で1時間遅れ。入国審査では英語が全くわからずかなり苦戦。その日は首都にいる友達の家に泊めてもらう。友達はジャマイカンビール「レッドストライプ」出してくれたり、朝食を作ってくれたりして、ありがたかった。

1月12日
両替所でUSドルをジャマイカドルへ。それからスーパーで早くもおみあげを購入。コーヒーミルで一息してから自分の任地リンステッドへ。橋が工事中だったためスライゴビルという迂回路へ。通常キングストンから2時間もあれば到着するところを3時間近く要した。弟たちはジャマイカ人の狂気の運転にびっくりしていたようだ。なにせ、山道平均時速80キロでぶっとばすから。

1月13日
二人に同僚のカーク君を紹介。日本人好きのカークは大喜びで「中国人か?中国語を話すのか?」と質問攻め。日本人の弟が中国人になる彼の発想は理解しづらいよ。
午後にキングストンに移動してデボンハウスに行ってアイスを食べ、ホテルフォーシーズンに宿泊。弟たちは最後のお湯シャワーを満喫していた。その夕方ゲーセンに行き、弟の一人勝ち。あれはすごかった。

1月14日(長い一日)
S_Jamaica02_2006-01-16.jpgS_Jamaica04_2006-01-16.jpgS_Jamaica01_2006-01-16.jpg

2006年1月13日

弟がやってきたぜ。

母と同じトロント経由で弟がやってきた。全く英語がわからんかったというが、トロントで1泊しちゃんとやってきたんだからたいしたもんだ。リゾート地のジャマイカではなく、リアルジャマイカを体験できる体力と勇気が弟にはそなわっているので、とことん堪能してもらいましょう。弟の滞在期間は1ヶ月。この年になって弟とこういう時間を過ごせる自分は幸せ者である。とりあえず初日は「スラムダンク、それから10日後」の話で盛り上がった。

2006年1月11日

リンステッドにあのファーストフードが。。

「Comming soon」という看板を見てから1年と2ヶ月。ついに「マザーズ」というファーストフード店がリンステッドにオープンした。ここの「フルハウスパティ(レタストマトお肉のパイ)」がおいしいんだよなぁ。これで、KFC(ケンタッキー)、ジューシーパティズ、そしてマザーズ。中華もあるし。もう単なる片田舎とは言わせねぇぜ。マザーズがある片田舎と呼んでおくれ。ふふふ。ちなみに銀行は2つもあるぜ。

2006年1月 7日

チームロブスター2006始動(Vol.21)

2006年チームロブスターの幕開けの指令は、Taz隊員のお母さんにジャマイカの海老を堪能してもらうことである。天候は快晴とまではいかなかったが、エースS君の大活躍によりTaz隊員のお母さんは大満足の様子だった。喜んでもらえることはチームロブスターにとって光栄なことであり、とてもうれしい。

今回は、去年の3月にマイアミで買ったウエットスーツで潜ってみたが、かなりの浮力を浴びて大苦戦。たまたま大き目の海老を見つけれたので今回はかなりラッキーだった。ただ、この時期の水はかなり冷たいので、この保温効果は捨てがたい。あー、ロブ鮨はうまい。(This time 1, Total 48)
Lob2006-01-08_01.jpg

2006年1月 5日

プエルトリコに行ってきました。

PuerutoRico2005_07.JPG温暖で海はきれい、スペインの影響を受けた町並み、食文化。カフェでサングリアを飲み、石畳の街を散歩する。海風と太陽は時間が過ぎるのを忘れさせる。あっという間の4日間だった。

とにかく天気に恵まれ雲ひとつない青空とはこういう日をいうんだろうな。


caribbean.gifプエルトリコはジャマイカの隣の隣の島なんだけど、直通の飛行機がないため、一度マイアミ(米国)に行かないといけない。特にアメリカン航空を使う場合は、どこに行くにも、とにかくマイアミ。もう5回目だよ。

PuerutoRico2005_13.JPGプエルトリコは、もともとスペイン領だったが1898年の西米戦争でアメリカ
の領土になったようだ。現在は自由連合州という立場をとっている。通貨は
米ドル、公用語は英語とスペイン語だが、ほとんどの人がスペイン語のみを
用いて生活している。観光地ならほぼ英語が通じた。スペイン語しかしゃべらない
人より英語が下手という事実はかなりショックである。

プエルトリコ(PuerutoRico)の英訳はRichPortで、リッチな港という意味だ。
現在は、カリブ諸国の航空の港(ゲートウエイ)で、カリブの島国の人たちは
何処に行くにも、プエルトリコでワンストップするようだ。

人口 約400万人
首都 サンウアン
面積 9104平方キロメートル(377,835km(Japan),4,411km(Jamaica)

世界遺産のエルモロ要塞(El Morro)
和訳すると「The 岬」と和訳してはいけないなっと反省。スペイン軍が立てた難攻不落の
要塞エルモロ。今は年に200万人が訪れる観光地になり、1993年に世界遺産として認定された。
1587年に着工されたこの要塞。下から見ると押しつぶされそうな迫力、威圧感。
今から400年前の建物で、ここから大砲や岩石を海上に浮かぶ船に向かって打ちまくって
いたんだなぁ。
現在、エルモロ要塞の周りはきれいに芝生が敷かれ、のんびり昼寝をするカップルや
犬を連れて散歩する人、凧を上げて遊んでいる人など、素敵な公園となっている。
PuerutoRico2005_36.JPGPuerutoRico2005_18.JPGPuerutoRico2005_24.JPG
今回は聞くことは出来なかったが、サルサ音楽で有名らしくその業界では有名なミュージシャンを多く輩出しているらしい。ネットで調べたところ速攻で検索できたのが、
リッキーマーチン。ってサルサじゃないじゃん。その他、多くのメジャーリーガーを輩出。これもサルサじゃないよな。

年末年始だけにお店はほとんど閉まっているのかなと思ったが、意外と働き者。
31日も1日もほとんどオープンしていました。小さいけど一応花火もあがったし。
そして治安もかなり良い。また、交通の面でもバスのシステムがしっかりしている。
チップはアメリカと同じく15%。高いよな。ジャマイカには高級レストラン以外はない。

今回泊まったのはサンウアンにあるコンダード地区。ビーチへ徒歩3分の絶好のロケーションだった。
PuerutoRico2005_02.JPG