2006年7月 1日
2006年5月17日
CXC IT
CXCとは、日本では高校の卒業検定のようなものだ。大学受験とは別物だが、学歴社会のジャマイカで履歴書にこれが記載されていないと大きな不利になっていまう。だから生徒もそれなりに本気なのだ。日本の高校では、ちゃんと卒業証書がもらえて、それが高卒を意味するが、ジャマイカではCXCを何科目もっているかが重要なのだ。未だ大学進学率は10%以下なので、一般の人にとって大きな意味をもつ。
さて今日はそのCXCのITの受験日だった。基本的にコンピュータを使った操作が試される。そこでジャマイカ。前日に動作確認とかしない高校とか絶対あると思う。そうすると生徒の実力に関係なく、他の要因で試験の続行が難しくなるわけだ。よいラボ管理者がいれば少なくてもそういう要因は事前にまたはその場で除去できる。我が高校は一応CCNAをもっているジャマ人のラボ管理者とJOCVの自分がいるので、当日特に問題はなく終わった。優秀なラボ管理者を雇える高校とそうではない高校では必然的に試験の結果に差がでるようになってしまっているのが現状である。そういう意味でも、われわれジャマイカJOCV IT隊員がやっているワークショップで人材が育てば、ほんのちょっとではあるが、力のある高校とない高校の差が埋まるんじゃないかと思っている。
2006年2月25日
SportsDay(運動会)
今年もこの時期がやってきました。去年100m走で苦杯をなめたので、今年は1500m走で現役高校生を撃破してヒーローになるという目標を、昨年敗れたときから抱き続けていた。
レゲエマラソン(42km)、ハイマウンテン10K等のジャマイカ国内レースを完走してきた自分にとって1500mはむしろ短すぎる距離。長距離の苦手なジャマイカ人に勝てるのはこの種目しかないのである。
ここ1ヶ月喉の調子がよろしくなく、あまり練習できないでいた。本番2日前に初練習を始め、前日にはタイムが6分5秒。お、遅い。レゲエマラソン直後の練習では5分40秒くらいだったのに。。ひょっとして勝てないどころか3位以内も無理かも。
当日校長先生に1500m走に出走したい旨伝えたら、「それは無理です。」とあっさり断られてしまった。どうやら、当日までに生徒間で予選が行われていて、自分がでると他の生徒が出走できなくなるらしいのだ。結局、去年と同じ100m。結果は、、、、、 写真のとおり。 がっくし。
2005年12月21日
職場旅行
毎年恒例の職場旅行。今年はネグリルに2泊3日。同僚や先生達と一緒に遊んだりと新鮮だった。
食べ放題、飲み放題のオールインクルーシブホテル。今回の目標は、食べ過ぎない、飲みすぎない。庶民生活から逸脱しているこういったホテルに行くと、暴飲暴食になってお腹を壊したり、気持ち悪くなってしまう傾向がある。特に庶民は。なので、あえて今回は読書、テニス、ウォータースポーツ、昼寝。いやーお金と暇があれば、1週間くらい行ってみたいもんだ。
職場旅行は、当然全員来るわけないが、食堂のおばちゃんや、事務のひと、先生などみんな子供連れで常に賑やか。やっぱ子供は元気元気。みんなおしゃれをしてやって来て、みんな楽しそう。1年間お疲れ様でした。
ジャマイカ人と旅行に行くのは今回が初めてで、やはり気になるのは時間。ジャマイカンタイムなのかなぁっとある程度予想していたが、やっぱりそう。一番驚いたのは、ホテルのチェックアウト。12時までにはチェックアウトしないといけないのが常識だと思っていたが、職場の人たちの多くは2時30分、帰る寸前まで部屋を利用していた。怒られないもんなんだなぁと感心。どうやらジャマイカはチェックアウトの時間は甘いのかもしれないな。
2005年9月 6日
新学期初日
まずは学校に行って、挨拶回り。入学式があったりとみんなぼちぼち忙しそうだった。生徒も学校への登録が必要で長蛇の列。そのためラボに来る生徒はほとんどいない。
カウンターパートは時間通り来ていてとりあえず安心した。また、ITの先生が辞めたらしく新しい先生が来るようだ。
修理であちこち歩いていると、6月に行われてワークショップに参加した先生がわざわざ質問があるとやってきた。電話しても出ないじゃないかといわれたが、アメリカに行っていたので、無理っす。配布した資料を片手に熱心に質問してきたので、うれしかった。
また、卒業した生徒が就職できずに学校に戻ってきた。おいおい。一応高校4年生という制度がある。日本だと浪人生にあたるが、制服を着て学校にやってくる。来年は就職か進学できるといいが。
ラボに行くとインターネットが使えなくなっている。調べてみるとADSLモデムが故障で、カウンターパートが既にC&Wに電話していて、午後には復旧した。続いて、NTサーバー。なぜか起動せず。エラーメッセージも不明確で原因が判りづらく、とりあえずCD添付の診断ツールを利用すると、リカバリーエージェントディスクがあれば直るかも知れないというコメントが。んーん、ないっす。基本的に、5ユーザー程度の管理にしか使っていないので、バックアップとかとってないし。なんとなく、ハードディスクのダメージの可能性が大きい気がするが、たいしたデータもないので、クリーンインストールで対処だな。(ハードディスク自体に問題がなければいいけど。。)
NTサーバーは、主にNTクライアントの管理に利用していた。NTクライアントはまだ20台以上稼動している。NTクライアントには、2000サーバーのグループポリシーが適用できないので、NTを使っていただけなのである。ちなみに2000サーバーでもpoleditを使えばいいだけなので、NTサーバーに固執する必要はなくなった。ただ、NTサーバーから2003サーバーのアップグレードを試しにやってみたかったので残念である。
2005年9月 4日
明日から新学期
長ーい夏休みが終わった。ほとんどを勉強に注ぎ込んだのでゆっくり休んだ気がしないが、こういう時間があるだけ幸せである。
在外研修、PCMが続き新学期まで4日あったので、ノビーさんが居るマンデビルに旅行に出かけた。夏休みは小旅行でしょ。マンデビルからタクシーで1時間のところにリトルオーチという観光地があってカニやロブスター、ツナが直接漁師から買えるので安い。夜はロブスターのてんぷら、カニの塩茹、ツナの塩焼きを満喫。うまかったぁ。やっぱロブスターのてんぷらは最高だぁ。のびーさんは料理もうまくて、何品も作ってくれた。感謝感謝。
明日から新学期。1年目に蓄積したノウハウ、語学力、技術力を駆使して楽しい学期にしたいもんだ。ガッツ!
2005年7月29日
小学校4年生とガチンコ勝負
夕方日課のランニングにでかける。サッカー部の生徒が練習を終わる時間帯狙っている。暑さを避けるためと、「チンチョン」を避ける意味もある。たく、学校で言われるとマジでムカつくんだよな。今日はサッカー部の練習も終わっていなく、また、6,7人のガキが暇をしていた。そこに「チン」が登場した時には、格好の暇つぶしである。ガキが金くれだの、トイレかせだの、うるさいが無視して走り出す。1周くらいはなんとかついてくる。で試しに10周勝負で先にゴールできたら200円くれてやると言った。身長はまだ、130センチほどのガキに負けるわけがないと思っていたが、多分一番身体能力が高そうなガキが最終ラップまでついてきた。「やべー、瞬発力じゃ負けるかもしれないな」と思い、最終ラップに入ってすぐに早めのラストスパート。そこで半周以上差をつけたところで、どうやら戦意喪失したらしい。ざまぁみろ。ココが違うんだよ。と言ってやった。負け惜しみで猛烈にお金をくれといってくるので、「負け犬は家に帰れ!(Loser, go home!)」と言ってやったらかなり悔しそうだった。また勝負してくれというので、今度は15周ならいいよと答えた。あぁ体力めっちゃ消耗したよ。まぁまぁ楽しかったかな。
2005年7月11日
講堂オープニングセレモニー
学校の講堂が改装され、リニューアルオープンした。そのセレモニーがあって招待され参加した。ハリケーンが去って間もないのにも関わらず、定刻どおり始まった。てっきりジャマイカンタイムかと思っていたのに。参加者にはニューヨーク、フロリダで活躍している同窓会のメンバーが多く、同じジャマイカ人でも活躍している人の服装や、話し方は全然違うものだなぁ。セレモニーは、ディナーパーティのようなもので、服装はフォーマル(久々にスーツを着た)、食事中はジャズの生演奏などかなり楽しめた。前前任者のカウンターパートも来ていて、現在は外国(ケイマンアイランド)で働いているようだが、そこでもWebを通じて学校の情報をよく見ているといわれ、ちょっち嬉しかった。ディナーはランチを作っている同じメンバーとは思えないくらいおいしかった。
参加者は150名くらいはいたと思うが、校長先生はスピーチの中で、日本人のボランティアの紹介してくれて、自分は全員の前でお辞儀(日本風?)。気を使ってもらっているなぁ。来期はもっと、この配属先に貢献できるように頑張ろう。
2005年6月30日
卒業シーズンは雨季の中
ジャマイカの高校は9月に始まり、7月に終わる。つまり今が卒業シーズンなんだが、日本ならば桜が咲く季節で、冬の終わりと卒業みたいな感じではあるが、基本的に常夏なジャマイカではそういう季節感がなくてちょっと残念な気もする。
ジャマイカにおいても卒業式の練習はちゃんとやっている。歌の練習、スピーチの練習などなど。
日本と大きく異なっているところは、MVPと各部門の最優秀生徒を発表することだ。各部門は例えば、「最も学校に貢献した生徒」、「最もスペイン語が優れている生徒」や「万能生徒」など多岐にわたりおよそ12部門ある。とはいえ、こういうものは一部の生徒の偏ってしまい、5冠くらいする生徒もいる。
また、卒業式がある週の土曜日には「Graduation Ball」と言われるパーティが学校で開かれる。お酒もでるのかな?
せっかくなので全てに参加したいのだが、健康診断と隊員総会と重なってしまって、首都と任地を激しく往復しないと行けないのかな。今週は長い1週間になりそうだ。
2005年6月21日
モリスです。どうぞよろしく。
「モリス、ぼかぁ、君を誇りに思うよ。」次の学期からはもっと本格的な日本語コースを開こうと思うが、ココロには誓わない。(結構大変なんだよね。へへ(笑))
2005年3月26日
イースターブレイク(春休み)
先週の金曜日から学校は春休みになった。学生の春休みは木曜日からで、職員も午前中で仕事はおしまい。そこで、この休みを利用して、与えられた予算でコンピュータパーツや周辺機器の調達をしにキングストンへ。大型連休前だけあって道路は渋滞を極め、結局職場に戻ったのは夕方6時を回っていた。誰も職員は残っておらず、結局自宅に物資を置いた。休み明けに運び出すのが面倒だが、設定するのが楽しみだ。仕入先はジャマイカで一番安い卸業者で、自分で開拓した店だけにかなり嬉しい。下記の物資調達に約10万円かかったが、いい買い物をした。
<調達物資リスト>
・CPU AMD2500、メモリ256M2枚、HDD40GB、プリントサーバ、HPカラープリンタ、MSIメインボード、16ポートスイッチ、コンパックproliant(超古いサーバー)【寄付】
2005年3月20日
SBA
今学校はSBA*という宿題の提出期限の時期で、コンピュータラボは生徒で賑わっている。いわゆる忙しい時期なのだが、宿題の提出はタイプをしたものの方が点数が高くなるので、みんなラボに来る。プリントアウトの料金は1枚10円。多い生徒では、100枚近くにもなり、結構な金額になる。これがために、ランチ代を削る生徒も珍しくない。この国で太目の人は裕福とよく言われるが、まんざら嘘でもなさそうだ。
*School Based Assignment(SBA)
日本で言うセンター試験にあたる制度で、マーク式の試験とその前にこのSBAといわれるレポートを提出しなければならない。
2005年3月17日
スタッフ・ミーティング
本日、事務スタッフ・ミーティングがありました。前回開催が昨年の9月3日で赴任して間もない頃で、緊張してたし、英語もよくわからなかったけど、今回は、一人のスタッフとして参加し、英語も70%以上は理解できたかな。ただ、英語とは別のところで普通に眠く、なんども落ちてしまいそうになった。
今日は、改訂版アンケートをFAXし、そのフォローとアポイントの取り付けのため、FAX送信先の校長先生に電話をした。その内の1校は、簡単に約束を取り付けることができ、満足している。英語も1度聞きなおされたが、たぶん通じていたと思う。最近は、仕事に電話も使えるようになってきたので、ちょっと嬉しい。しかし、せっかく取り付けたアポイントの時間を実は変更したいのだが、「頼んでおいて、変更かよ!」というちょっと日本人ぽいシャイな自分と、純粋に「英語でまた、変更の理由等を説明したくない」という後ろ向きな理由で変更できないでいる自分は、やっぱり小心者だ。
だけど、日本で営業をしていた時の上司が、「電話1本で商談を済ませるのは、えらくなってからだぞ」という言葉、今もその通りだと思っている。
2005年2月27日
Sports day(運動会)
2005年1月10日
Windows95
2004年11月 3日
卓球部顧問
赴任から3ヶ月を過ぎて気づいたことがある。どうもコンピュータ・ラボに来る男子学生は卓球部が多いのだ。やっぱりこの国でも、パソコン好きはオタクなのか?そしてどうやって嗅ぎ分けたのか知らないが、ためらいもなく編集長を誘ってきた。あれ、俺からそんなオタク臭が出ていたのだろうか。結構ショック。
男子学生は特に訛っている子が多く、はっきり言って20%くらいしか言っていることが分からない。さらに、遅く話してもらっても全然分からない。成り行きでYesって言っているうちに、中国は卓球が強いからSir*もきっと出来るはずと思い違いをしているようだ。いやいや、無理だからっと思いつつも、稲中卓球部っぽい活動しているかも知れないし、ちょっと楽しそうだから快諾してしまい、本日初活動日を迎えました。
今回カメラを持っていかなかったので、写真は載せられませんが、これがなかなか、気合の入らない日本で言うサークルのような活動で、これはイケルっと思った編集長はムキになってジャマイカ人学生にスマッシュを叩きつけまくってやりました。あ‾楽しかった。(って顧問ではなく、部員だなこりゃぁ。)
*Sirとは、敬意を込めて年上の男性に使う言葉。一応Sirと呼ぶ学生にはちゃんと対応している。
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2004年10月12日
授業風景その2
2004年10月 9日
授業風景
2004年10月 2日
一日2コマ
金曜日は一日に2コマの授業を担当している。一コマは理論、もう一コマは実習だ。事前準備のレッスンプラン(*)には、一コマあたり3時間くらいかかる。授業を運営するなかで一番大変な作業だと思う。これが良く出来ていると授業はうまくいき、よく出来ていないと、行き当たりばったりの授業になる。プロでもなく、英語も母国語でない、しかも育ち盛りの15-18の高校生を対象としているだけに、準備しすぎて、しすぎるということはない。普段から授業のことで頭がいっぱいになり、本来すべきホームページの更新や、学校内ネットワークの見直し、PCの修理が後手に回っているのが気になるが、まずは、ここの高校生に慣れることと、生徒がかわいいのでうまく出来るとそれなりの充実感あるから、まぁいいかぁ。
今日の授業はというと、理論系のクラスは普通の教室で、チョークを持って教える。見た目は完全に学校の先生です。外人のしかも、東洋人の先生だけにかなり珍しいらしく教室の外にも見物客もいます。発音が悪いと当然通じないか、揚げ足をとられる(その時の生徒はとても嬉しそうだ)。ただ、もともと声が大きいので、発音の悪さを声の大きさでカバーできているらしい。教科書は必ず生徒に読ませるようにして、発音の悪さのカバーと、授業を一方的ではなく、生徒も参加できるように工夫している。(二本松訓練所での訓練が役立ってます。)
実習の授業はちょっと失敗だった。先週すでに受け持ったクラスであることと、実習だからなんとかなるかという慢心で、レッスンプランを細かく作成しなかったのが結果にそのまま繋がった。ちょっと自分でも分かりづらいなぁとかって思う部分は当然生徒も分かるはずがなく、クラスはザワつき、自分も全員に対して即に適切な解説を出来るほどの英語力はなく、個別に対応するしかなく、授業が終わった時はもうぐったり。
赴任先での教師としての最終目標は自分の英語に自信を持ち、生徒が訂正してくる英語の発音は、「それは英語じゃない、パトワ(ジャマイカ語)だ」と言い返したい。そのためには、毎日の英語学習と綿密なレッスンプランが必要だと思いつつも、今週1週間、ほんとにお疲れさんと自分を褒めて、そろそろ寝ようかなと思う編集長であった。(先週もこんな感じだったよな(笑))
*レッスンプランは、授業中の板書とシナリオを分刻みに書いていく台本みたいなものです。
2004年10月 1日
悩める米国人高校生
なぜかなついてくる男子高校生がいる。正直見た目ではどこの国出身かなんて区別がつかないし、ここはジャマイカなので、ジャマイカ人だけだと決め込んでいた。彼は日本人で着たばかりの編集長に対しても容赦ない英語で話しかけてくる。ただ、なぜか、理解できるなぁって思っていて、話を聞いているうちに彼がアメリカ人で、ちゃんとした英語を話しているからだった。やっぱりジャマイカ人の英語は英語っぽいけど英語じゃないのねっと関心。アメリカ人の彼ですら、ジャマイカの言葉と生活に慣れるのに1年6ヶ月かかったという。敏感な年頃の高校生にこの国はきつかったらしい。アメリカ人と知ると、生徒だけでなく、先生までも彼につらく当たったという。悲しい話だ。ようはお金持ちだと思って危ない目にあったり、そのような罵声を浴びたり、本当に大変だったようだ。英語ではこう言ってた。" They gave me a hard time." それで、東洋人の扱いもこの国では、似たようなところがあるので、なんか話しやすいんだと思う。特に彼は、インド人の父とアフリカ系アメリカ人の母を持ち、いとこは中国人と母国であるアメリカでも移民系だ。ジャマイカでもつらく、アメリカに戻ってもつらいかもしれない。そんな不安が彼から垣間見られる。アメリカ人よりもヒドイ扱いを受けている東洋人と話すときっと癒されるんだろうなぁと思いながら、仕事の手を休め聞いてあげている。編集長は、大人になってからこの国に来たので、偏見や差別は織り込み済みで、心配無用。ただ、ちょっとした差別で傷つく若者もいる。悲しいなぁ。やっぱ、外に出て、自分がそういう立場にならないと、きっとそんなこと気がつかなかったんだろうなぁって。日本に帰ったら、日本に住む外国人にやさしくしたいなぁって思わせてくれる、爽やか米国人高校生のとの出会いでした。
2004年9月29日
夜間授業
学期はじめは...
ジャマイカの高校は、日本の高校とは若干違って科目ごとに教室が違います。学期初期は、生徒はどこの教室で、誰に教わるのか、イマイチ理解していません。驚くことに先生にも分からないのです。誰が決めるかというと、学科のトップが決めるのですが、毎回時間がかかるらしく、みんなこんなもんだろうと特にあわてる様子もなく普通に時間が過ぎていってしまいます。そんなわけで、先週の金曜日に先生デビューを果たしたところですが、今日突然学科のトップに呼ばれ明日、新しいスケジュールを渡すと言われ、振り出しに。せめて先週担当したクラスは残して欲しいと願うばかりです。
ちなみに本日は断水のため、午前中で学校が終わってしまいました。午後一番の授業を持っていたのでラッキーと思わずカウンターパートにこぼしてしまった。こんな先生ありだろうか(笑)
(当然仕事は通常通り定時まで)
2004年9月25日
初めての授業を終えて
要請内容になかった活動だけにかなり緊張しましたが、なんととかやり遂げました。直前に生徒のレベルとシラバスを聞けたのが大きかった。やはり、生徒のレベルと何をすべきか、これがないと不安でしかたない。まぁ、英語も通じるか不安だったが。。。さすがに、二本松の訓練所でプレゼンの訓練を積んだだけあって、ある意味授業を運営できる英語力は備わっていたようだ。何よりも助かったことが全く日本人に興味のない生徒もいるが、日本人に興味のある生徒もいたことだ。これは心地よかった。授業の最初の5分は、世界地図をホワイトボードに書いてもらって日本がどこにあるのか、あとは、生徒の名前を漢字で書いてあげた。これが物凄くウケがよくて、授業が終わっても次の授業に行かずに、自分の名前を書いてくれと行列が出来るほどだった。こんな形で、文化交流ができるとは思ってもいなかったので正直とても楽しかった。来週は進学クラスの授業があるが、それはコンピュータを使わない理論の授業なので、それがどうなるか不安だが、とりあえず1週間を無事に終えて、さぁ、ビールでも飲もう。
結局、週3コマ割り当てられた授業であったが、今週は1コマだけ行った。
2004年9月22日
ジャマイカで先生に
正直、まったく聞いていなかったんですが、昨日突然、授業をやってくれと依頼され、今日いきなり授業。しかも、昨日聞いていた話と全然違い、ちょっと困惑*。さすがに、全く準備していなくて、しかも英語となるとキツイので他の先生に相談すると、その状況を理解しつつも、これ以上自分の負担増をさけようと、「Mr.Saito、Good Luck!!」。さすがに「おい、おい。」って感じなんですが、まぁ、ホームページのアップグレードも終了したことだし、新たな挑戦だと思って頑張ってみるかと、この挑戦が英語力とジャマイカ文化理解に近づければと祈りつつ、その準備もせずに寝ようかなぁと思う夜であった。
*依頼されたのは、3コマで、2コマは低学年向けで、1コマは高学年向けです。依頼された時も、その後もテキストやシラバスの紹介もなく、ちょっと困惑。