毎日にもっと楽~を! BLOG Tokyo

Search

Access Ranking

  1. 添付ファイルを一括保存する
  2. ジャークチキンの作り方
  3. アンケートフォームの作成
  4. このファイルを開けません..
  5. 複数のブックを一つにまとめる 1

2009年10月 6日

KTCに行ってきました。

KTCとは、ケンタッキーフライドチキンの略ではなく、KOMAGANE TRAINING CENTREの略で、「駒ヶ根青年海外協力隊訓練所」ことである。自分は2004.7~2006.4まで青年海外協力隊員としてジャマイカに派遣されていましたが、79日間の訓練は福島県二本松にある訓練所に過ごしました。英語圏に派遣される協力隊候補生は、その時の人数により基本は駒ヶ根だが、二本松で訓練を受けることもあるのだ。

僕の代はたまたま、二本松で、先輩も後輩も駒ヶ根だったので、駒ヶ根の訓練生活をよくよく聞かされていたため、一度自分でもいってみたいと思っていました。それが今回実現しました。

KOMAGANE Training centre

KTCに行ってきました。の続きを読む

2006年7月22日

ライフワークとしての国際協力

定職として国際協力の仕事を得るのは困難だ。いずれ家族をもったとき、大切な人を支えていくには結構不安な職業である。勝ち続けないと。。。
もっと気楽に、もっと楽しく国際協力に携わろういうのがライフワークとしての国際協力だ。定職は他に持ち、土日やプライベートな時間を使って国際協力をする。意外に通訳の仕事やツアーコンダクターの単発の仕事があるみたいだ。また国際交流の仕事は人との関わりがあって楽しいし、いろいろな文化の人と接することが出来る。元気をもらうことが可能なのだ。今の目標は自分の専門を磨きながら、誰でも出来ることをしっかり効率的にやり、プライベートな時間はライフワークとしての国際協力だ。いつかシニアボランティアかなんかで、再び国際協力の現場に戻れる日をめざして。(何年先の話?)

人生は長い旅のようなものだ。
人生はマラソンのようなものだ。
人生は競争ではない。
自分のペースで自分のゴールをめざせばいいのだ。
by 自分

2006年7月21日

誰でも出来ることを効率よく

今日は帰国研修の最終日、キャリアパス研修を受けてきた。協力隊帰国後、もっとも多い希望が国際機関で働きたいということらしいんだけど、たえば国連とかJICAとか。国際協力を仕事にするには、世界レベルの競争があって、最低限英語と修士号が必要なんだそうだ。高学歴っすよ。さらに仕事はよくても2年の契約期間で、常勤になれる人は少ないらしい。厳しい世界ですよ。ひねくれた目で見ると一番得をしているのは、発展途上国の人ではなく、国際開発教育をビジネスにしている大学院なんじゃないかと思うんだけど。修士号をとっても仕事がなけりゃ意味がないんじゃんって場合も多いらしい。それはさておき、国際機関で働くにはどういうキャリアが必要なのかなんていう質問がありましたが、実は様々らしく、また情勢によっても変化があるらしい。ただ、国際機関で日本人に求められているのは、誰でもできることを効率よくすることだそうだ。上司とかは途上国出身のエリートが多いらしく、そういう雑用的な仕事を嫌うらしい。なかなか重宝されるそうだ。自分の協力隊の仕事を振り返っても技術移転ばかりに目が行って雑用を嫌っていたが、日本人として、そういう仕事をやって信用を得ていくっていうことをしてもよかったかなぁとも思っている。(でももう1回チャンスが与えられてもあんまやりたくないな)

帰国して思うことは、日本人はよく働く。みんなちゃんと与えられた仕事をきちんとこなしている。特に専門性がなくたって、こういうことをきっちりみんなでやっているから日本は発展しているんだろうな。誰でもできることを効率よく仕事する。これが日本人に与えられた性であり、ストレスでもあり、ストロングポイントなのである。日本社会適合に向けて、頑張って仕事していこー。

2006年7月20日

帰国後の印象は?

日本に帰ってきて3日目の朝を迎えました。時差ぼけでボーっとしていてあんまり逆カルチャーショックはなかったんだけど、電車の中が静か。ラッシュ時に乗っていないので、本当はもっとうるさかったかもしれないが、ジャマイカから帰ってきたら異常に思える。あとは人の動きが早いかな。これは慣れだろうけど、ちょっとくらい遅れてもいいかなっていうのは通じないだろうなぁ。自分が遅れても他にも誰か遅れてるだろうっていうのがジャマイカでの感覚だったけどそうは問屋がおらさないだろう。職場復帰までもう少し時間があるのでちょっとつづ慣れていかないとな。

まだ携帯は買ってなくて昨日は携帯電話最新情報雑誌を買って何にするかわくわくしている。コンビにも特に驚きはなかってけど、やっぱりあったかいものを売っているのは新鮮で思わず1800円もお惣菜を買ってしまった。あと新札に入れ替わっていて、古いお札を出すのが結構はずかしい。

ジャマイカに居たとき、日本人の女の子はかわいい、白くてかわいいなんて聞いて、納得していたけどそんなことはやっぱり錯覚で、可愛い日本人の女の子はかわいいと、とても当たり前のことを再認識。日本人の女の子はおしゃれっていうのも、おしゃれの日本人の女の子はおしゃれということで、協力隊に派遣された女の子の大半は日本に帰ったらかわいく又はおしゃれになれると現実逃避しているようだが、そんなことはありません。よくて派遣前の自分に戻れるか、それよりガサツになっているか。。。おてんばかよっ!!なんて書いてしまったけど、途上国で日本にいたときのようなおしゃれをすることは不可能なんですよね。それ以外で魅力的な存在に、自分の内面を磨けば、日本に居たときより素敵な存在になっているはずです。(日本人にどう映るかわしりませんけど。。)

2006年7月19日

日本に着きました。

ながーい、ながーいフライトを経て、日本に上陸しました。いやーホントに疲れた。遠いなぁ。途中下車の話は暇なときにブログるとして、到着時のどんより雨模様は、「あー、日本に着いてしまった」という気持ちにさせてくれた。まぁ、純粋に2年ぶりの日本に対してただいまっていう思いもあったけど。

到着してから先輩のOzさんが上野まで迎えに来てくれて、それからなんとレッドストライプとお寿司、さらに、生姜焼き、なすとコンニャクの煮物、キャベツロールで歓迎してくれた。いやー奥さん料理うまいっすよ。久々の日本食をおなかいっぱい堪能しちゃいました。生姜焼きは激ウマ。明日からの普通の日本食でもいちいち感動してしまいそうでこわい。

オーストラリアを1年経験したOzさんのこの帰国者へのホスピタリティには頭があがりません。いやー持つべきものは友人ですよ。ジャマイカにいる友達の方々!帰ってくるときは連絡してね、もてなしますよ。

2006年7月12日

旅立ちの朝

明日、ついにジャマイカを発つ日がやってきた。最後は海に行くと決めていたので、やっぱりライムキーに行くことにした。あいにく波が高くロブスターは取れなかったけど天気がとてもよく、カリブ海を満喫できた。夜はポートロイヤルで魚料理を食べにいった。リッチにロブスターでも食べてやろうと思ったが、ロブスターはないと言われ、次にエビ料理を注文するとそれもないと言われ、じゃあ、チキンと言うとそれもなかった。ジャマイカではどれがないのと聞くより、どれがあるのと聞いたほうが早いことをてっきり忘れていた。メニューに書くなよな。

ついに旅立ちの朝がやってきた。朝5時にタクシーを頼んだが5時30になってもこない。あのー、飛行機は6時45分なんすけど。。タクシー会社に催促の電話をしてさらに10分ようやくタクシーがやってきた。結局入国審査は45分前。いやー最後までバタバタですよ。見送りに来てくれたみんな本当にありがとう。残りの任期を充実したものにしてください。

2006年7月11日

リンステッドを発つ日

2年間過ごしたリンステッドの家を旅立つ日がやってきた。ハリケーンで断水停電の7日間を過ごした家。
同僚が無断で押しかけてくる家。ワークショップの準備で隊員の仲間と夜遅くまで仕事して、朝まで飲み明かした家。
きれいにきれいに掃除する。最後に冷蔵庫の電源を止めたとき、この家の心臓が止まってしまった。もうこの家で夜を越すことはない。積まれたゴミがここで2年間自分が居たことを示すもののように物悲しく見えた。

職場に挨拶をする。みんなとりあえずI miss youといってくれる。学校から木製ジャマイカ地図を最後にもらった。もうパッキングしたあとだったので迷惑だったけど、開けてみたら結構りっぱだったので、日本に持って帰ることにした。学校のみんなありがとう。最後は技術移転ばかり考えてしまってイライラしたりしてしまったけど、もっと人と人との交流をしたらよかったなぁとちょっと後悔している。彼らも技術移転だけでなく、もっと自分と交流したかったんだなと感じた。最後だから単にやさしかっただけかもしれないけど。

2006年6月23日

魚をあげるか、釣りを教えるか

メインのプレゼンターを務めると何かと話をしなければならない。たとえばオープニングであったり、総評であったり。コンピュータの話をする分には困らないのだが、こういう挨拶系のは結構困るし、慣れが必要だ。日本でだってやったことはない。あらかじめカンペでも作っておけばいいんだけど、やらんでしょ、普通。で今回そういう挨拶をしてる最中にいい言葉が閃いたので、使ってみたら、ジャマ人の参加者は「似たような言葉がジーザスの言葉にもあるわ」なんて意外に好感触。もっとうまい語り手になりたいもんだ。

To give a man a fish and he will eat for today.

To teach a man to fish and he will eat everyday.

魚をあげれば、その人は今日は食べられるだろう。
釣りを教えてあげれば、その人は毎日食べられるかもしれない。


R5WS06222006presenter2.JPG

2006年6月22日

出張ワークショップ

ということで講師として出張ワークショップに参加しました。今回のワークショップはこれまで隊員間で個性的に行ってきたワークショップのテキストの標準化を行ったり、タイムスケジュールの厳格化、より参加型のワークショップにするためにいろいろなことを試してみた。実習時間を長くするため、参加者のグループ分けをきっちり行い、各グループごとに感想・問題などを発表させるような工夫をしたり。二本松の専門英語クラスで叩き込まれたプレゼン技術が最後の最後で使うことが出来て満足。また、理解度テストも最後に行いあるスコアを超えたものには賞状を与えることにしたのだが、これが予想以上にジャマイカ人の集中力を研ぎ澄まさせることができた。この経験を他の隊員とシェアできたことで、今後ジャマイカIT隊員主催のワークショップの完成度向上にもいい影響を与えることができたと思う。充実度は120%、たぶんこれが最後の大仕事かな?


R5WS0621presenter.JPGR5WS06212006audience.JPGR5WS06212006practice.JPG
R5WS06212006exam.JPG

2006年6月20日

ジャマイカIT隊員活動の今後

隊員のいないところでワークショップをやろうという次世代型ジャマイカIT隊員活動の布石になるワークショップが開催された。このワークショップ開催までの経緯は先輩隊員の活動の積み重ねでもある。過去にジャマイカで開催された広域研修の参加の一人であるジャマイカ人が日程の設定、会場の予約、参加者への通知などコーディネートしてくれた。あと数回このようなワークショップを重ねれば、隊員側もジャマイカ側も成熟してくるはずである。最終的な目標がジャマイカ人のみによるワークショップの運営なので、あとは教材の作成とジャマイカ人講師の育成が残された仕事になるんじゃないかと思う。R5WS06222006.JPG

2006年6月19日

出張ワークショップ開催にあたって

今回のワークショップ開催にあたって4名いるIT隊員のうち教育省に配属になっている2名の隊員が中心に開催に関する様々な準備にあたった。教材の作成、ジャマイカ人コーディネータのとの連絡・調整、機材の運搬、宿泊施設の手配、JICAへの経費申請。JICAのポリシーもあって、書類やレターが必要であったり大変だったみたいだ。こういうのはタイミングが大事なので、一度延期になるとそう簡単に次回開催といういうわけにはいかない。JICAのポリシーによるジャマイカ側の書類不備によって危うく開催が延期しそうになったみたいだけど、なんとか開催できてよかった。書類集めに関して、調整員にも頑張ってもらったみたいで、やっぱり役職が上の方から言ってもらった方が日本でもそうだが、ジャマイカでも楽だ。開催にあたったI隊員、sakuちゃんおつかれさんです。

2006年6月 2日

第8回自分主催ワークショップ Final

これが本当に最後のワークショップ。この週は水曜日から雨が続き、前日の金曜日は大雨。天気予報は週末も雨が降り続けると伝えていた。雨が降ると参加者が来ないのがジャマイカ。最後の最後で誰も来ないかもとちょっと不安になる。
DSCF0813_s.jpg


前日の夜はそれとは別に、これまでこの自分主催ワークショップを支えてくれたJOCVの仲間に感謝を込めて餃子をつくってみた。皮も手作り。特に初期からこのワークショップを支えてくれたTacaco隊員やI隊員には本当にお世話になった。味はいまいちだったけど、皮作り自体は楽しかったかな。日本に帰ったら、やっぱ市販の皮を買おっと。

当日、昨日までの雨が嘘のような青空。やっぱジャマイカはこうだよね。予定の時間にはいつものメンバーが集まり最後は気持ちの良いワークショップとなった。もっと嬉しかったのは、I隊員が主催しているワークショップの参加者もこちらに遊びに来たことだ。土曜日なのに。お休みの日にわざわざ来てくれるのは本当に嬉しい。

今回のワークショップはいつもと趣向を変え、プレゼンターを今後も先の長い隊員にやってもらった。もう顔なじみの出席者の前でのプレゼンは絶好の練習の場になるためで、参加者にいつもとちがうぞと思わせられた。プレゼンターが女の子のためか、いつもより集中している参加者がいたのは気のせいかな?

最後はTacaco隊員がみたらし団子を作ってくれたので、その試食会。歓談の場では、いろいろなことを話すことができ楽しかった。みんなが名残惜しく雑談をしているように見えたのは自分がもう帰国寸前だからだろうか。

DSCF0825_s.jpg

2006年5月26日

引継ぎ

今日は朝からホームページの更新の仕方の引継ぎを行った。このマニュアルを作るのに結構時間をかけたので、うまく行った。というか、引き継いだ相手がなかなか飲み込みが早く驚いた。ホスティングの契約の更新の仕方、FTPを使ったファイルのアップロード、Htmlの編集、そして、XoopsというCMS(コンテンツマネジメントサービス?だっけ)を使っているので、その説明。日本人に説明するのもうんざりなんだけど、さくさくと進み2時間で終了。先週の土曜日に自分主催のワークショップもファイナルを迎え、あとは生徒の卒業を待つばかり。まだ、1ヶ月半あるので、もうちょっとなんか出来そうだけど。なんか考えよっと。

先日前の会社の友達から周辺の近況報告メールが来た。自分がジャマイカに行っている2年間にいろんなことが起きている。今の職場だって、仲の良かった先輩たちも結構結婚してしまったし、高校からの親友も結婚した。元職場の親友は相変わらず独身っぽいが、ニューヨークにいる。日本に帰ったら、肌が黒くてただでさえ浮きそうなのに、ノリもジャマイカナイズされちゃって、知り合いもあんまいないなんてことになったら、これって寒くなくなくなーい?なんてちょっとした不安に陥っちゃったりして。東京の夏も暑いといいなぁ。

2006年4月10日

第7回自分主催ワークショップ

networking62006-04-09_01.jpg昨年3月から開始したプロジェクトが終了した。参加者のフィッズロイとは1年以上の付き合いだ。単なる参加者と講師という関係というよりは、日本人の良き理解者そして友人という関係なのだ。10ヶ月のコースを終了し、笑顔をみせるフィッズロイ。こんなに喜んでもらえるとは思わなかった。頑張ってよかったよ。ホント。


昨年3月、自分の活動を近隣の高校に紹介するため、各校の校長先生、ITの先生にアポをとって歩き回った。英語も下手だし、アジア人ということもあってあまり歓迎されなかった。学校に行ってもパソコンを寄付してくれ、お金を寄付してくれとしか頼まれない高校もあった。そんな中で2校の高校がそういった偏見なくIT教師を紹介してくれ、それらのIT教師と対話を重ねながら、彼らがもとめる内容のワークショップにすることが出来た。土曜日に開催することや、教育省の後ろ盾もないそして、日本人が行うワークショップ。偏見をもたずにやって来てくれた、フィッズロイ、そしてキャンベルのお陰で充実した1年だった。

なんとなく別れが惜しいので、来月もう1回、ワークショップをやることにした。最後の最後で誰も来ないかもしれないが、それもジャマイカってことで。あぁ、帰国3ヶ月前。

2006年3月30日

日本紹介イベント@配属先

JapanDay2006-03-29_01.jpg校長 「3月最終週の火曜日を日本の日として毎年祝うことを宣言します。」

自分 「。。。」 

ホントかよと思いつつも、イベント自体は大成功に終わって一生懸命働いた後のおいしいお酒が飲めました。


イベントの開催を持ちかけられたとき、やるべきことがいっぱいあったので断ろうかと迷ったが、終わってみればやってよかったなと充実感を味わうことができた。昨年の3月から始めた日本語レッスン。そのうちの二人の生徒が今回200人の生徒の前で日本語による劇をやってもらった。1年間の成果がでたなーっとしみじみ。

午前中はプレゼン中心で、レゲエ音楽、映像を取り入れて生徒の関心を惹き付けるように工夫した。その中にも、同期隊員ののびーさんにより、ミスターチンと呼ぶ前に「出身はどちらですか?」と聞きましょう、というようなメッセージを込めたプレゼンも行った。

午後は、浴衣の着付け、書道、折り紙の3つのブースを出した。どのコーナーも大盛況のまま、イベントが終了した。

日常生活の中で、いちいち日本を説明するのは面倒くさいし、ある程度の誤解はあきらめていたけど、2年間のうちでこういう機会を持てたことはラッキーだったなぁと思う。しかし、日本語でも司会とかやったことがないので英語でやるとなるとその難しさが身にしみたー。

JapanDay2006-03-29_02.jpgJapanDay2006-03-29_05.jpg

2006年2月27日

第6回自分主催ワークショップ

networking52006-02-26_02.jpg教材開発からN隊員を加え新布陣で今回のワークショップに臨んだ。4名にもなるとチームと呼べるんじゃないかなぁ、チーム名何にしようかなぁなんてどーでもいいことが頭に浮かんだりもした。久しぶりに前日リハーサルでつまずき、リハ終了の頃、時計は午前3時30分を刻んでいた。


とりあえず事前に想定されるトラブルを完全に除去できたので、ホッとして家路につく。眠いのもあるが、おつかれーっという意味も込め、帰って速攻でプチ宴会。疲れのせいか、ラムの分量を間違える。床についたのは、午前5時30分。

8時30分のアラームで目を覚ますとめちゃくちゃ頭が痛い。あったー、酒が残ってしまった。あー、この状態でプレゼンはきついなー。ぼけーっとしたまま、会場へ向かう途中に参加者から電話があった。

参加者「今何処にいるんですか?」
自分「スンカム。(すぐ行きます)」

参加者の方が会場に先についてしまっていた。申し訳ない。結局もう一人の参加者も遅れ、開始時間より1時間遅れのワークショップになってしまった。ジャマイカンタイム。。。 気をつけなきゃね。

不調とはいえ、今回で6回目。英語力の低さによる説明不足はあるものの、経験でものを言わせ難なくこなせるようになったことには自分の成長を感じる。次回ワークショップはテストのみなので、事実上最後のプレゼンだったわけだ。参加者からは帰国までまだ5ヶ月あるんだからもっとやってくれと言われているが、どーしよーか検討中。同じメンバーでやれるんだったら楽しいので、あと2回くらいやってもいいかもな。

今回も当日移動で遠路遥遥Tacaco隊員がクッキーを焼いて持ってきてくれた。休憩時間に日本のせんべいの試食をしたりして、異文化交流をすることが出来た。参加者のジャマイカ人は彼女の手作りクッキーをいつも楽しみにしている。
networking52006-02-26_01.jpg

2006年2月 2日

第5回自分主催ワークショップ

いつもどおりI隊員に準備段階から協力をしてもらい万全を期した。土曜日にも関わらずシニア隊員、調整員の方が見学に来てくれることになっていた。
前回開催から約2ヶ月空いたシリーズもののワークショップ。その上、Jazz&Blues音楽祭と日程が重なり前回参加したアメリカンピースコのマシューは早々に参加辞退。果たして参加者は会場に現れるのだろうか。


Workshop2006-02-02_01_s.jpg今回のワークショップはこれまでのものと違ってより実習を重視した。なので当日のトラブルはパニックの元。ワークショップ前日に入念にテキストの読み合わせ、事前チェックを繰り返す。今回からネットワーキングに強い17-2のN隊員も加わったので、スタッフ陣も充実。前日の準備の終了は通常深夜12時、1時が当たり前だったところを8時30分には終了した。(実は始める時間に問題があったりして。。夕食の準備を家で待機していた弟が作ってくれたのも良かったかも知れない。ちなみに料理はエビチリと鶏肉のカシューナッツ炒め、そしてチャーハン。みんなおいしいと言って
食べていた。)


Workshop2006-02-02_08_s.jpg当日、シニア隊員、調整員が到着。参加者が来てくれるかかなり不安だったが、開始時刻5分後には予定者が揃い無事にスタートさせることができた。ワークショップも予定通り順調に進み、自身のプレゼンも好調、実習時のI隊員、N隊員が痒い所に手の届くアシスタントをしてくれたおかげで、絶好調に終了させることができた。終了後のアンケートによると理解度は参加者全員が100%と記入していた。途中の休憩時間には当日駆けつけてくれたTcaco隊員手作りケーキのリフレッシュメントも功を奏し、歓談も弾んだ。参加人数は少ないが自分が目標とする「実用的で、身につく、そして文化交流の側面を持ったワークショップ」が実現できたと思う。

今回の参加者。次回のワークショップも必ず来てくれるでしょう。

2005年12月25日

孤児院でサンタのおじさん

学校も冬休みに入りあたりはクリスマスモード全開。同期隊員Nbyさんのリーダーシップのもと「孤児院に行ってサンタのおじさんになろう」という企画に参加した。

田舎にある孤児院に行って、クリスマスソングを歌ったり、プレゼント交換をしたり。家族がいない子供たちは、言葉もうまく話せない来訪者でも大歓迎ですごく楽しそうに過ごしていた。一応ボランティアという身分でジャマイカに来ているので、単に仕事や技術移転だけじゃなくて、こういうボランティアって大切だよなぁと実感した。言葉や活動が順調になってくるこの時期にこういう企画を平然とやってのけるNbyさんは僕が尊敬する隊員の一人です。

2005年11月26日

第4回自分主催ワークショップ

ITworkshop3_2005-11-28_04_s.jpg今月2回目のワークショップを開催し、年内予定していた全てのワークショップを終えた。お疲れ!自分。そして、毎回教材開発から手伝ってもらっているI隊員に感謝感謝です。


もっと詳しくワークショップ


今回いつもと違ったのは、モンテゴベイ(車で5時間)から先輩隊員が見学に、キングストン(車で2時間)からアメリカン・ピースコが参加をしにやって来たことだ。ピースコの参加者はマシューという可愛い名前のおじさんだが、ワークショップ中は容赦なく質問してきて答えに困る時もあったが、まぁ新鮮で、二本松訓練所の英語のクラスでプレゼンの練習をする時に質問の嵐をしてきた先生のことを思い出した。(なんて名前だっけな?)
マシューは完全にお客さんモードで、プリンタの紙は使いまくるし、ジュースはガバガバ飲むし、質問はしまくるし、悪いことではないけど、結構困る。困るけど、いい緊張感は与えてくれる、そういう存在ではある。次も来たいと言っていたので、へたくそな英語を差し引いても来る価値があると判断したんだろう。

今回は事前にリハーサルを行ったため、大きなミスもなく、そして細かいところまで説明できたと思うので自分でもかなり満足している。参加者ともだんだん仲良くなってきているのが楽しい。

ITworkshop3_S_2005-11-28_03.jpg

2005年11月 7日

第3回自分主催ワークショップ

今回は17-1のI隊員に教材開発から加わってもらったので前回のように徹夜はなかったが、前日のテスト・リハーサルは深夜1時まで及んだ。それから家に帰ってビールを飲む。気づくと3時30分を回っていた。結局リハーサルも最後までやらなかったし、若干不安が残る。

参加者は前回の2名を予定していたが、結局1名しか来なかった。その代わりに土曜日にも関わらず新加入のカウンターパートが登場。リハーサルのおかげが、本番で特にトラブルはなくまぁまぁの出来だった。
自分の中では参加者の人数にこだわりはなくて、教材開発、そして本番のトーク、実習をどれだけ興味深く、スムーズにできるかが評価の対象にしている。計6回のワークショップに同じ内容はなく、精度をあげるのは難しいが、自分の中で一番充実している時間なので、フィナーレで満足できるようにガンバだな。

1時間は話しっぱなしだっのだが、もっと英語がうまく話せたらなぁ。アメリカの研修から帰ってきてからまったく英語学習のモチベーションが下がってしまった。そろそろ再開の時かな。

2005年10月11日

コンピュータパーツ手続き ④

足りなかったパーツとマザーボードの返品にキングストンに行って、ついに、ついに全てのパーツをゲットすることができた。ここまでの道のりは長かったが、次回があるとすれば最短記録を更新することも可能だと思う。

マシンの組み立てとOSインストールをノートンゴースト+Sysprepを使う方法、RISサーバーを立ててネットワークからインストールする方法を早く試したい。明日からしばらく楽しい仕事が続きそうだ。

2005年10月 8日

第2回自分主催ワークショップ 本番

PA080010_s[1].jpg土曜日にも関わらず、2名の近隣高校の先生が参加しに来てくれました。


正直一人も来ないかなぁと思っていた。MAXで前回の参加者2名だろうなと思っていた。結局2名だったが、前回の参加者の一人は来なかったが、違う学校の先生が来てくれた。前回は訪問までしたのに来てくれなかったChalemont高校というまぁまぁいいところの学校で、ちょっちうれしかった。とりあえず招待状をFAXしただけだったのに。FAXなんてしてもどうせ読まれてないんだろうなって思っていたが、案外効果があるんだなぁと、実感した。次回ワークショップ開催のモチベーションになるには十分すぎる結果であった。

今回は根本的に準備不足でかなり不手際があったが、内容がよかったこともあって好評だった。次回はリフレッシュメントや日本文化交流的な色合いもちりばめて楽しくそして完成度の高いワークショップを目指したい。

第2回自分主催ワークショップ 準備編

土曜日に第2回自分主催ワークショップを行う。技術補完研修の後なので、膨大な英文献をもっているためその辺についてはあんまり悩まなかった。TOPICを決めて、実習の予行演習を行い、テキストをつくり、実習後のテスト問題を作成する。各学校に招待状をつくりFAXし、前日に会場を準備する。前回は企画を先輩隊員と行ったが今回は全て自分でやろうと思っていた。(テキスト作成の段階で徹夜をすることはあったが、前回の時にあったような緊張感やストレスはなかった。)

しかし、カウンターパートの辞職やUPSの故障などで予期しない仕事のため多忙を極め、近隣のJOCVにヘルプを求めたところ快く手伝いに来てくれて本当に助かった。やっぱ共同で仕事をするのは楽しい。前々日は、深夜11時30分近くまで手伝ってもらい本当にありがたかった。

2005年10月 6日

コンピュータパーツ購入手続き ③

朝電話して在庫と差額の現金が用意できることを確認した。取引先は支払いは早いほうがいいと言うので、こっちも急いだのだ。それなのになんなんですか、これは。自分の英語力だけの問題じゃないぞ、こりゃ。


遠路はるばるキングストンへ車で2時間の旅。
取引先につくと、一応注文したパーツがおいてあったが足りないものをある。そして、差額の現金自体も用意されて
いない、他店舗でその差額の現金を使って足りないパーツを買おうと思ってたのにそれもできない。
しかも、後で気づいたんだが、マザーボードもMSIを頼んだのに、いつのまにかBIOSTARになってるし。
返品だよ、当然。 

出来ないことは出来ないと早く言えよ!

なんなんだよ、この店は。まじで。

こんなことしてると客を失うぞ、実際今回の取引先はジャマイカで一番安いと言われる取引先と同等の値段で買えるのがメリットだった。だから若干の不手際はしょうがないと思っていたが、先週の日曜日に他店舗に調査にいった結果、値段的大きな差がないことに気がついた。(確かに総じて安いが気になるほどではない)

結局半分くらいのパーツはゲット出来たが、また来週行くことになった。
一緒に来てくれた同僚はなぜか楽しみにしてるっぽいけど。

学校バスのドライバー、校長の息子、同僚の3人がついて来てくれて、ペプシでもおごってあげようかなぁ
なんて思っていたら、逆にパンとジュースをおごってくれた。ドライバーなんて自分より4分の1くらいの
給料なのにやさしいなぁと思った。最終的に学校についたのも夜の7時30分を回っていて、悪いなぁと
思った。配属先で残業ってあんまないからね。校長と自分以外は。。

2005年10月 5日

ジャマイカで面接官

先週カウンターパートが辞職した。本日そのポストの面接があって、面接官として同席した。しかも突然。今日キングストンに行ってコンピュータパーツを取りに行く予定だったんだけど。。昨日言ってよ。マジで。


面接者は10人で、9時30分から13時まで行われた。
基本的に日本での面接と似てるなぁっと思ったし、
これくらいなら英語力を差し引いても仕事にありつけそうだなぁと思った。
まぁ給料が月6万円くらいの仕事ですが。。
校長先生が当然主導権を握って質問をする。

18,19の女生徒が居るが彼女にしたりしないか?
教会は何処に行っているいるか?
会計部長は未婚だが結婚したいか?

などなど、怪しいやつにはかなり困る質問を投げかける。
あとジャマイカは学歴社会だなぁと思ったのは、
前職をやめた理由が学校のものを盗んだと判明したにも関わらず、
CXC(日本ではセンター試験に値する)の成績がいいという理由で仮採用(1週間)を認めたことだ。
こういう男はまた盗むと思うんだけどなぁ。明日から来ることになるんだけど、気を締めていかないと。

人生で初めて面接官をやったんだけど、最後の方の人は不利だなぁと思う。
面接官も人なので段々疲れてくるし、途中でいい人が見つかるとその後は
どうでも良くなってしまう。

明日から2週間入れ替わりで仮採用の人たちが来る。たぶん若干はやる気があると思うので、
それをうまく利用して溜まった仕事を一掃したいもんだ。

コンピュータパーツ購入手続き ②

配属先がしっかりしているからなのか、取引先の在庫確認の返事が来る前に小切手の準備が出来てしまった。結局最初の取引先に在庫がなかったため小切手の金額と実際払う金額に誤差が出てしまった。仕事が早いところと遅いところに挟まれてもうまく乗り切りたかったが。。会計部長(♀)はめっちゃ怖い人で、そっちの在庫がないんだから差額を現金で払いなさいと猛烈に電話で捲くし立てた。んーん、自分の英語力不足による伝達の遅れもあったと思うので、取引先がかわいそうになってきた。が、早い早い、あっという間に明日中にパーツが全て揃うことになった。さて、本当に明日パーツは全て揃うのでしょうか。

昨日はキングストンで不足パーツを他店で見積もり等を取っていて帰宅が16時になったため、そのまま直帰した。今日は午前中、見積内容確認等があったため自宅勤務していたら、秘書と校長先生から心配の電話がかかって来た。ジャマイカは危険なので身の上を心配してくれたようだ。今までだったらカウンターパートが居たので、自分の1日くらいの不在は校長先生にまで報告されないが、今は誰もラボに居ないため誰かがすぐに報告してしまうようだ。ちょっと面倒くさいことになってしまった。早く次のカウンターパートを雇ってくれないかな。

2005年10月 1日

気づいたら朝。。

最近は夜更かしが続いている。来週の土曜日に第2回目のワークショップを開催するのだが、前回は先輩隊員が手伝ってくれたことと事前準備期間が1ヶ月あったので直前までノンビリしていたが、今回はPCの設定、教材の作成、パーツの購入(隊員支援経費)、招待状の作成に加え、自分に大型予算が認められたため、そちらの買い付けの仕事もある。んで、カウンターパートが辞職間際で、なんかバタバタしてたり、その上コンピュータの設定がうまくいかなかったりするとそれに時間が掛かって朝になってしまうのである。
今日なんかは、仕事が終わったのが朝の5時だったので、寝るわけにいかず、学校のグラウンドを30分走りこんだ。んーん、ハイテンション。来週までこのハイテンションを維持できるでしょうか。。。

2005年9月29日

コンピュータパーツ購入手続き ①

在庫の確認を取って先方から見積りをもらう。在庫がないものもあったり、担当の人が気が利かなかったり、自分の英語力が不足していたりで、結構ドキドキな仕事である。総額が50万円くらいなるので、デポジットか支払日を確定しないといけなかったりと、ジャマイカの商取引の経験がないとちょっと厳しかったが、そこはカウンターパートが助けてくれた。(本当にちょっとだけだけど。。)
やっぱ、電話でのやり取りはきつい。電話+Emailでなんとかなっている感じ。相手の言っていることがわからなければ、こっちの言っていることも通じない。いやはや、ここは外国です。ただ、日本語では、ニュアンスとか、言い方とかもあるので、日本語だから自分が完璧に出来ていたかというと、実際はそうでもないんだよなぁ。
あとは、先方から最終見積書をもらって、会計部長に小切手を発行してもらい、引き取りに行くだけ。最短で来週の火曜日に物が手に入る。ジャマイカンタイムはどう影響するでしょうか。。。

2005年9月22日

カウンターパート辞職する

この日が来てしまったかぁ。今日校長先生に伝えたらしい。理由は給料が安いから。。。まぁ、わかり易くていいけど。確かに最近の物価上昇を考えて、子供1人と奥さんを養い(共働きだとは思うけど)、車を維持させながら、あの体重で生きていくのは大変でしょう。(120キロくらいありそう。。)とりあえず、お疲れさんといいたいが、思い出せるほどハードな働きもしてなかったよな。CompTIAのNetwork+とA+の研修を受けたことがあるだけあって、ハードウェアと電気系統の知識は半端なかったしな。かなり勉強させてもらいました。気になる給料はUS500ドル。これは安すぎるでしょ。独身じゃないとこれで生活していくのはジャマイカじゃ無理だよ。ということできっと次来る人もあんまりモチベーションは高くないと思うな。一応面接に立ち会えるので、自分の意見も反映させられるのが救いだけど。残り1年を切った活動の技術移転はカウンターパートになるんだろうけど、誰がいつ来てもわかり易いように、ワークショップで使用したテキストを電子媒体で残して、いつでもアクセスできるようにするとともに、各種設定等も帰る時に文書にして、校長に提出するようにしないとな。

2005年9月14日

校長面談

1年の活動報告を英文レポートで提出した。主な内容は、サーバーの入れ替えと、メモリ、ハードディスク等の修理用パーツ、さらにはプリント代の集金方法を現金からプリペイドカードにするように提案した。
本日、その内容について、及び学校のIT環境について、新しい先生を交えて校長先生と面談し1時間半近くに及んだ。最初から理解のある校長だったが、MCSAを取得したことも手伝って、ほぼ全ての提案を受け入れられた。
パソコン14台、サーバー用パソコン1台及び修理用パーツ(メモリとHDD)を購入する。明日からパーツの見積もりを取ったり、配置など忙しくなりそうだ。マザーボード、ケース、CPU、HDD、メモリを選定、その組み立ての作業は一番好きな仕事の部類だ。特に新品を扱えるのはうれしい。
これで、最後の1年にやるべきことが全て出来そうである。予算要求が通らなかったら海でエビを捕ってばかり一年になりそうだったが、やっぱ仕事はこうじゃなきゃね。明日が来るのが楽しみだぜぇ。

2005年9月 9日

No result afrer 11 hours

朝9時から夜8時までかけて試したことがあったのだが、結局無理っという結果に終わってしまった。あー、目が疲れた。

Windows2000serverにはDisutributionフォルダを作って、そこにi386フォルダをコピーしとくと、クライアントはCDを使わないでサーバからOSをインストールできるのだ。どうやって?


実はSeverを使わなくてもできるんだけど。Netbuei(スペル自信なし)のブロードキャストベースで通信するので、DOSで起動してサーバーにアクセスすればいいらしいんだけど。

DOSでLAN内を通信する方法は、3つあるらしいんだが、今日は、WorkgroupConnectionというのと、MSLanmanagerを試した。前者はドメインにアクセスできない。CD使えばいいじゃんって話になるんだが、CDを内蔵していないノートパソコンや、明日試す予定のサービスパック適用済み&無人インストールのOSイメージをそのDisutributionフォルダにコピっておくと複数台にインストールしないといけない場合とか楽かなぁなんて思ったんだよなぁ。

まだ、MCSAの本がドミに置きっぱなしになっているので、断言できないが、11時間を浪費した感想は、やめたほうが。。。

どちらも壁にぶち当たるのは、NICのドライバー。これが、NDNIS2とか、MSLANMANAGERとかメーカーから添付されているフロッピーに入っているにもかかわらず読み込んでくれない。File Corraputed?はぁ?って感じで。ネットでいろいろ調べると、Protocol.infを修正しろだのいろいろ助言があるが、無理ですから。つらいっつーの。これをいちいち、違うNICごとにやらないといけないと思うと、さっ、素直にCD使いましょう!という結論至ったわけです。

*BIOSの設定で、PnP OS 又はPnPdevicesをDisableにしないとうまく行かない。

2005年9月 5日

在外技術補完研修レポート

在外技術補完研修とは、隊員自身の技術をより現地のニーズに適したものとし、一層効果的な協力活動を行うことを目的として、赴任後に近隣国等の技術専門機関や研修機関等において開催される研修や勉強会に参加する制度である。
-隊員ハンドブック2004年5月版P69より抜粋-


申請編
技術力は高いに越したことはないので、こういう制度は是非利用したいところである。但し、こういった研修は概して高額になりがちなので、納税者への説明責任という観点から研修後の評価が厳しくなるため、制度を利用するためには、研修の自分への効果と、配属先への効果をどれだけ明確に示せるかが鍵となる。

自分の場合は、NTプラットフォームから2000or2003プラットフォームへのアップグレードに焦点をあてて、データベースサーバーの災害時対策(Fault Tolerance, Load Balance)の実施、また、近隣の高校のネットワークアドミニストレータ向けワークショップを7回開催、そのタイムスケジュールを示すことによって申請を承認してもらえた。(結局初期の申請から承認まで4ヶ月くらい掛かり、研修自体の延期もあって、6ヵ月後に派遣された。)

トレーニングセンター編
CEDsolutions1.jpg
CED2.jpg
研修先の選定は、インターネットでPCマガジンというアメリカの雑誌で2004年ベスト10トレーニングセンター特集に載っていたCEDSolutionsを選んだ。このセンターは全米至る所にあり、アラスカとかでも受けれるのだが、MCSA2000自体の研修が少なく結局一番近いアトランタを選んだ。実際はアトランタ市内にはなく、マリアッタという郊外の町に所在した。町並みはレンガ造りのきれいな町並みで空気もきれいだった。アトランタからも車で30分である。

アトランタ編
アトランタには、リーグ優勝17回 ・ ワールドシリーズ優勝3回しているブレーブスがあり、観戦に行きたかったが、ブログにも書いたとおり1秒たりともそのような時間は存在しなかった。その他、アトランタといえば「風とともに去りぬ」、コカコーラ、CNNの本社があることで有名らしい。しかし、コーラ自体は普通の値段。
また、1996年にはアトランタオリンピックが開催されている。この大会で、サッカー日本代表はブラジル代表を破ったんだよな。

研修内容編
9日間で4冊のマイクロソフトプレス出版のテキストを実習を通じて全て行い、その合間にMCPテストを受ける。テストガイドと実習両方をケアされているので、研修後の実務のためになる。講師は他のセンターの倍の給料で雇われているらしく、経験豊富で大体の質問にはほぼ即答で、かなりためになった。

MCP
この研修を受ければ、簡単に受かるのかなぁと思っていたが大間違い。受かるだけの勉強をしないと駄目だった。当然だけど。実務だけではかなり厳しく、テスト対策もしなければならない。センターはTestKingというのを使っていた。このテストガイドはすごくて、ほとんどこの問題集から出るといっても過言ではない。量は多いが、2回やれば受かるでしょう。(たぶん。)

2005年9月 2日

Next Stageへ

英語力が開花した。自分にもこの瞬間がやってきたのである。9日間のアメリカ・ブートキャンプを経て、帰国前夜に見たCNNが頭にすーっと入ってきた。CNNがわかる。当然わからない単語があるものの、これまでの単なる音に過ぎなかったキャスターの話す言葉が英語として聞こえる。言葉もすーっと出てくるのだ。こりゃすげえぞ。ジャマイカですぐに戻ってしまいそうなのが不安であるが、開花した英語力を伸ばすべく一層の努力が求められる。ガッツ。

PCM研修-PART2-

アメリカから帰国後翌日から2日間のPCM研修を受けた。開発手法の研修で今回が2回目である。開発ビギナーレベルには達したかな。いつか役に立つ日が来るかも知れないので、学べることは出来るだけ吸収したいもんだ。

さて、アメリカで平均睡眠時間3時間を9日間続けて、ジャマイカに帰ったら思いっきり寝てやろうと思ったが、意外にも寝むれないもんで、あの時は単に弱気になっていただけなんだと気づく。自分の力を信じる重要性を再確認した。

2005年8月29日

これはいったい。

P8280100.JPG

9日間の研修が終わった。

アジアから唯一の参加の自分は語学の面でかなりハンデがあったと思われる。写真はこの9日間で読んだ文献で、すべて英語の両面コピー。うぉーーー、って感じ。
4つの試験をすべて8割以上のスコアで、クラストップでMCSAを取得した。アメリカ人がんばれっ。なんつって。
今回の研修、アメリカの凄さを体験した気がする。みんながどういうバックグラウンドがあるのか知れないが、誰一人あきらめているやつがいない。最後に近づけば近づくだけ集中力を高めてくる。すげーやつらだよ。まったく。暑すぎない気候がいいのかなぁ。暑すぎるとこんなには集中できないもんな。ジャマイカは暑すぎるよ。

あと3科目取得でMCSEにアップグレードできる。さらに、2科目で2003MCSEにアップグレード。ジャマイカにはあと1年いるので、チャレンジしようかな。(ジャマイカでも試験だけなら受験することが出来る。)

2005年8月17日

アトランタへ

19日からアトランタへ行けることになりそうだ。まだあと数日のうちに何があるかわからないので気が抜けない。

今日はその準備のため銀行でお金を下ろすため町に出かけた。総額US800ドルくらいを手にしたのだが、いつもは多くてもUS40ドルくらいしか持ち歩かないので、結構気を使った。大金を持つとなんとなく町が違って見えるのは気のせいかな?

2005年8月 9日

フィリピンからの電話

調整員からの電話で目を覚ます(10時半)。たとえ夏休みとはいえ、明日から7時30分には起きようかなと弱気に思う。夏休み以前も7時30分には起きてなかったけどね。がんばろ。今日は朝から英語の勉強、コンピュータの勉強を順調にこなし、買い物に行き、3号報告書(和文、英文)、中間報告書(英文)、ニューズレター(英文)の作成をし、ある程度メドがついた。そして日課のランニング。ついに15周(約6km)に達した。しかし105周(42.195km)までの道のりはまだまだ遠い。

skypeというインターネット電話ソフトを利用しているのだが、フィリピンの同期隊員と電話がつながった。しかも音声よし。結局2時間くらいやってたかな。インターネットってすごい。

2005年7月29日

ピースコの新人研修に行ってきました。Vol.2

今日もピースコの新人研修に行ってきました。慣れてくるとパトワ(ジャマイカの現地語)よりアメリカ英語の方が断然聞き易い。前回は一人で来たが、今日は自分を含め4人のJOCVだったので、かなりリラックス。今回は軽い自己紹介程度でよかったし。人前で話をすることに慣れてきたなぁと実感する今日この頃。来学期からは授業も再開するし、英語の実力は不明だが、少なくても大勢の前で英語を話すことについてかなり違和感がなくなってきた。

今回で40人近いピースコボランティアにあったので、どこかで白人を見かけたら知り合いかもしれないってのは嬉しいことだ。友達の輪をちょっとづつ広げていこう!

2005年7月26日

家に帰ろうと思ったが。。

家に帰ろうと思いバス乗り場に行く途中、ふと繁華街で釣具屋さんに入った。最近海に流されてしまった槍のゴムと先っぽを見つけ、有り金すべて出せばちょうど買える値段だったので買ってしまった。当然家に買えるお金が無くなってしまいドミに逆戻り。あ~、夏休み。


最近00年から02年頃の村上龍の本を読んでいる。エッセイとか小説とか。その中で引きこもりの家庭の小説「最後の家族」を読んだ。引きこもりや家庭内暴力の話だが、自立することをテーマにしている。自分で考え、自分で判断し、そして行動する。自立するというのは本当に難しいことだと思う。周りの環境や日本の常識、世界の常識から判断しながら生きていると多いと思う。自分はこう思うけど、職場や常識が許さないと思っているうちに自分で判断することを止めてしまい、いつしか組織に依存していたり、守られていることに気づき、身動きがとれなくなってしまう。
これから自分をどう守っていくか、どうやって自立していくか、久々に考えさせられる内容だった。

2005年7月23日

カナダからの来訪

同期体操隊員S君のジム(体育館)にカナダ人がやって来たそうだ。だからどうした?と言われそうですが、「どうやってここを知ったんだ?」と質問したところ、ホームページを見て来たと答えたそうだ。そのホームページは3月から6月にかけて、自分が中心になって作成した、完全英語版のページである。アクセス分析をしていると確かに海外から数十件はあったが、ちゃんと目的があって見に来てくれて、実際に自分の子供に夏休みの間、体操を習わしたいとそのジムを見学にしにきたという実績は、英語で作って本当によかったと実感できた瞬間だった。自分の力がたとえ微力であったとしても、確かに自分はここにいて、ここで活動しているのは事実で、それを発信して、誰かの興味に訴えかけたり、誰かの行動を何らかの形で支援できたら、そんなにうれしいことはないだろうな。
試しにヤフーで「jamaica gymnastics」で検索すると、24番目に表示される。頑張って、最初のページに表示されるようにしたいもんだ。

ピースコの新人研修に行ってきました。

ピースコの米国での訓練は2日、現地訓練は3ヶ月するそうで、英語圏は7週間で終了するらしく、彼らも

ジャマイカに派遣されるピースコは年に60名ほどで2年間の活動をし、最大1年間延長できる。休みになれば、アメリカに帰ることもできるし、自由度はJOCVよりあるのかな。
今回の研修は3月にたまたま出会ったピースコの中心人物と連絡をしていて、今回の新人研修に招待されるに至った。30人のアメリカ人に囲まれて、JOCVに関するプレゼンを5分ほど行ったが、結構通じたみたいで、休憩時間に話していて、細かい部分までちゃっと伝わっていて嬉しかった。
アメリカ人といっても見た目は様々で、外見は思いっきり日本人ぽいのに、話してみると思いっきりアメリカ人でかなりびっくりする。目がエキゾチックな日本人風の女の子も油断して話していると、声がおもいっきり大人のネイティブで驚いたりもした。
とにかくこのジャマイカでこれだけのアメリカ人を一度に見たのは初めてだし、アメリカ人とこんなに話し込んだのも初めてだったのでかなり楽しかった。でも、やっぱ、アメリカ人の英語は早いや。
-

2005年7月15日

15年1次隊ジャマイカを去る。

先輩隊員がジャマイカを去った。今回帰国した先輩隊員のほとんどが、「ジャマイカ大嫌い」と言っていた人たちだ。しかし帰国直前にもなるとほとんどの先輩達が「ジャマイカ大好き」に変わっていた。大好きと大嫌いは大きな開きがあると思うが、いったい何がそうさせたのか自分には良くわからないけど、とにかくお疲れ様でした。

2005年7月 6日

2005中間評価

早いもので今年も半分が終わってしまいました。年始に立てた目標が予定通りに進んでいるのかいないのか。あの頃と今は見えているものが違うはず。


以下年始に立てた目標。

1.ブルースハープを20曲マスターする。
2.空手のハイキックをマスターする。
3.アメリカに在外研修に行き、ワークショップ開催型の活動内容への足がかりにする。
4.上記3つを組み合わせたプレゼンテータになる
5.ガッツを見せる

コンテンツの充実、語学の問題、自身のプレゼン能力などの他にワークショップ開催には受入機関の理解、カウンターパートや他の隊員の協力も不可欠になってくる。瞬間瞬間の対話を大事にしてガッツで2005年を過ごしたい。


1.ブルースハープについては、5曲しかマスターしていない。替わりにギターを2曲マスターした。
評価; がんばりましょう。
2.空手のハイキックは全く練習してません。替わりに晴れた日は2Kmグラウンドを走っている。目標はレゲエマラソン(42.195Km)完走。
評価: まぁまぁでしょう。
3.在外研修に参加することはできそうだ。後は在外研修でしっかり修了証書をもらって来ること。
評価: よくできました。
4.プレゼンについては、6月に自分主催ワークショップを行った。
評価: よくできました。
5.ガッツはまぁまぁ見せている。この調子でがんばりたい。

と、上半期はうまく行っていると思う。この調子でがんばって残りの任期を楽しめれば最高だ。

2005年7月 4日

数の政治?or総会屋?

先日、隊員総会(*)が行われた。ここ数ヶ月に渡り英語版のHPを作成した。自分が去った後も定期的に更新されるように「有志のサークル」から「委員会(*)」に格上げしてもらえるよう議題を提案した。
隊員に対しても、事務所に対しても根回しをしなかったため、予想を上回る議論を招き、廃案又は再審議直前まで追い込まれそうになったが、救ってくれたのは9人いる同期とHPサークルのメンバーであった。

隊員総会とは、協力隊員間又は事務所との関係をスムーズにするために開催され、何か提案がある場合は、議題を提出し、議論し、可決されるには出席人数の過半数が必要とされる。

委員会とは、事務所に所属する仕事で隊員の活動に関係のある仕事を一部委任し、隊員が執行する。


話を整理すると、
自分の意見

・英語版HPは事務所の広報活動の一部を担っており、事務所サイドでは公務と認めてもいい。
・一部の隊員だけでなく全体の活動内容を取り上げる。

しかし、議論の争点は次のことに集中した。
・コンピュータのことはよくわからない。
・英語で記事にするのは負担が多い。
・仕事が増える。
・委員会活動に値しない。
・活動内容がはっきりしない。
・先に委員会規則を提出すべき。
などなど

自分的には、交通安全委員会はほとんど仕事がないので、ちょっとくらい人員を割いてもらってもいいかなぁと甘く考えていたが、かなりの数の反対票をもらってしまった。
議論は落ち着かず、次回総会へ繰越審議という声がチラホラ出ていたが、数名が先送りはよくないと強くプッシュしてくれて、多数決まで辿り着くことができた。
結果
出席者数 30
賛成 17
反対 13
可決

多数決は数の理論である。同期9名、PCサークル2名の11名が固定票で、助けられた。自己満足と言われてしまえばそれまでかもしれないが、少なくても自分のためだけにやっている仕事でないことを否決されるとかなりショックだからね。

安心を得るためには、事前に15票の固定票を根回しするか、総会屋を雇うしかないのかなぁ、と実感した一日であった。

2005年6月22日

ついてきた生活力

来ジャマしてスグの頃。サージプロテクタ(雷から家電製品を守るコンセント・タップ)を購入したんだが、新品にも関わらずスイッチが故障していた。返品するにも買った店がかなり遠かったので、発展途上国の電化製品なんてこんなもんかと諦めてお蔵入りさせていた。
先日扇風機を購入したため、サージプロテクタが必要になった。一緒に買えばよかったのだが、その暇もなく帰宅。サープロテクタなしで稼動させようか迷っていたところ、懐かしのそれが見つかった。壊れているので捨てようか迷った。日本にいたら、間違いなく返品。それが出来ない場合は、弱者の泣き寝入りか。ダメもとで分解。丁寧に電流が届いていないところを探す。怪しいところを突き止めてから、正常に動いているもう一つのサージプロテクタを分解し、比較する。
ははーん。ここが接触不良だな。
なんと、いとも簡単に復活する。この諦めの悪さはジャマイカに来てから身についた生活力だな。復活した時の感動はなかなかいいもんです。

2005年6月21日

加速させる快適

忍耐なのか無駄な努力なのか。ジャマイカに派遣される前に同国の帰国隊員に話を聞く機会があった。
Q 「ジャマイカでの生活はどうでしたか?」
A 「快適は自分で手に入れろ!!」


ジャマイカ生活がそろそろ1年が経過する。隣人の生活スタイルを観察してきてどれ程の快適が許されるのかだんだん分かってきた。最初にバンバンお金を使って家具などを揃えるとたかられると困るかなぁとか控えてきたつもりなので、自分が住んでいる教員宿舎の中で一番質素な生活をしている。唯一の贅沢はADSLくらいかな。

最近手に入れた快適
1.常温保存牛乳
自分の任地は田舎なため牛乳を冷凍にして売っている。これはやめてください。
それで最近見つけた常温保存牛乳。ちょっと冷凍牛乳より高いが、1年以上持つのでまとめ買いもできるため、かなりお気に入り。

2.リラックスチェア
こんな田舎に相応しくないインテリア&アウトドア(どういう組合せ?)ショップができた。そこでキャンプ用の折りたたみ式リラックスチェアを購入(2000円)。勉強はかどります。

3.アウトドアマグカップ(プラスチック製)
スタバでよく見かけるふたに穴が開いていてそこから飲めるやつ。実は飲みにくいんだけど、家の中に異常に蛾が飛び回っているため、ふたが必要なんですねぇ。これで安心して飲めます。200円


4.扇風機を購入

10年前の扇風機が今にも壊れそうなので、予備で扇風機を購入。家の中はまるでサウナのように蒸している上、蚊が異常に多いので、扇風機を2台。蚊は空気の流れがあるところには寄って来れません。これで快眠を獲得。3600円


5.アイス・カフェオレ

さらに、2リットルの容器(200円)を買い、インスタントコーヒーで作った濃密コーヒーをその容器に入れ冷やします。そして、常温牛乳でブレンド。アウトドアマグカップに入れて、リラックスチェアで扇風機に当たりながら、アイスカフェオレ。最高

2005年6月17日

ワークショップの自己評価

今回先輩隊員の職場の先生がワークショップに来てくれなかった。先輩曰く「一番の問題は、現場の先生が問題を問題と思っていないこと」。問題を問題と認識できないことはかなり深刻だが、それはJOCVが技術を持ち込んで一時的に解消できたとしても我々が去ってしまうと元通りに戻ってしまうのは過去にJOCVが何度も経験していることである。問題を問題と認識してもらうにはどうしたらいいのだろうか?そもそも問題を問題と認識できないところに労力を割いて効果があるのだろうか?自分の活動期間が2年ということ、残り1年ということを考えると、問題意識のあるところだけに集中的に活動を取り組んでもいい気がしてきた。
ワークショップの内容はWindows2000Serverを用いたネットワーク管理についてだが、この技術を専任の管理者が存在しない学校でどのように定着させるか、今後どれだけ魅力的なワークショップを出来るかにかかっている。少ない人数にでもそう感じさせることができたら、達成を実感できるに違いない。

ブータンでのJOCVの知名度

ブータンは中国とインドに間に位置する国である。先日ブータンで任期を終えたばかりの隊員がジャマイカを訪れ、ブータンにおけるJOCVの知名度の高さに驚かされた。ブータンではタクシーの運転手が日本人をみたら、JOCVかと話し掛けてくるそうだ。しかも尊敬を込めて。ジャマイカにおけるJOCVというか日本人の立場といったら悲しくなる。まず最初に中国人との違いを説明しないといけない。たとえ中国人との違いを理解してもらったとしても彼らにとっては日本人は結局「チン」なのである。

参考までにジャマイカとブータンの基本情報比較

ブータン 1.面積 約46,500km2(九州の約1.1倍) 2.人口 約65.8万人(2000年、ブータン政府資料) 3.首都 ティンプー(Thimphu) 4.人種 チベット系(約60%)、ネパール系(約20%)等 5.言語 ゾンカ語(公用語)等 6.宗教 仏教、ヒンドゥー教等
ジャマイカ 1.面積 11,424km2(秋田県とほぼ同じ大きさ) 2.人口 262万人(2002年ジャマイカ企画庁) 3.首都 キングストン 4.人種 アフリカ系黒人91%、混血7.3%、その他(インド人、白人)1.7% 5.言語 英語 6.宗教 プロテスタント等


なぜ、そんなに尊敬されてるのかと聞いたところ、昔専門家の人がとてもいい仕事をしたそうだ。そして歴史的に日本に侵略を受けていないためと説明していた。
なるほどね。しかし、ジャマイカも日本に侵略を受けたことがないし、日本車や日本製家電製品であふれているジャマイカは日本(製品)をかなり尊敬している。やはり、見た目で差別されているような気がしてならないが、今のところよくわからない。

ジャマイカに一生住むつもりもない自分が、生涯ジャマイカで暮らす人たちにその人たちの言動に物申す筋合いもない気がしている。ジャマイカのためにここで働いてはいるが、自分も楽しんでいるし、いろんな経験もさせてもらっている。そういうことはわかっているつもりではいるが、しかし、しかしだ、あの「チンチョンチャン」という人をおちょくったように聞こえるあの言葉にカチンと来るのはなぜだ?彼らは本当に自分をおちょくっているのか、「チンチョンチャン」という音が純粋に不快な音なのか。この謎は、2年居てもわかりたくない。おちょくってないで欲しいと密かに思ってはいるのだが。。

本番、自分主催ワークショップ2

workshopjun1520056.jpg前日は、今回共同で作業を進めて来た先輩とリハーサルをやったので、かなりスムーズにプレゼンを進めることが出来たし、若干英語の発音が通じないところがあったが、二本松での訓練の成果がここで出たような気がする。プレゼンは英語力だけではないスキルが必要で、そのスキルを二本松で多く教えてもらった。英語の発音練習は毎日やっているが、きれいな発音をするのは本当に難しい。継続の力を信じるしかないな。

写真はワークショップ終了後。すごく感謝してもらって感激した。


workshopjun1520050.jpgworkshopjun1520053.jpgworkshopjun1520054.jpgworkshopjun1520055.jpg

撮影;14-3ブータン隊員OB・Akira氏

2005年6月16日

本番、自分主催ワークショップ

workshopjun1520051.jpg無事終了しました、自分主催ワークショップ。ワークショップの終わりに評価表を記入してもらい、参加者全員から100%理解できたと高評価をもらい、来月にまた開催して欲しいと依頼があった。(無理だけどね)
自分の感想:ホッとした。楽しかったし、本当にやってよかった。次回ワークショップに向けて頑張ろう!!


しかし、本番の今日はこれぞジャマイカという予想通りの展開。まず、参加者はMaxで8人を予定していた。そのうち、自分の職場から2名、先輩隊員の職場から2名。4名は確実に来ると頭数にいれていた。むしろ、飛び込み営業に行った他の高校からちゃんと着てくれるかそればかり心配していた。しかーし、自分のカウンターパート、欠席、それどころか意味不明の無断欠勤。職場にすら現れず。先輩隊員の学校先生、本番当日の朝に来るように催促したのにも関わらず、欠席。当初頭数に入れていた4名全員欠席。これはかなりショックだった。自分達の職場だからきっと来てくれるだろうと自信があったし、職場に平日来るのは当然のことと思っていたから。こうなるとかなり不安。ひょっとして誰も来ないの?

招待状を送り、前日にもメールをした。不確定要素の他高校の先生に恐る恐る電話をする。
自分:「今日来れる?」
他高校の先生:「ヤーマン」

おー、来てくれるってっと先輩隊員と大喜び。これはかなり嬉しかった。結構時間を掛けた仕事だったのに、誰一人来てくれなかったらかなり悲しいからね。とにかく一安心。結局ほぼ定刻に2名の先生が現れて、その後は誰も来なかったので、30分遅れでワークショップを始めることにした。ちょっとさびしいが、見ず知らずの東洋人の主催するワークショップにわざわざ遠くから来てもらうことの難しさを再認識した。来てくれた2名、ホントありがとう。

2005年6月15日

自分主催ワークショップ前日

ついに明日自分主催ワークショップ当日を迎える。自分でアンケートを作り、ターゲットとなる学校に行き、対象者と直接に話をして、ワークショップに参加するように働きかけてきた。今日は、明日の資料の製本とキャンパス案内図の作成、校長先生にオープニングスピーチをお願いしたり、コンピュータの動作確認をしたりでいい感じで時間が過ぎていった。最後に事前リハーサルを先輩隊員とブータン14-3隊員(ジャマイカ観光中)の前で行い、明日の午前中に最終チェックをして、本番を迎える。ちゃんと参加者が来てくれるか、かなり気になる。天候の影響もあるし。明日が楽しみで仕方ない。

2005年6月 5日

JOCV/JamaicaのHP グランドオープン

ついにJOCVジャマイカのHPをグランドオープンさせることができた。
英語版
日本語版
ドメイン名もjocvjamaica.comを獲れたしばっちり。英語版はジャマイカ人向け、そして日本語版は隊員同士または、ジャマイカに来る予定の隊員を意識している。
今回は、グランドオープンまでの軌跡をだらだら書いてみようかな。


1.スペースの確保。
ここはかなり大事。なにせ、無料だとドメイン名がピンと来ないものになるし、広告が入る。ということで、有料Webホスティングを検索。有料?そう、自腹でもいいのだが、自分が居なくなるとこのサイトが閉鎖に追い込まれるのも嫌なのでやはり、事務所に経費を申請。

1-1 経費について
経費と言っても隊員支援経費のことなのだが、これがやっかいで、「別にホームページがなくても活動できるでしょ」。隊員支援経費からの支出は無理ですと断られた。んーん。そこで、「隊員全体の活動報告をジャマイカ人にアピール」を前面に出し、「隊員全体の」ここがみそらしい。ということで、詳細は不明だが、事務所の広報費かなにかで支出してくれた。

1-2 ホスティング選定
次にホスティング会社への支払いだが、クレジットカードが使えないし、立替払いも×。銀行振り込みのみ。これがやっかい。最初に日本国内の会社を検索。結構充実していて、安くて高機能な会社を選定。銀行振り込みもOK。しかーし、海外の利用はお断りさせていただいております。これはショック。仕方ないので、ジャマイカ国内、米国を中心に検索。ジャマイカでもホスティング会社はあるのだが、登録システムや決済システムがかなり未成熟で、サービス情報が不足しすぎ。電話かけないといけないのが面倒くさすぎるのでボツ。やはりIT大国アメリカの情報量はすごい。サービスもいいし。ただ、銀行振り込みを認めているところは限られている。それでもアメリカ。時差もないので、サポートも受け易い。globat.com

1-3 コスト高
しかし、これが高い。日本で現在自分が使っている会社は月300円で初年度費用は諸々で6000円位だったが、今回契約した会社は1万1千円くらいした。まぁ、銀行振り込み手数料とかもあるけど。サービス内容は高いだけあってこっちの方が充実しているが。なにせ、Webスペース5GBですから。
高くてもここに固執しないといけない理由は、銀行振り込みを受け入れてくれるかどうか。この条件をクリアするのは意外に難しい。

2.持続性
このWebサイトを今後JOCVが居る限り持続させる。これは目標である。しかし、ジャマイカJOCVの機関紙が休刊になったりしている現実を考えると組織だった活動をしないと自分の任期とともに閉鎖が関の山だな。
持続性を確保するべく、チームホームページを設立、将来有望な隊員を継続的に参加してもらえるかがキーポイントになる。チーム構成は下記の通りで
コアメンバーは各担当に一人は必要かと思われる。

リーダー
コンテンツだけ担当(日本語)
英訳担当(日本語を英語に翻訳)
技術担当(記事をホームページに加工)


2-1 コンピュータの知識

ほとんどの隊員が日本からノートPCをもって来ジャマし、自分でプロバイダ契約をし、その設定をしているので、隊員は一般の日本人よりパソコンの知識は高いように思われるが、それでもホームページを作るというと敷居が高く思われているようだ。
しかしながら、ことホームページ関しては深いコンピュータの知識は要求されない。とくにデザイン部門では、ホームページ講習会を開くことでフォローすることが可能である。実際、訓練所の同じ班員は現在も、自分の活動をインターネットにアップしている。
管理者レベルになると、若干コンピュータの知識と対話能力が必要とされるので、コンピュータ技術の人が適任かと思われる。

2-2 英語
これが、英語による情報発信のボトルネックになっていると思う。しかし、完璧な英語ではなくてもどんどん発信していくことに意味があるし、隊員にはカウンターパートがいるので、ネイティブチェックをかけてもらえる環境になるし、それが、話題づくりや、普段詳細なところまでカウンターパートに伝えられなかったことを文章を通して伝えらる波及効果もある。また、アメリカンピースコもいるので、他人の力をどんどんかりていきましょう。
とはいえ、やはり日本人はシャイ。なかなかやってくれる人はいないが、英語の得意な人に是非。

こんなことを3月下旬から6月1日まで副業でやっていました。楽しかったからいいけど。サステナビリティが重要ですね。今後は。

2005年5月30日

PCM(Project Cycle Management)研修

PCM研修を受講する機会を与えてもらった。JICAが開発途上国においてプロジェクトを実施する際に用いている手法である。隊員個人の活動とプロジェクトの実施とは大きくかけ離れているが、例えば何代か後の後輩隊員を含めた配属先との関係と問題点を考える場合には、こういう手法の知識はあるに越したことはない。
研修は全て英語で行われ、事例研究が中心に行われた。その事例を短時間で的確に理解しないとダメなので、自分の英語力ではついていくのに精一杯。一応手法の理解は出来たので、ちゃっと修了証書をもらえました。

pcmcer.jpgPCMとは、現状の問題点を洗い出し、それらの関係を表にする。そのなかで、ボトルネック(専門用語ではCore Problem)はなんなのかを見定める。次にそれぞれの解決策を原因と結果等関係のなかで対応させて表にする。そうすることで、いくつかのグループを分けることが出来る。すべてを一つのプロジェクトで解決することはできないが、ある部分は自分が、別の部分は後輩隊員がカバーするなど。最終的な受益者とプロジェクト実施後のゴールを理解し、実際のプロジェクトをどの部分に投入するかを決めるプロセス管理である。ちなみに、その後の評価等も重要な部分であるが、今回は前半部分のプロジェクト実施前までが研修内容であった。

2005年5月27日

自分主催ワークショップ

活動10ヶ月目にして念願の自分主催ワークショップが実現しそうだ。3月に事前準備で近郊の高校にJOCVの活動紹介兼、アンケート調査を行ったまま、活動を一時休止していたのだが、先週から再始動。各校に招待状を送り、本日参加者に直接電話で勧誘。すると、「なんで、いままで連絡してくれなかったんだ!!」と楽しみにしていた様子。あとは、ワークショップの内容と細かい指導案をつくって、当日を迎えることになる。ちゃんとできるかも心配だが、ジャマイカンだけにちゃんと来てくれるかも心配ではある。

2005年5月20日

ラジオに出演しました。

いやぁ、なんか電話収録は難しい。DJと声かぶりまくりだったし、1発どりでこのまま流すのかよって感じ。あー、発声練習とかしときゃよかったな。ちょっと後悔。これを聞いて、テレビ局が来るとも思えないしな。所詮ここまでの男だったってことか。地味に生きるとするか。ちっ。

2005年5月17日

ラジオ出演依頼

こういうのは重なるもんらしいです。まるで一発屋の歌手のように一時的に取り上げれるものでしょうか。しかし純粋に嬉しいのは自分が庶民だから?まぁ、それは置いておいて、今度は北海道のFMラジオ、ノースウェーブへの出演依頼がありました。きっかけは、先日掲載された新聞記事を見てのことらしいです。いやぁ、こういうことがあるんですねぇ。10分間のラジオ番組に録音出演する予定です。先日の新聞もそうですが、両親含め親族が感激しまくりです(笑)。こんな遠くにいても親孝行はできるもんですね。これからも、もっとがんばってこ。おー!!

2005年5月16日

新聞に載りました。

以前(3月かな?)に北海道新聞社からの取材があった特集記事が5月16日付け朝刊で掲載された。いやぁ、記者さんからメールでその旨連絡を頂き、実物は後日郵送するということで未だ拝見していないのだが、実家に連絡をするとすごいことになっていた。紙面の4分の1を占めているそうで、なかなかそれだけでも嬉しい。ただ、写真うつりが気になって仕方ない。今更ながらどんな服を着ていたかちょっち気になる。

2005年5月15日

同期隊員がやってくる。

突然なんですが、同期隊員が2名ジャマイカにやってくる。ジャマイカは外務省の危険渡航国に指定されていて、公務出張以外つまり任国外旅行ではやってくることが出来ない、「幻の国」なのである。カリブ地域では、政治、経済、芸術の中心の地でありながら、隊員間の移動はほぼゼロ。任期中になんとか危険渡航国から解除されて欲しいもんだ。ただ、選挙とかあるとスグにドンパチが始まるので、先は長いよ。とほほ。

2005年5月11日

JOCV/Jamaicaのホームページ

ジャマイカ人に向けてJOCVをもっと知ってもらおうと、完全英語版JOCVホームページをワーキンググループを立ち上げたのはちょうど2ヶ月前だった。完全英語版ということだけあって、あまり気軽に参加してもらえなかったが、それでも30人中8人が同意してくれたのが嬉しかった。発足のきっかけは、職場のHPの開発と管理をしていて、1ヶ月に8万件のヒットがあるので、ここにJOCVのリンクを貼ればちょっとは知名度が上がるかなぁという単純な動機だった。ジャマイカは意外に広く対面で集まるのが困難であるため、2回のミーティング以外は全てメールでのやりとりとう方針を採った。しかも2ヶ月で完成という目標もセットした。誰かが提出期限を守らないと完成しないのである。
しかし、さすがに有志を募っただけあって、順調すぎるくらいに仕事が進み、ほぼHPが完成した。みんな自分の配属先の仕事プラスアルファであるにもかかわらず、労力を割いてもらえて非常に感激している。まだ、完璧ではないが、下記がJOCV/JamaiacaのURLである。一応ジャマイカの国旗をイメージしている。
htttp://www.jocv.info

2005年5月 2日

ピースコと接触

peacecorp5020010.jpgピースコの活動を紹介する展示会があったので行ってきた。まぁ、特に接触という程のものではなかったが、おそらくここに顔を出したことが今後役に立つ日が来ると思う。まぁ話のネタ程度だけどね。前回あったヤツとかも話しかけに来たりして、ちょっとだけでもかなり違うもんだ。しかし、アメリカ英語。なんか、都会の英語に聞こえるよ。そう、テレビで話している英語。なーんか、ちょっとかっこつけてない?って思ってしまう自分は多分、語学力という意味で、かなり違う方向へ進んでいるのかもしれない。

写真は、会場で暇をしていた小学生。とにかく日本人が珍しいらしい。

2005年4月24日

のんびりとした休日。

05042415330090.jpeg久しぶりに休日を職場にも行かずに過ごした。(夜行くかもしれないけど。)時間がゆっくり流れてる。とは言っても眠りすぎて、すでに夕方の4時。昨日は、電気スタンドも買って机の上がますます快適になった。現在天井に電気が来ていなくて、家の中で1個の裸電球で夜を過ごしている。トイレとかめっちゃくらいし、たまにどうしてもシャワーを浴びたくなって、暗闇の中頭とか洗ったりしている。まぁ、早寝早起きしろってことなんでしょうが、なかなか、出来ないもんです。まぁ、これで勉強もはかどるってもんですよ。


最近何をしているかというと、MCSAというコンピュータの資格の勉強(英語だからつらい(涙))、先輩にもらったギターでミスチルの曲を練習している。ギターは大学入学時にアコースティックギターを親に買ってもらい、通信教育で練習していたんだけど、全然上達せずに挫折してしまったんだよなぁ。ギターを弾けるようになるのは、一つの夢だったので、帰るまでに何曲か弾けるようになりたいもんだ。あ、ハープの練習も続けなきゃだな。音楽はいいよほんと。

2005年4月21日

PCメンテナンス・ワークショップ

region204202005.jpg小学校の先生15人を対象にしたPCのメンテナンスのワークショップの手伝いに行ってきた。ジャマイカには、メンテ隊員が現在4人いる。国内では、アメリカからの寄付が多いが、壊れたまま放置されていることがよくあり、過去も、今後もメンテは重要課題である。これまでは、隊員が直していたが、行ける範囲もたかが知れているので、メンテの仕方を教えて、自分達で頑張ってくださいね、という目的でワークショップを開いている。

この手のワークショップは、実際は昨年から始まり、広域研修もジャマイカで開催された。なので、たとえ英語とは言え、みんな慣れたもの。手際がよくて、わかり易いと好評だった。最終的には、講師がジャマイカ人で自発的にやってもらえればミッション終了となる。一部の地域で実現しつつあり、草の根のボランティア活動が実を結ぶ瞬間を見れそうな雰囲気である。

2005年4月19日

新人歓迎会 in Hope Gardens

a href="http://editorgoes.net/blog/archives/hopegardens04162005.jpg">hopegardens04162005.jpg16年3次隊がやってきた。そう、去年の今頃は訓練所入所の頃だなぁ。3月初旬は技術補完研修に仙台にいってたっけ。JICAとかかわって1年以上かぁ。あっという間だな。まぁ、過去を振り返るのはこの辺にしておいて、今回は企画委員の幹部として、新隊員を迎える立場なんです。
このホープガーデン。犬を連れて、芝生でごろごろしたら楽しいだろうなぁ。公園は完全に癒し系です。


会費は400円、格安の設定でしかも、ピクニックに出かけるというアウトドア。気候は晴男・女達のパワーで晴天。企画委員としてもそれを理由に雨天の場合の代案は、雨天決行という強気。実際晴れたからいいけど。今回の幹部としてのファインプレーは、前日のお弁当の仕込み。人生で初おにぎり結び。北海道生まれの編集長としては、三角おにぎりを知らない。北海道の家庭的おにぎりはすべて丸い。三角でうまく結べるのかいまいち不安だったが、やってやりましたよ。30個のおにぎりを結び、いまやおにぎりマスター。家庭的な男への階段をちゃくちゃくと上ってますよ。笑)
こうして、無難に企画委員会の幹部としての役割を全うしたのであった。

*企画委員会・・・・赴任3ヵ月後から各隊員は全員どこかの委員会に所属しなければならない。ドミ委員、企画委員、福祉委員、安全管理委員がある。ちなみ企画委員の所管は歓迎会の企画と隊員総会の企画運営である。

小学校訪問してきました。

brandhill204142005.jpg去年の夏にJOCV主催のメンテナンス・セミナーの参加者の中で、所属先のラボにネットワークを導入したいので、いくらくらいかかるか見積もりをして欲しいという依頼があった。こういう仕事は楽しいので、いつでも歓迎。しかもお金は一切出さず、知恵と労働力だけ提供できる理想の活動だと思う。送迎付でランチとジュースを用意してくれたので、とても嬉しかった。校長先生からもすごく感謝され、もっと的確かつスピーディなアドバイスをできるよう自分の技術もあげなきゃなといい刺激も受けた。


担当の先生は、去年のセミナーは本当によかったと感想を述べていた。実際ラボに入ると、しっかり管理されていることがすぐに分かった。ただ、パソコン自体は古いものがほとんどで、起動できないPCが6台ほどあった。その原因をすぐに特定することは不可能だった。今回はネットーワークの設定の見積もりが主目的だったしね。今後自分で主催するネットワークのワークショップの宣伝もできたし、充実の訪問だったかな。

brandhill04142005.jpg


この小学校は地理的に一番近かったとはいえ、山を二つ越えた丘の上にある小学校で、まわりにあんまり家を見なかったな。どうやって登校してるんだろ。

少しだけ時間があったので、チン・チョンと呼びかけてくる小童にちょっとした日本語レッスンをした。最近は日本語の教え方が板についてきたなぁ。帰り際に嬉しそうに「コンニチワ」と手を振る子供はちょっとかわいかったなぁ。また、来ようっと。

2005年4月13日

Compaq Proliant 3000

世界銀行から寄付があるというので、もらえるモノはもらっておこうと、申請して、先月末にゲットした。先月末はマイアミに行ったり帰国後は、Wndows2000サーバーの導入で少し忙しかったので、自分の家に眠らしておいたのだが、本日初起動させました。


なぜ、こんなに時間がかかってしまったかというと、このサーバー無茶苦茶重いんです。多分60Kgはあるんじゃないかな。型は古く、Pentium2の300Mhz。ハードドライブはスロットインできる、カード式で、10Gが5枚。メモリは384MB。まぁ、小さいネットワークならそこそこ使えるんじゃないかな。さすがにサーバーだけあって、電源やハードディスクその周辺などしっかりした作りになっている。
しかし、寄付されたのはこれだけで、付属のドライバやユーティリティツール、OSは付属せず。とりあえず立ち上げるがBIOS以降進めない。しかもきっちりBIOSにロックがかかっていて設定画面にも行けず。そこで、箱をあけて、ジャンパピンを探し、リセット。とりあえず、コンパックの画面が立ち上がる。しかし、今度は3つあるFANのうちの一つが動作せず、クリティカルエラーとなって突然停止を繰り返す。おいおい、マジかよ。使えねー。多分、古すぎるので、代わりはもう手に入らないだろうな。明日、同僚とFANを分解してダメだったら、単なる粗大ゴミになる。それだけは避けたいな。テスターでFANまで電流が来ていることを確認しているので、明日再チャレンジだな。おし。

2005年4月12日

ネットワーク スロウダウン

土日のトラブルシュートの甲斐があって、プロファイルやログオンスクリプトの読み込みは順調。しかし、夕方頃にマシンがすごく遅いというクレームが。。。実際試してみると確かに遅い。明らかに遅くなっている。原因はプロファイルのローミングしかないなぁ。プロファイルのローミングは、クライアント・マシンの起動時と終了時のみなので、実際の作業に影響するはずはないと思っていたが。。。タスクマネジャのプロセス等でマシンそれぞれの状況を見て、遅延理由が見つからない場合は、一旦プロファイルのローミングは諦めようと思う。グループポリシの設定だけでも十分だしね。

2005年4月 7日

休みボケ

先週の木曜から職場復帰した。今週の月曜日から学校も始まった。春休みは任地を離れ英語もジャマイカ語も聞く機会が少なかったせいなのか、生徒の言っていることが全然分からなくなっている。そして、休み疲れのせいか、体がダルい。そのため、生徒の質問を無視。どうしても必要な生徒は何度も聞いてくるので、仕方なく対応。いやぁ、分からない言語を無理して聞くとなおさら疲れると再確認。
休み前にゲットしたパーツと関連周辺機器の設定をするのが、今楽しくて仕方ない。生徒の皆さん、質問する時はわかり易い英語でお願いね。(笑)
ついに、職場のネットワークにWindows2000サーバーを導入した。メールサーバを持たないので、アクティブディレクトリが猛烈に威力を発揮することはないが、NTサーバはIISのバージョンが古いことや、サポートが打ち切れれていることなど、継続運用するには難しい時期を迎えている。

2005年3月27日

春休み~その2

1,2,3月はガッツを使った気がする。今後の活動が明らかになってきて、持ち運び可能な軽量のノートパソコンの必要性を感じていた。ジャマイカで買うのは高すぎるし、品数が少ない。おっと、春休み。ふと、海外に行きたくなり、1ヶ月前にマイアミ行きを決めた。マイアミで買おう。アメリカならというそんな期待を抱いていた。。。


事前にインターネットでコンピュータショップを調べるがなかなかヒットしない。時間もあまりなかったので、現地で何とかなるかなぁと思っていた。なにせマイアミはかなりビッグな都会だからである。
我々日本人は、ヨドバシカメラ、ビックカメラのような巨大な総合電気屋さんを想像しがちだが、全く見つからず。中途半端なカメラ兼パソコンショップが多く、値段設定もかなり怪しい。しかし、どうしても欲しかったので、ある店に2日通いこんでSONYのVAIOを買おうと決心した。そのVAIOは、古い型でpentium3、メモリ256、HDD20GB、12.1インチの液晶でUS700ドルというので、悪くないかなぁと思い、お金を払った。そしたら、在庫を確認するので待ってくれという。いや、意味がわからない。つーか、その箱に入ってるのじゃないの?そうすると、店長が、IBMを同じ値段で勧めだした。いや、重いし、デカイから要らないっていうと、VAIOのスペックがHDD10GBの、メモリ128Mになっている。
ちょっとまてや
話がちがくない。だんだん、腹が立ってきた。しかも、飛行機の時間もあったので、最初のスペックじゃないと買うつもりはないし、値引きされても、買わないと突っぱねた。結局、最初の条件のマシンは、存在しなかったようだ。恐るべしアメリカ。時間のない人や、パソコンのスペックに詳しくない人、英語に自信のない人はマイアミでパソコンを買うことはお勧めできない。最終的に、地図に載っていた、空港の近くの卸業者を偶然見つけることができたので、そこで、ほぼ定価のVAIOを購入した。後でネットで確認したところ、同機種は一番安いところで300ドルくらいやすい値段で取引されていた。いやぁ、最安値で購入することは、見知らぬ地では難しい。でも、ジャマイカで買うよりは全然安くて、保証がちゃんとあって安心。汚い商売をされたせいもあるけど、普通の接客が妙に心地よく感じてしまった。やっぱり値段よりもサービスを買うもんだよなぁと感心した。人との接し方や仕事の仕方は大事だよ。休み明けてからも頑張っていきましょう。

2005年3月24日

アメリカン・ピースコ

keliz03212005.jpg昨年の夏に先輩隊員が開催したワークショップの参加者の小学校のラボのオープニングセレモニーに招待されたので行ってきた。先輩の開催したワークショップがいい形で結果になった例でJOCVとして嬉しく思った。校長先生やアメリカの団体が力を入れている学校なので、安心しているが、ジャマイカの小学校にはITのシラバスもなく、先生もいない。今後、メンテナンスできる人が居なくなった場合、どうなって行くのかなんとなく目に見えてしまう。援助したままではなく、その後をちゃんと評価しに行くことの重要性を再認識した。
 活動8ヶ月目にして、ついにアメリカンピースコと遭遇した。ピースコとはアメリカのボランティアで、協力隊のモデルでもある。ピースコの年齢制限は80歳までと幅が広く、今回あったアメリカ人も40歳近かった。やる気があり、協力していい仕事をしようということで、さっそく、自分の近隣に住むピースコのリストを要求した。今後、彼らと何らかの形で連携して行きたいと思う。外に出て行けば、人の輪が広がるもんだなぁと最近実感している。

2005年3月22日

アンケート回収に行きました。-その2

bog03222005.jpg今日は、ボグウォーク高校に行ってきた。今回は先輩も居なく、単身で見知らぬ地に乗り込んだわけだが、事前にアンケートをFAXしていた効果はかなり大きい。苦労もなくこの高校の現状を調べることができた。対応してくれた先生も好意的で、いい感じにインタビューは進んだ。

写真は、帰り際に先生が来ないクラスがあったので、日本語レッスンをしてみた。大好評で「次はいつ来るの?」とかなり聞かれたが、スンカムといってこの高校を後にした。しかし、ちょっと見ただけでも先生が来てないクラスがいっぱいあった。しかも、よくわからない英語をしゃべる東洋人が無断で教室で日本語のレッスンをしていても誰もなにも言わないし。ジャマイカどうなってんの?

この学校は、生徒数1600人と結構大き目の学校の割りに、ITに全然力を入れていない。PCの数は、校長先生1台、コンピュータラボ9台、事務室0台と、恐ろしく貧弱。たぶん、会計処理は手書きでやっているんでしょう。校長室を訪問したが、最初の第一声が「パソコンを何台くれるんだい?」という冗談交じりの出だしに、ちょっとドキッとした。やはり、IT分野への設備投資は校長先生の手腕が問われるなぁと感じた瞬間だった。というのは自分の配属先の校長は、かなり出来る人だが、そういう人物は寄付の要請をどこに出せば知っている。少なくても隊員個人レベルではどうにもならないでしょ。モノが不足しているのは分かるけど、安易なんだよなぁ。下記の写真は、管理されていないハブ。ネットワークも繋いでいないし、パソコンも壊れたまま放置されている。壊れないようにするとか、壊れたら直す、そうすることで5台のパソコンは復活できるだけのパーツは持ってるのにな。勿体無い。本日の訪問先にはこう答えた。「自分は、ヒューマンリソースしか提供できない。」つまり、労働力や、ジャマイカ人のスキルアップのお手伝いしかできない。けど、そうすることで、まだまだ、使えるパソコンが増えるということを知ってもらいたい。自分のやっていることは、他にも必要としているところが多いと確信した。
hub03222005.jpg

2005年3月18日

アンケート回収に行きました。

早速昨日FAXしたアンケートを回収に行ってきた。箱からすら出していなかった日本から持参したボイスレコーダーも持ち万全。今日行ったのは、近隣の学校の中でも最小のイワタン高校。学校は2部制で、朝シフトの生徒と昼シフトの生徒がいて不思議な感じだ。朝シフトの生徒は7時から12時までで、後者は12時30分から5時までらしい。

校長先生はかなりいいひとで、快く日本人ボランティアを受けれてくれた。過去にピースコ(アメリカのボランティア)も来ていたらしく話がスムーズだった。ピースコはかなり奥地まで進出しているなぁと感心した。日本人ももっと切り込んで行かんとダメだなぁと思ったが、やっぱり語学の問題が大きいのかな。校長先生とは、次回のアポを取り付けて、システム管理者を紹介してもらった。そのシステム管理者の先生は、どうも日本人を疑っているらしく、「君達はどれだけの実力があるの?」と開口一番の質問がそれだった。「おー、その人相当自信があるのかな、ちょっちやべーかな」と一瞬ひるんだが、丁寧に今後のプランを説明し、彼が抱えている問題がある程度それに一致していることがわかり、そして、編集長の配属先であるDinthill高校のネットワークに興味を持ってくれ、有望な協力者を開拓することができた。(どんなすごい人かと思ったけど、たいしたことがなくて良かったよ。)

なお、このイワタン高校、ラボPC14台、事務室2台、図書館1台で、Windowsのピアツーピアのネットワークを組んでおり、今後2000サーバーの導入を考えているようだ。事務室と図書館とラボをネットワークで繋げるつもりはないとのこと。おそらく、ユーザー管理の一元化がこの規模のラボのテーマになるんだろうな。あとは、インターネット接続共有かな。まぁ、このレベルに今回対象の高校が集中してくれていたら、ワークショップを開きやすいんだけどなぁ。次の訪問は月曜日。楽しみだ。

2005年3月16日

伝家の宝刀 再び!!

今夜も夜8時に校長先生の自宅に直撃。勤務時間内は、恐ろしく忙しい人なので、なかなか掴まえられない。なので、前回予算をぶんどった時、同様に自宅へ電話、そして訪問という、組織のトップの自宅に行って、自分の要望を言うなんて、日本では恐ろしい行為で「非常識」呼ばわれされそうだが、そこは協力隊の特権だと思う。ジャマイカ人もやっぱり雇用主には頭が上がらないので、なんて恐ろしいことをMr.Saitoはするんだと、驚いている。

今回の要望は5つ。
1.以前から要求しているコンピュータのパーツがまだ来てないが手続きはどうなっているのか?
2.アメリカに研修に行きたいのだが、推薦書を書いて欲しい。
3.セキュリティに関するワークショップを開きたいのだが、職員を集めて欲しい。
4.寄付を得られるチャンスがあるので、申請書を書いて欲しい。
5.近隣5高校のシステム管理者を集めてワークショップを開きたいのだが、そのワークショップを当校で開催していいか?

まずは、催促の1.そして、煩わしいレターの依頼。2,3。それから、ちょっと嬉しい寄付の話。4.最後に本命のワークショップ開催のサポートの話。

当然校長宅へは、昨日作成したアンケートを持参して、交渉に入ったため比較的スムーズにことが進んだ。特に最後のワークショップ開催へのサポートに関しては寛大でどんどんイニシアティブを取って行きなさいと応援してくれた。小耳に挟んだ話では、自分の高校にはメリットがないので、反対をする校長も居たそうだ。

明日からまた、新しい展開の予感だよ。ガッツ!!

2005年3月13日

アンケート作成。

英語でアンケートはQuestionnaireという。来週にも、近隣の高校にインタビューを実施すべく、事前アンケートを作成、FAXの送信、そして訪問・ワークショップの開催・フィードバックという活動が動き出した。正直、自分ひとりではこんなに早く実現は出来なかったと思うけど、先輩が帰国前に最後の花火を上げたいという強い思いが後押しをして、自分が中心になって重い腰を動かすことが出来た。自分自身も来年9月から本格化させるワークショップ中心の活動の足場になるし、実績も積めるので、いい機会だ。ワークショップの内容は、コンピュータラボ管理の効率化がメインテーマになり、4,5,6月に1回づつの計3回を予定している。これからどんな展開が待っているか楽しみだ。忙しくなるな。

2005年3月10日

取材されました。

北海道新聞というローカル新聞社の記者がはるばるジャマイカに協力隊員を取材にやってきました。現在ジャマイカには、北海道出身者が3名。事前に校長先生にそのことを伝えておいたので、校長先生ハッスルしまくりで、好印象を与えることができたかなぁ。個人的には、この日に向けて職員向けのインターネットセキュリティ・ワークショップの準備を終了していたんだけど、学生の授業と重なって場所が確保できず、いいところをあまり見せられなかった。ただ、先週から始めた日本語レッスンがかなりいい感じに仕上がっていて、日本人を見て、「はじめまして、ケニーシャです。どうぞよろしく。」って言われるのをかなり驚いていた。へへへ。ちょっとうれしい。
取材の個人的インタビューは1時間くらいに及び、2月にいろいろ考えていたことが最近まとまり出したので、それを話した。特にADSL誘致と、隊員への予算配分など2月以降のニュースだけに、この時機に来てもらえてよかった、よかった。来年はもっと活躍している予定なので、来年も来てくれないかな。もっと、取材して。(笑)

2005年3月 9日

無料日本語レッスン、始めました。

先週の金曜日から日本語レッスンを始めた。以前も授業の最初の5分とか教えていたんだけど、なんか体系的じゃなくて手ごたえなかったんだよね。そこで、同期の日本語教師に頼んで、テキストをかりて、それをコピーして教えているんだけど、やっぱ違うよ。かなり教えやすい。そしてなんか、うれしいよ。おれ自身はあんまり、やる気ないんだけど、生徒が「今日はレッスンある?」って聞いてくる。

毎日10分昼休みに教えている。教えてる日本語はすごいよ。

「はじめまして、モリスです。どうぞよろしく」
「トーマスさんは先生ですか?」
「いいえ、学生です。」

1年後はどうなってるのかな。楽しみだ。

2005年3月 4日

プリンタ修理

プリンタってはっきりいって、一般の人でもかなり触れる機会が多いと思う。それで、故障の原因ってほとんどが紙詰まりで、それを取り除くと正常になる。取り除いてもダメならメーカに連絡して修理という手順になる。ジャマイカでは、メーカには連絡しない。とりあえず、ねじを回す。自分で修理が基本だから。今回も外側からは紙詰まりの様子はない。それで、中身を開けてみると、ちっちゃな紙切れがローラーに挟まっていた。やっぱり原因は紙詰まりか。なるほど、なるほど。もし、これでもだめなら、ローラーの交換になるんだろうなぁ。途上国にくるとハードウェアのメンテは本当勉強になる。この間は、エアコンも修理した。その原因もパイプにゴミが溜まってそれを掃除すると直った。意外に故障原因は単純なんだよなぁ。

2005年3月 3日

活動報告書を職場に提出

昨年11月から今年2月までの活動報告書(英語)を校長先生に提出した。A4で6枚、添付資料を合わせると2センチくらいの量になった。そして、校長先生が多忙だったので、直接自宅へ訪問して、現状と改善点、今後の活動内容等1時間半近く話し込んだ。その後は、ビールも出してくれて雑談を楽しんだ。
やっぱ職場に文書を出す効果は大きい。協力隊の受入にも責任感を感じていてくれて、ストレスのない活動を送れるようにサポートすると言ってくれた。また、2005-06アカデミックイヤーの具体的な活動内容を示し、それに対して理解を示してくれ、その準備のためと、50,000JMD日本円で10万円の予算を自分に割り当ててくれた。これは、すごく嬉しい。さっそく、Windows2000Server導入のため、マザーボード、CPU、メモリ、HDD等の見積を火曜日までに出すようにと、仕事の指示も早い。自分は本当に職場に恵まれた。そう思った一日となった。

2005年3月 2日

学校管理システム

本日、突然休校、学校管理システムのワークショップ開催になりました。要請内容がこれの理解と指導となっていたけど、今まで放っておいていて、内心いつ催促されるかドキドキしていたんだよね。で、ワークショップ開催をしったの昨日の夜で、場所も時間も知らされず、今日学校に行くと全く始まる気配がない。それで、午前中はあまりにも暇でインターネットで旅行サイトとかみていたら、カウンターパートも相当暇だったようで、スーン、カム(直ぐ戻る)といって、どっかに消えてしまった。
その直後に事態は急変、続々と教師がラボに入ってきて、満席。それで、プレゼンテータも登場。「インターネットエクスプローラ(IE)使うから。」と言われ、「は?」、ちょ、ちょっと待ってよ。学生にインターネットの制限をするため、NTサーバーでどうしても制御が利かないマシンは、IEをアンインストールしてるし、奥の9台が繋がってるハブは壊れてるし、もっと早く教えてくれたら、対処できたものを、校長が急かすもんだから、今日はくたくたになったぁ。しかも、そんな時にカウンターパートはいないし、あちこちでお呼びがかかるし。
でもプレゼンテータと今後の活動について話し合えたし、今後協力できることはお互しようという結論になったので、良かったかな。今日は爆睡しようと思ったけど、もう、夜の3時だよ。眠い。

2005年2月18日

重度障害者施設訪問

yogofeb162005.jpg養護隊員の二人が来月末に帰国する。その最後のワークショップに参加したかったが都合がつかなくて残念だった。翌日の重度障害者施設訪問に参加させてもらった。
二人は僕の中では、これぞ協力隊って感じの人たちで、毒がなくひたすら前向きに、明るい、そしてすごいパワーで仕事をする先輩隊員である。彼らが帰ってしまう前に、その意思とノウハウを伝授してもらうため、そして自分の刺激のためにここに来た。

重度障害者施設訪問の続きを読む

2005年1月26日

献血しました。

blood0.jpegジャマイカで献血。んー。大丈夫だろうか。ちょっと心配だったんだけど、同僚の強い勧めを断る理由も特になく、400ml献上しちゃいました。生徒も先生も針に刺されるのは嫌い。ちょっと度胸試しのようなそんな雰囲気が漂う。献血のシステムも極めてシンプル。刺してボールを握り締め、自分から搾り出すという感じ。男子学生も貧血になる子や、女子学生は途中で止めちゃったり、意外にみんな根性なし。ただ献血しただけだけど、なんとなく同僚や生徒と一体感が生まれたような、ちょっといい気分になった。

献血しました。の続きを読む

2005年1月20日

職場見学

yorkhigh.jpgJICAの新調整員が各隊員の現場を見学するということだったので、それに便乗させてもらった。先輩の現場を見るいい機会でとても刺激だった。日本人がジャマイカ人に囲まれて頑張っている、こういうのってやっぱり心地良いなぁって純粋に思う。

どこにいっても子供はかわいい。

2005年1月18日

ホストファミリー

ジャマイカに来て6ヶ月が経過した。まだ6ヶ月それとも、もう6ヶ月?自分がどれだけジャマイカに馴染んだのか、どれだけ英語が上達したかを確かめたくて、また、いろんなことを経験したし、いろいろな疑問が生まれてきたので、そういうことを話したいなと思いジャマイカ到着当初にホームステイしていたホストファミリーを久々に訪ねてみた。お父さんもお母さんも快く受け入れてくれたので、とても嬉しかった。いっぱい話をすることが出来たし、日本を尊敬しているジャマイカ人の友達を紹介してくれたので交友関係を広げることも出来た。
英語は前より話せるようになった気がするが、まだまだまだ、日本について、ジャマイカについて、そして世界についての知識も不足しているし、自分自身の考えもまとまっていないので、納得できるレベルではない。そのような知識や考えが足りなかったとしても、いろいろなことに対する関心や好奇心がコミュニケーションにおいては必要で、相手に対する配慮をすると同時に、シャイ(内気)を乗り越える勇気が人生を楽しくするコツなんだろうなぁ。
2005年はジャマイカ人やもちろん他の協力隊の隊員とのほんの小さな関係も大事にして、交友関係を広げ、いろんなジャマイカを体験したい。たまにどこかに帰るっていいもんだ。

2005年1月13日

トラブル続出

昨日はトラブル続きの一日だった。

パソコンに興味のある方だけ、続きを読んでください。

トラブル続出の続きを読む

2004年12月21日

任国外旅行

冬休みになったので外国に行ってみた。ジャマイカのクリスマス・年末年始を経験したい気もしたが、来年にとっておくことにした。任国外へは20日間まで認められていて、今回は9日間メキシコに行った。公用語はスペイン語で人種もジャマイカと全く違ってとても新鮮だった。スペイン語は全く勉強していなかったが、身振り手振りで通じたり、通じなかったり結構楽しかった。やっぱり外に出るのはいい。外に出て、気づくこともいっぱいある。外国人としてジャマイカに生きる自分が2005年にすべきことがぼんやりと見えてきた。

2004年12月12日

伊達さんと†

午後の部は、予定した人数がなかなか揃わないため、定刻より遅れてスタートする旨伝えられた。午前中サングラスをしていた伊達さんだが、ランチ休憩中はサングラスを外していて、取り込んでいなさそうだ。誰かが言った。「チャンスじゃない?」

伊達さんと†の続きを読む

伊達さんと†

kimiko_sunglass.jpgキッズテニス当日。快晴で朝8時の会場集合時にはすでに暑い。この炎天下で午前の部90分、午後の部90分と元気いっぱいの子供を相手にすることになる。朝に昨日の再確認のミーティングがあり、続々とちびっ子達が登場した。伊達さんはまだこない。会場のセッティングが終わった。子供用ミニテニスのネットは、幅が大人用の半分以下、高さも7割程度で、ボールはスポンジ製のモノを使用していて強打して人にぶつかっても全然痛くない。隊員コーチがスポンジボールの跳ね方やその感触を確かめている時、伊達さんは現れた。「あれ、ひょっとして伊達さんじゃない?」逆光のせいか、彼女は輝いて見えた(ような気がする、ちがったかも。。。)

伊達さんと†の続きを読む

2004年12月11日

キッズテニス前日ミーティング

完全に遅刻したと思っていた事前打ち合わせに間に合った。しかも今すぐ始まる気配もなかった。やはりここもジャマイカなのか。それとも自分が会議の時間を勘違いしていたか、どっちでもいんだけど。打ち合わせが始まり、子供用の携帯型ネットの組み立て方などの説明と、全8面各コートに8名近くの生徒をコーチ3名(協力隊員)が担当するということだった。子供は8歳〜11歳らしく、集中力が持続が難しく、90分のキッズテニス中に怪我が無いように、そして、子供に楽しくなってもらえるように、競争的なメニューが入ったキッズテニスマニュアルの説明があった。どんな子供が来るのか、そして伊達さんがどんなキッズテニスを展開するのがとても楽しみだ。打ち合わせミーティングにはキッズテニス専属のコーチさんと伊達さんのマネージャーさんがいて、有名人への過剰な反応は慎むようにお願いしますというニュアンスのメッセージが間接的にそして人伝えに届いた。ツーショットは難しそうだな。

Kimiko

明日はついに、伊達さんとキッズテニスだ。前日の今日は、その打ち合わせがあるので、仕事を早く切り上げて首都にあがるつもりだったが、こんな日に限って、カウンターパートのミスターフォスターが休みやがった。そして、SBA*っていう、学生にとって大事なレポートの提出日が迫っているため、コンピュータラボは学生で混雑、至るところから「サー」という声が鳴り響き、気づいたらお昼も食べずに15時をすぎていた。伊達さんとの打ち合わせが。。。。。(ショック)
ただ、かなり遅いランチを食べに食堂にいったら、名前を覚えられないっていっていたオバちゃんが、「ミスター シアトー」っていった後、「ミスター サイトー」って言い直してくれたのが、妙に嬉しかった。(やればできるじゃん)
*SBA School Based Assingment

2004年12月 5日

同期隊員が小泉首相と

これはすごい。しかもツーショットで写真撮っちゃってるし。かなり羨ましい。いいなぁ。首相とツーショットなんて一生ないな。ジャマイカでもないかなぁっと思っていたら、ありましたっ。小泉には負けるけど、伊達公子が来週ジャマイカにやってきます。伊達公子は現在JICAのオフィシャルサポーターらしくて、途上国でキッズテニスという活動していて、協力隊テニス隊員がいる国を廻っているらしい。いやぁ、これはラッキーだ。来週の土曜日にキッズテニスが首都キングストンで行われる。これは這ってでも首都に辿り着き伊達公子とツーショット写真をゲットしなくては。。。それを理由に職場休めるかな(笑)

2004年11月15日

隊員活動とジャマイカの発展

自分の活動が、貧困層とお金持ちの格差を拡大してるんじゃないかなぁと思うときがある。貧乏な子供の家に当然パソコンがあるわけもないし、学校も行けない。コンピュータがあるのは、いい学校だけなので、自分が教えているのは比較的援助が不要なジャマイカ人かも知れない。(貧乏な学生もいるけど)
彼らが将来ジャマイカを牽引して景気をよくして、全体的な底上げに貢献していると信じて活動を行うしかないんだけど、来年はもう少し、赴任先だけでなく、広い範囲で活動したいなぁと考えている。

隊員活動とジャマイカの発展の続きを読む

2004年11月14日

休養

myhouse.jpg最近週末は家に居なかったので、久しぶりに土日と穏やかな休日を過ごすことにした。それとなんなく寒気がする日もあったので、体調は良い方だがたまに休養しながらのんびり家で過ごしてみよう。家の周りには自然しかなく、ほんとに時間がゆっくり流れている。今日は天気もいいし、外のベンチでお酒を片手に読書でもしてみようかな。その時すでに午後3時と、ゆっくり時間が流れていてもだらだらしているとやっぱり時間が過ぎるのはあっという間だ。当たり前だけど。
日本に居る時からポカポカベランダでお酒を飲みながら読書をするのが好きだった。ジャマイカの日差しは強すぎるけどムダにサングラスをしながら読書も「いと、おかし」なんつって。
写真は自宅のベランダから。

休養の続きを読む

2004年11月13日

動き出したホームページ。

赴任してから一番大きな仕事を一つやり遂げた気がする。それは、ホームページを誰でも(ホームページの知識がなくても)更新できるシステムを構築することだ。更新できる人の数が多いほど、頻繁に更新されリピーターも多くなる。自分の中でのターゲットは卒業生、特に米国などで活躍している人で母校への帰属意識を高め同窓会などを通すか、個人的な寄付へ繋がればいいかなぁと思っている。
そして本日、校長先生及び会計部長、補佐の3人の前でプレゼンテーションを行い、いかに簡単にホームペジの更新が可能かを説明した。(結局時間には校長先生は現れず、2人の前での寂しいプレゼンだったが。。校長先生は多忙でいつも現れないので、みんな気にすんな言ってくれたが、来て欲しかった、まぁいいかぁ)
ジャマイカ人は新しいもの好きで、説明を終えた後、速攻で更新をしてくれた。これは嬉しかった。この時点で、少なくてもホームページの更新作業は自分の手を離れた。これからは、このホームページの普及とカメラマンとして、学校のイベントに密着してみたら楽しそうかなぁと胸を躍らしている。
完成されたHP↓
Dinthill Technical High School

2004年11月 8日

JOCV15周年記念パーティ。

ジャマイカへ協力隊を派遣して15年目を迎えたそうだ。この国には、海洋、養護、自動車、コンピュータ、AIDS対策などの分野にボランティアを派遣している。会場では、養護隊員による手話コンサートや、ギター、太鼓、体操実技、歌などで盛り上がった。15年間いろんな隊員がこの国を訪れて、技術移転と国際交流をしてきた。会場には、過去にJICAの制度で日本に行った事のある人たちや、現在派遣中であるボランティアの受け入れ機関関係者が訪れた。

JOCV15周年記念パーティ。の続きを読む

2004年10月12日

接続要求とその現実

ハリケーン・アイバンで物理的にケーブルの断線、ワークステーションの損傷というトラブルがひと段落ついて、次の要求はインターネットの接続だった。これまで、すでにプロキシを導入してはいたが、全生徒への開放はしていない。それは、ほとんどのクライアントのアンチバイルス・プログラムが、ライセンス切れになっているためだった。AVGというフリーソフトウェアも存在しているので、その問題は解決できるかも知れないとはいえ、この手のソフトの導入は、PCのパフォーマンスを著しく下げる。PCのほとんどは、pentium1又は2で、ハードドライブは多くて3GB、メモリーも64MBがいいところだ。そこまでして、インターネットで何をするか。

接続要求とその現実の続きを読む

2004年9月22日

赴任先のホームページ作成

赴任先での仕事は、コンピュータの修理とネットワーク管理です。主にWindowsNTクライアントの設定とかをしています。学校が始まってからは、生徒が遊びに来て、パソコンの電源を切らないで帰ったり、パソコンでわからないことを質問してくるので、それに対応しています。校長先生に言われている、ひとつの大きな仕事にホームページの更新がありました。ホームページが最初から備わっている実業高校は3年前まで存在していなかったことを考えるとこの学校のレベルの高さが計りしれます。しかし、よく調べてみると、ホームページを作っていた先生は、ワンマンチームで行っていたらしく、それにしては感心だなと思っていたら、それを広告塔に、他の高校から受注を行って、サイドビジネスっぽいことをしていたらしいです。2年前にその先生が去ってから当然、ホームページは更新されることはなく、今日に至りました。
更新するだけなら簡単と、さっそく取り掛かりましたが、ファイルの管理がフラットで(階層的ではなく)わかりにくい。そして、ちょっと学校のホームページとしてはイケていない。なんとなく、いかがわしい感じ。なので、せっかくなので、トップページおよび全体的な体裁のリニューアルを行いました。たぶん業者に発注したら100万円は軽いですね。(ジョークです。)是非、その違いを感じてください。

新しいページ 
http://www.dinthilltech.org
古いページ
http://www.dinthilltech.org/old/old_top/Dinthill Technical High School Home Page.htm
*英語版フォントで作成しているため、日本語版Widowsでは文字が小さく表示される場合があります。その場合は、ツールバーの表示をクリックし、文字のサイズを「大」又は「最大」に変更して下さい。

2004年9月10日

仕事内容は

主にホームページの更新、コンピュータラボの管理です。ラボの管理とはパソコンの修理や、ネットワークにつなげる仕事です。赴任先の高校のラボは、ジャマイカの中では凄くて、二つのラボがあり、ラボ1は12台のパソコン、ラボ2は、26台もあります。授業では一人に一台のパソコンが実現しています。生徒もある程度パソコンができると仕事がもらえると理解しているようで、なかなか関心があります。現在は授業を持っていないので、自由に動き回れるのが楽で、早く語学を使えるレベルに持っていってパソコンを使っていろいろの交流ができればと、赴任1ヶ月ではこんな印象です

赴任後の生活は

過去2人の協力隊が頑張ってくれたおかげで、校長先生の理解が抜群によく、それが周りの職員や生徒に影響しているらしく、ものすごくよい環境で生活させてもらっています。まず、食事は、学校の食堂で、お昼と夕食が僕だけ、無料で支給され、自炊をしなくてもよく、しかもおいしい。住居は、鉄格子がドアについていて、安全。さらに、冷蔵庫とガステーブル、扇風機、ベット、ベンチが備え付けだったので他の隊員に比べて多分格段によさそうです。ただ、洗濯機がなく、毎日手洗いと、シャワーは水です。朝はとても寒いです。さらに、8月下旬に校長先生が、日本人がオリンピックで活躍しているから、ちゃんとオリンピックを見れるようにと、テレビを買ってくれました。(感動)
町へは、少し遠く、タクシーを使わないといけません。(とは言っても歩いて30分程度ですが、、暑いので)リンステットという町で、マーケットがあり、このあたりでは唯一の町なので、人で賑わっています。基本的に何でも揃うと、ジャマイカ人の人がいっていたので多分そうでしょう。
さらに、最近電話線をゲットしました。これで、ようやく、インターネットができる。(ダイアルアップだけど、48K)すごく遅いがないよりはましです。あぁ、日本のADSLが懐かしい。