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2012年5月 7日

Marleyを観た。


Photograph: Berlin film festival the guardian

今、ボブマーレーの自伝映画が上映されているので観た。最初の20分、skaのリズムが心地よく寝落ちしてしまった。ボブマーレーの家族、音楽のメンバーのインタビューから彼の生き方、世界観に迫る。ジャマイカに居たとき、キングストンのボブマーリー博物館に結局行かなかった。この映画を観るまでなんとも思わなかったけど、あそこでボブマーレーがサッカーをやっているシーンを見たとき、ちょっとうーん、いっときゃよかったと思った。あとジャマイカンアクセントの強い人は字幕が出ていたのが面白かった。ボブマーレーはほとんど出てたな(笑

Marley - review

2009年10月10日

ジャマイカの体操のお兄さんからご支援のお願い

協力隊でジャマイカに派遣された同期で2年間の任期を終えてからも、ジャマイカに戻ってジャマイカの子供たち、特にゲットー地域に住み子供たちに体操を通じて夢を与えるため体操教室を開業した友達がいます。彼のすごいところは、日常に絶望を抱える子供達に夢を与える彼自身がその夢をに向かって輝いていることです。たまに日本に帰ってくるときに飲みに行った時、いつも笑顔がステキです。

そんな彼ですが、治安が悪い異国の地ジャマイカでの体操教室経営も厳しいとおもいますが、さらに身銭を使って子供たちをアメリカ遠征に行かせて好成績をおさめているのです。子供達に夢を与え続けていますが、こんなすばらしい事業にもやはりお金が必要です。

みなさま、1年のうちの100日間、つまり3日に1度100円を節約して、寄附として応援しようじゃありませんか。僕もさっそく、職場の愚痴を語り合うための「新橋の飲み屋」に行く回数を減らすことからはじめたいとおもいます。

趣意書や、寄付申し込み方法などの詳細はこちら

ジャマイカの子供たちに、体操を通じて健全な時間・経験を!

ジャマイカの体操のお兄さんからご支援のお願いの続きを読む

2008年12月27日

今日もジャマイカでは

Dancer 'Ice' shot dead

Popular dancehall figure, Andrew Smith, also called 'Ice', was gunned down in a bar on Newark Avenue, off Waltham Park Road in Kingston, early yesterday morning.

出典:observer

3年前の今ごろはジャマイカに居た。ってことは日本に帰ってきて3年以上経過して平和な日々を送っているのだが、金メダリスト「ボルトダンス生みの親が殺害される」という記事を読んで急に思い出した。2年間住んだとはいえ、夜7時以降の外出は出来るだけ控え、移動時の乗り換えの時の緊張感が思い出される。

日本から遠い国の悲劇がニュースを媒介に飛び込んでくるが、それについて「何かしよう」「何ができるか」すら考える力もなく、ましてや行動する力も沸いていこない。

ジャマイカに居る時は何を考えていただろうか。ジャマイカ人の友人からのメールはスパムメールが多いのだが、どうしているかメールを出してみようと思う。

2008年5月30日

Irie FM

先日ジャマイカの時の友達と飲みに行ったらレゲエの話しになった。みんな最新のものはチェック出来ていないと言っていた。

そうするとIrieFM(ジャマイカのラジオ番組)でチェックすれば?という提案があったので、チェックしてみた。

手作り感いっぱいのピカピカのページになっており、なんかジャマイカが懐かしくなりました。僕が派遣されていた学校のページもピカピカだった。

ジャマイカ人の同僚、Mr.フォスターがお昼にパソコンからラジオを聴いていたので、タダなのかなと思ったら購読しないと、聞けないみたいです(30日6ドルから)。

Irie FM

2006年9月27日

世界最速男

日曜日に意味もなくテレビのチャンネルを回していると、聞き覚えるのある名前が。

アサファ・パウェル。

日本でどれだけの知名度があるだろうか。カールルイスとまではいかないが、かつてのベンジョンソンくらい知名度があってもいい実績だが、実際はどうなんだろう。もうちょっと知名度があがれば日本のお笑い番組で将来でてくるかもね。(この間ベンジョンソンがQさまにでてたからなんだけど。。)

アサファ・パウェルって言う人は100m走の世界記録保持者(9.77秒)のジャマイカ人なんだけど、アテネオリンピックでは5位とまだ超一流にはなりきれていないようで、今回はスーパー陸上2006in横浜で世界記録を塗り替えるために来日したみたい。結局フライングをして失格になってしまった。とは言え、世界の陸上界では超有名人でテレビの見出しには、「人類最速の男、世界新なるか」なんて書かれていた。今回ここで世界新を出せば、少なくてもスポーツ紙のトップは飾れたとは思うんだけど残念な結果に終わってしまった。彼には直接会ったことないけど、友人がキングストンのパティ屋さんで見かけて記念写真とか撮っているので、少し身近に感じれただけに、日本でも有名になって欲しかったよ。

もっと詳しくスーパー陸上2006ヨコハマ

2006年8月29日

さよなら、ジャマイカ

同期の隊員がジャマイカの最大手新聞グレナーに載りました。

2年居た自分がゆうのもなんだけど、Tacacoさんほどのジャマイカサポーターはいないと思いますよ。まぁYasucoさんとかもいるか。いやー、結構いるかも。Tazさんとかも。いやー、もっといるなぁ。共通点はやっぱり、、、。いやー、Shin君がいるよなぁ。よかった。よかった。

寄付金なんかをすると実際どうやって使われているのか全然わからない。発展途上国の人の助けになりたいと寄付をしたくてもそれがちゃんと使われているのかなんて全然わからない。大手では収支決算表なんかを公表しているが。いいことはしたくても、帳簿もつけたこともなければ、WEBページもデザインしたこともない。そうなんで、NGOはよく善良な素人集団なんて呼ばれ方もする。何をしているかわからない団体にお金を寄付するのは正直が気が引けるものです。

まぁ、それはさておき、ジャマイカでは善良な体操大好き青年がいる。彼なんかは単身ジャマイカでゲットーボーイズを更生させてオリンピック選手にしちゃおうなんて無謀な夢の持ち主。そんな彼、近い将来収入がなくなります。でも体操のマットや器具、選手の遠征費などを私費でまかなっています。貧乏な生活をしてでもその夢に向かってひた走る彼。決算報告書もホームページもデザインできませんが、彼のような人に寄付したら直接ジャマイカの貧しい子達の更生に使われると思いませんか?

Shin君の組長日記
最近はあんまり更新してないみたいだけど。

2006年7月28日

DHLでやっと届いた。

ジャマイカの最終日にスーツケースを日本に送った。重量は28Kgで気になる料金は22800JMD(日本円にして約4万円)。ぼちぼち高いんだけど、コーヒーとかを送る手続きが簡単だとか違うとかで、多少値段が高くてもいいかなぁと思っていたが、結構大変でした。

まずはジャマイカの受付。スーツケースは本来中身を税関でチェックする為鍵をロックしてはいけないんだけど、ジャマイカ人の受付の人はそれを確認せず、自分が空港付近まで来た段階で連絡してきて、鍵をよこせと伝えてきた。空港とニューキングストンはどれだけ距離が離れてると思ってんだよ。最初に確認して聞けよな(怒)。ま、ジャマイカでは自分がしっかりしないといけないのでこれはぐっと堪えました。というより、Taiyo隊員にお願いしたおかげで助かりました。

スーツケースの行方はWEB上で確認できるんだが、なんと3日で日本についていました。ということはとっくに実家に送られているはず。。

しかし、暗証番号がないとかで、成田でストップ。日本到着後にそれを教えて問題解決かと思いきや。。。

今度は使い捨てコンタクトレンズ。日本への持込は2か月分らしい。(薬事法による)
それで、コンタクトレンズ破棄願いなんつーものを提出してしろとかで、結局実家についたのは、2日前で、14日間かかりました。いやー、DHLとはいえ、国際郵便は何かと大変ですよ。

参考までにジャマイカの郵便局で送った小包は、とっくに実家に到着していました。何もいわないと航空便になってしまうらしく、船便指定もできるので、急がない場合はそっちの方が安くてお得です。

2006年6月27日

ジャマイカから国際郵便を送る

帰国も近づいてきました。荷造りも開始しました。持って帰えりたいものはあまりないんだけど、思い出の書籍だけは日本に送ろうかなぁっと考えていたら、これまで一度も日本に郵送をしたことがないことに気がついた。今更ながらどうやって送ればいいんだろう。過去にも帰国した隊員がいたので小耳には挟んでいたがいざ自分がやるとなると結構戸惑うもんだなぁ。

1.DHLと使う。
2.郵便局を使う。


DHLは自分の任地にないし、取りにもきてくれないので、却下。値段も郵便局の倍以上するらしい。
ということで郵便局。家からタクシーを使って5分、それから徒歩5分。重いダンボールを持ってあるくと、
「チャイナマン、ルックタイアード」(チャイナマン、疲れてるのか?)
なんて声をかけられる。ガキなんかは、チンチョンチャンセイなんていつもの調子。何年住んでも
変わらないんだろうなぁ。

で国際郵便についてなんだけど、自分の不手際で結局3回も郵便局に足を運ぶ羽目になった。
国際郵便を送るためには下記のことに注意しなけらばならない。

1.ID(パスポート、TRN(Tax Registration Number)、JOCVのIDでもOK)
2.ブラウンパーパーで箱を包まなければならない。
3.全部の面に宛名書きをしなけらばならない。
4.税関絡みがあるので、コーヒーの分量には気をつけないとならない。

よく箱を開けられて中身をチェックされるなんて聞くけど、自分の任地であるリンステッドではほぼノーチェックだった。まぁ、コーヒーも入れてなかったけど。

ブラウンペーパーは、リンステッドの本屋には売っているようだが、常に品切れなので、ハーフウェイトリーのヨークファマーシーで購入できる。(1ヤードあたり35JMD)

宛名書きはあらかじめPCをつかって、プリントアウトさせておくと便利。

2006年6月 3日

外国人に優しく

先日海に行った帰りにバスを待っていると一緒にボートに乗っていたイギリス人の車が目の前に止まって、乗りなよって言ってくれた。そのイギリス人はその夫婦と二人の子供の4人家族だ。子供は目が青くてお人形さんのようにかわいい。お母さんはとてもエレガントで優しかった。お母さんのくれたクラッカーはエレガントな味がした。お父さんはとても気さくな人だった。この家族は10年以上も前からジャマイカに住んでいて、ジャマイカで生活する上で言葉の問題とか自分と共通する悩みを抱えていて会話が盛り上がった。お互いジャマイカでマイノリティとして生活しているので何か通じるものがあるんじゃないかと勝手に考えちゃったりしたけど、こういうのってすごく嬉しくて、日本に帰ったら外国人に優しくしたいと思わせてくれた出会いだった。

2006年4月26日

久々の停電

前回の停電がいつだったか忘れてしまったが、停電は突然やってくる。原因は大雨が多く、大雨が降ると断水も併発する。今回は16時から19時までの間で、ラボも真っ暗。扇風機も当然止まってむちゃくちゃ暑い。暗すぎて何もすることもないので、ろうそくをたてて、本を読む。静寂。そして、蛍も飛び交う。雨季はもうそこまで来ている。これから停電が増えていくんだろうな。

2006年3月24日

本日の紙面から

モラルの低下がジャマイカを傷つける

という見出しで始まるかなり短い記事。ジャマイカの犯罪率はかなり高い(あいまいですんません)。その原因は主に貧困?それとも貧富の差?だというのがみんなの意見。ただ、ジャマイカ、平穏であるはずの学校内でも傷害事件は日常茶飯事。貧富の差の是正も大事だが、モラル教育も大事だよという記事。ジャマイカでは家庭がモラル教育においてあまり機能していないので、学校の担う役割は大きい。

原文はこちらから

2006年3月20日

ブルーマウンテン登頂

blueMtMar2006.JPGジャマイカ滞在1年9ヶ月目にして初登頂。出国前はこの山を登頂するために、寝袋やハイキンググッズを購入。登る気まんまんでした。


標高2200mのブルーマウンテン。その麓の標高1000mのところにあるロッジに荷物を預けて登頂時間をドミノをしながら待つ。山頂は寒いことが予想されるので、朝日が出るのを待つ時間を少なくできるように登頂開始時間を午前3時30分に設定した。夜の山道で迷子になるのも困るので、ラスタマンにガイドを依頼。平均登頂時間が4時間のところを2時間30分に設定してアタックする予定であった。

午前2時30分。ノックノック。
だれやねん?(怒) ラスタマン登場。朝3時30分って言ったやないかぁと、文句ぶーぶー。しかし、ラスタマンは今からいかんと、朝日に間に合わないとうるさい。しかたなく、予定より30分早い出発となった。

なにをあせっているのかラスタマンはグイグイ進む。2時間休みなく山頂へ。結局予定通りの2時間30分。朝日が出るまで40分近く待たされ、むちゃくちゃ寒い。もともと時間通りの予定だったので防寒装備も手薄。ラスタマンの計算能力の低さに怒りを感じながら待つも、雲がかかってくる。もう我慢の限界。

さ、帰ろうっと下りだした直後にうっすらを朝日が。おーーー。5秒間。

即効で下る。

これで一応出国前の目的は達成できた。もーいいな。めでたし、めでたし。
blueMtMar200602.JPG

2006年3月16日

ジャマイカ初の女性首相、今月末にも誕生へ

ジャマイカは発展途上国なんだが、女性の社会進出について言えば日本よりも進んでいる。出産後も働き続ける女性が多い。配属先の校長先生は男性だが、それ以外の管理職はほぼ女性で独占されている。そんなジャマイカでついに女性の首相が誕生する。(3週間前の党首選で決まっていたことだが)
発展途上国というと家父長制度のようなものが蔓延していて女性の地位が低いようなイメージがあるが、ジャマイカは全然別物。これだけ女性が社会進出しているので、ようやく初の女性首相誕生かという印象です。

CNNの記事にもなりました。

2006年2月17日

2004-2006 ジャマイカ

自分主催のワークショップを昨年の6月から始めたんだが、第1回ワークショップの参加者の一人スミス氏(ボグウォーク高校、IT教師)が質問があるんだと、突然やって来た。

この先生、第1回以降のワークショップには参加していない。土曜日の朝は教会に行かないといけないんだって。去年の6月から約8ヶ月間いろいろ試したそうだ。それでどうしてもわからないことを今日聞きに来たそうだ。


こういうのってすげー嬉しい。ワークショップやってよかったなぁって思う瞬間である。

2年間居て協力隊の協力って何か、自分の中でなんとなくわかり始めてきた最近。協力隊は人の派遣で、物資やお金を支援できません。支援できるのは隊員を通じたソフトパワー、例えばそれは技術だったり、知識だったり、作法だったり、文化だったり。活動1年目、言葉の面、経験の面で不利のある若輩協力隊員が支援できるソフトパワーなんてちっぽけなもんなんです。

自分の派遣にかかった経費をそっくりそのままあげちゃった方がその国のためになるじゃないか、と考えちゃったりもします。そんな大金をもらった配属先はさぞ喜ぶでしょう。配属先はいったいそれを何に使うんでしょうか?発展途上国においては特にお金の流れは胡散臭いものがあります。それに資金援助自体は別の制度でちゃんと存在しているのです。本当にお金が必要ならば違う制度で申請すべきで、隊員を呼ぶ必要はないのです。協力隊事業は「顔の見える国際協力」と「日本の若者の育成」なのです。僕ら隊員も途上国で学ぶことはいっぱいあるのです。

さて、アフリカと違って中南米、カリブ海の多くの国は発展途上国というよりは中進国と呼ばれていて協力隊による援助は必要ないと嘆きたくなる時があります。実際どんなもんなんでしょうか?

ジャマイカの一人当りGDP(名目) 3387.519ドル(日本円で約40万円)です。(注) 大雑把にこの値を一人あたりの国民所得と見てしまうと、ジャマ人一人当たり年間40万円の所得ということができます。物価は日本の8割程度で、決して安くありません。電化製品は日本より高額です。月間3万3千円で生活しているのでしょうか?

ともあれジャマイカのGDPは世界79位です。あるところにはお金があるのです。こういった中進国においてはむしろ資金援助ではなくて、ソフトパワーの援助が必要なんじゃないかと考えています。大学もあり専門学校も多いこの国において技術者もかなりいます。ただ、まだ未成熟な政治機構、社会基盤等のためエリートシステムが浸透していて金持ちに生まれた人が大学に生き、そしてエリートになる。エリートたちが自分たちの地位を維持するためそういう仕組を変えようとしない。お金は貧困層にはまわらない仕組が出来上がっているのです。

われわれの協力隊の仕事は、そういった不利な立場に居る人達に対して技術を移転していくことです。長い目でみると技術者の増加は競争を生み、良質の製品、価格低下に繋がると思うのです。教育の機会を増やして健全な競争の促進を助長することがわれわれ協力隊の援助なんじゃないかと思います。

ジャマイカの発展を考えた場合、やはり自国の工業化において他ありません。当然政治改革も必要ですが。ジャマイカの物価の高さは輸入品依存のためです。自国の製品があまりありません。電化製品からお米まで全て輸入品です。アメリカ製・日本製は高額なため、廉価な中国製品が出回っています。買ってもすぐ壊れてしまいます。自分の職種はコンピュータ技術で隅っこの方でジャマイカの工業化の一役を買っているんだと自負しています。ジャマイカはカリブ海がきれいで観光業が外貨獲得の手段です。ただ、ホテルの予約システムはアメリカの旅行会社に独占されています。ホームページデザイナーすら不足していて素敵な観光地が多々あるにも関わらず自ら宣伝できていません。今や検索エンジンから得られる情報は海外旅行には必須です。観光業をIT化し観光システムをスキップすることで獲得できる外貨を増やすことができるのです。こういったジャマ人WEBデザイナーを増やすには、小学校、中学・高校で生徒たちがコンピュータにアクセスできる時間を増やしてあげることなのです。ジャマイカIT隊員・メンテナンスチームは小学校に対して無償で修理を行っています。パソコンを1台修理することによって生徒のパソコン利用時間が長くなり、その中から一人でも多くの生徒が技術者になっていけばいいなと思います。

世界の全ての国が貧富の差がないようになれればいいのですが、災害、病気、気候、宗教、歴史、差別などいろいろな要素がそれを妨げています。また、国民一人ひとりを見ても一生懸命な人、怠け者がいます。一生懸命な人と怠け者を平等にすべきでしょうか?やっぱり一生懸命にならないと世界は発達しないと思っていますが。そういう意味で貧富の差は出てしまうけど、国家のあり方としては社会主義・共産主義ではなく、資本主義がいいのかなぁと思います。ただ、資本主義ってのはスタート時点で金・物・情報を持っているやつが勝つ仕組みになっているので資本主義で自由競争したら発展途上国が先進国に勝てるわけないんです。ITの分野はそれが顕著です。情報の南北問題なんていわれています。なので健全な競争をうまく取り入れて、敗者にもセーフティネットを用意してまたいつでも競争に加われる仕組みがいいなと思います。修正資本主義を進めた修正資本主義福祉国家なんていうのはどうでしょうか。

当然日本だけのことを考えていればいいわけでもなく、日本の発展を資本主義によって実現し、日本の製品を海外に買ってもらっている以上、資本主義によって生まれる貧富の差を埋める努力の必要があると思います。ジャマイカで走っている車の90%以上が日本車です。そういうギャップを埋める援助という意味も協力隊にはあるんじゃなかなぁと思うわけなのです。

その国に住む人にとって幸せとはなんでしょうか?

僕のジャマイカでの旅行はとりあえずあと5ヶ月で終わります。
その時、ぼくは何を思うのでしょうか。
もっといろんな所に行きたい、いろんな生活を見てみたいと思います。

自由とは平和とは何か、国家とは家族とは何か、柄にもなく考える今日この頃です。

(注)名目なので物価を考慮していないため日本と単純比較できません。また、GDPは海外からの送金を含まないため、それを含むともう少し豊かなのかもしれません。

2006年2月12日

扇風機壊れる。

朝起きると焦げ臭いにおいがする。車の排気ガスかなーくらいに無視して2度寝を試みるが臭いは強烈になる一方。昨日は「たそがれせいべい」を見て夜更かししちゃったので早起きはしたくなかったのだが。。。


ぼーっと立ち上がって臭いのする方へ歩く、ま、まさか。扇風機が強烈な臭いを発している。しかも去年の10月に買ったばかりの扇風機。結構高かったのに。扇風機なしで週末を過ごすのは、サウナの中で暮すことを意味するので仕方なく街へ買出しへ。一応保証が聞くか交渉する。たらいまわしにされた後、30日間の保証があるという結論を聞くことが出来た。一応保証があることに驚いた。30日っていう期間は初期不良に対しては保証するって意味なんだろうな。

去年の12月から週末はずーっと出かけていた。約2ヶ月くらい。弟たちがむちゃくちゃ部屋をきれいにしてくれたので、これが汚れていくのがなんか寂しいので、今日は朝から床を磨いたり、本棚を整理したり、洗濯をしたり。天気がいいと洗濯物がすぐ乾くので、気持ちがいい。本棚を読む本を前へ、もう読むことがない本を後ろへ整理していく。そんなことをしながら、そろそろちょっとづつ荷物の整理でもしとこうかなぁっと思った。何をするんでも残りの任期が気になる時期に突入しちゃったんだなぁと実感した一日だった。

2006年2月 5日

リンステッドを発つ日

myhouse2006feb2.2.jpg弟たちがリンステッドを発つ日がやって来た。ここでの日々はのんびりとそして穏やかであったと思う。買い物も気軽にできないこの場所で過ごした約3週間。彼らはここで何を思い何を感じただろうか。


myhouse2006feb2lizard.jpg出発の1時間前。お世話になったこの部屋を掃除し始める。そして最後の記念撮影。台所で洗い物をしながら二人を眺める。3人で過ごした時間が終わろうとしていた。何気ない1枚1枚が全部思い出なのだ。きれいなった部屋を見て、熱いものがこみ上げてくるのを感じて必死にこらえる。自分の旅立ちもこんな感じなんだろうか。
myhouse2006feb2slum.JPG

2006年2月 4日

ダンズリバー

P2030187_s.jpgジャマイカ2/3周の旅も終焉を迎えようとしていた。最後来たのは国内最大級のアトラクション・ダンズリバー。朝から雨で推量は通常の1.1倍(たいした変わらんけど)。寒そう。弟たちにも疲れが見えてきたのか、なんとなくしらけムード。ぶっちゃけどーなのよ?


やはり血は争えないのか。以前母もかなり楽しそうにこの滝を登ったものだが、弟もまるで忍者のように滝を駆け上る。結構楽しんでるじゃん。
P2030183_s.jpg

こうして全日程が終了した。こういう機会がないと自分も国内旅行をしないので、本当に楽しかった。

帰宅後泥のように眠る弟。
P2030190_s.jpg

海辺で乗馬

馬を借りて丘を下る。そして海風吹くビーチで馬を走らせる。これって素敵じゃない?

horseBack2006-02-03_02.jpghorseBack2006-02-03_01.jpg

ナインマイルズ(ボブの生家)2

9miles2006-02-03_05.jpgいろいろあったが、せっかくここまで来たので覗いていくことにした。こっちのラスタマンはかなりいい奴で、逆撫でされた心がすーっと落ち着いた。

ボブが暮らした家、ガンジャを吸うときに良く座った石。13歳までしか居なかったというが、既にここでガンジャを吸っていたんだろうか。いろいろ歪曲されていそうだが、とりあえずガイドのおっさんは終始いい感じだった。

9miles2006-02-03_01.jpg9miles2006-02-03_06.jpg9miles2006-02-03_07.jpg9miles2006-02-03_08.jpg
ナインマイルズの幼稚園。校舎も机もラスタカラーだ。
9miles2006-02-03_02.jpg9miles2006-02-03_03.jpg

ナインマイルズ(ボブの生家)1

ナインマイルズの道行く人たちは手を振ってくれる。なんか感じのいい町だ。僕らはボブマーリが生まれた町ナインマイルズを目指していた。細くそして荒れた道を進み、ナインマイルズという標識を見たとき、やっと着いたかとほっとした。そして、寄ってきたラスタマン風の輩の指示に従ってノコノコとついて行ってしまったのだ。は、はめられた。そ、そうです。奴らは偽ラスタだったのです。


9miles2006-02-03_04.jpg最初からよーく話を聞いていればと思い出すとかなり悔しいが、所詮後の祭り。とりあえずボブマーリプランテーションに連れて行かれた。途中から怪しくなって値段交渉をすると「後で、後で」と言い出す。まぁ、いっかぁ、と思っていたら見せられたプランテーションはわずか3平方メートル程度のガンジャ畑。てめー、ふざけんなよっと思ったがこれから生家を見せてもらうので堪えていた。見学時間5分。そして彼らは言った。「4000JMD(8000円)出せ、そしておれらはガイドじゃねー、お前らは不法に私有地に進入した。」

「カッコーン」
切れたね。てめー、フザケンナと最終的には戦闘も視野に入れて根気よく交渉が始まった。

オレ「とにかく払わねー」
偽ラスタ「うるせー、見たんだから払え」
オレ 「がっかりだ、しつこい。とにかく時間の無駄だ。お前らのせいでボブマーリにはうんざりだ。(終了)」
偽ラスタ「覚えてろ!!」

いったんボブの生家に退却。オフィシャルガイドに助けを求めるが取り合ってくれない。生家を見終わってからダッシュで帰ろうと考えてたが、セキュリティもグルになって帰ろうとしているところを偽ラスタに密告している。くそー、なんなんだよ、こいつらは。これ以上関わると嫌な思いをするか戦闘をしないといけない事態になっても困るので、小金(250JMD、約500円)を渡して帰ってもらった。本当は払うべきではないのだが、旅は続くのだ。最小限で済んだと納得するしかなかった。

しかし、まわりのジャマイカ人は誰も助けてくれない。払わなくていいって言うだけで、追っ払ってくれもしない。こういう場合警察は助けてくれるのだろうか。それとも警察を呼ぶぞという脅し文句は効果的なんだろうか。

とにかくボブマーリプランテーションには行かないほうがいい。小金で済んでも十分へこませてくれる連中だ。

2006年2月 3日

ココナッツウォーターでワンストップ

coconuts2006-02-03_01.jpg
いつでも飲めるからなんて言っているうちに一滴も飲まずに弟たちの滞在期間の半分以上が過ぎ去ってしまった。最初にココナッツの一部を削ってココナッツウォーターを頂く。次に真っ二つにカチ割ってその中ゼリー(ナタデココ)を食べる。若いココナッツの方がプルプルしていておいしい。

ファルマスで夜光虫

夜光虫という微生物がファルマスに居て、海水を掻き回すとものすごく光る。これは不思議な生き物だー。ナイトボートツアーが夜9時30分まで運行中。ボート・キャプテンのおっさんもノリノリでかなり楽しい。夜光虫もきれいだが、ボートから見る星空も素敵だ。水着を持参して、夜光虫と泳ぐのも一興だ。(ちっちゃいカメハメ波はうてるようになれる。)

モンテゴベイでワンストップ

Mobay2006-02-03_02.jpgモンテゴベイは観光地なので、お決まりのコースを連れて行った。

写真はボブスレーカフェにて。

たぶんジャマイカで一番外国人に有名なビーチは写真のドクターケイブだと思う。シャワールーム等の設備がしっかりしているし、ビーチの清掃も行き届いている。ただ、入場料300JMDは高すぎるんじゃないのー。(近くのホテルに泊まっている人は無料)景色は綺麗なので、写真だけ収めたい場合は、すぐ隣にカサブランカホテルのカフェがオープンしているので、そこでビールを頼んで本でも読みながらゆっくり過ごすのもいい。


Mobay2006-02-03_01.jpgMobay2006-02-03_03.jpg

リックスカフェ

RicksCafe2006-02-02_01_s.jpgジャマイカ最西端の町ネグリルにリックスカフェという日没を一番きれいに見られるカフェがある。今回見たサンセットは最高だった。

RicksCafe2006-02-02_03_s.jpgリックスカフェと言えばサンセットなんだけど、別の意味でも有名なのである。それは「飛び込み」。このカフェは崖の上にあって、見下ろすと12,3メートル下に海面があるのだ。深度もあり、飛び込み台まで設置されている。チップをもらうことを目的とした「飛込みマン」やそれを真似する少年、そして一般の人も飛び込むことが出来るのだ。「チキン、チキン(臆病者)」っと飛び込みを煽るジャマ人、そして300人を超える大観衆。アジアを代表して男になるしかないでしょう。まずは下見に飛び込み台から下を見下ろす。
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「ひゅーーー」
「こ、こえー」

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若干ビビッていると、ジャマ人どころか、スペイン人のガキまでも煽り立てる。なろー、侍スピリッツをみせてやろーじゃねーか。上着を脱いで、3秒。ぬぬーー。なかなか一歩を踏み出せるもんじゃないねー。一呼吸おいて、いきなり、とーーー。

おーーーー、落ちる速度はえーーー。

頭から飛び込めなかったけど、とりあえず日本男児の意地をみせることができました。
RicksCafe2006-02-02_02_s.jpgRicksCafe2006-02-02_06_s.jpg日没後刻一刻と色を変える夕焼け空を目に焼き付ける。

途中下車の旅

ジャマイカの南海岸を走っていると突然心を奪われるような景色に出くわすときがある。そんな時は迷わず「ワーンストップ」。途中下車こそ旅の醍醐味なのです。
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Road2006-02-02_02.jpgRoad2006-02-02_05.jpgRoad2006-02-02_01.jpgRoad2006-02-02_04.jpg

海に浮かぶレストラン ペリカンバー

不思議なレストランがある。海に浮かぶレストラン。いやいやいやー。そんなのあるわけないでしょー。ハリケーンとかあるしさ。ということで確かめに行ってきました。

perican2006-02-02_02.jpgえーーーーーーっ。
なんじゃこのボロイ小屋は。ブラックリバーから少し南下したパロティビーチというとろから船で3分。海に浮かぶボロ小屋がのそっとたたずんでいた。なんつーか、だからどうしたとか、海がそんなきれいじゃないとか、そんな問題じゃなく、なんか不思議な感じ。そしてそこのオーナーのおっさんもいい感じで、ご飯もおいしい。ありでしょー。太陽を浴びながら本を読んだり、ランチをゆっくり楽しみたい。
perican2006-02-02_01.jpgperican2006-02-02_04.jpgperican2006-02-02_03.jpg
パロティビーチからの船代 一人500JMD
料理代 ランチ500JMDくらい
事前予約が必要。

リトルオーチ

LittleOch2006-02-02_02.jpgマンデビルから車で1時間南下したところにリトルオーチと呼ばれるビーチがあり、シーフードを満喫できる。さらにそこで獲りたての魚、カニ、ロブスターを買い付けることができる。


LittleOch2006-02-02_03.jpg同期隊員のNobyさんのガイドでシーフードを楽しみ、カニとロブスターを買い付ける。
カニ9匹で350JMD(約700円)
ロブスター6匹で1800JMD(約3600円)

Nobyさんは料理の名人。週末に2泊させてもらったんだけど、初日はキムチ鍋、そして翌日はカニの塩茹で、ロブスターの刺身、天ぷらと極上の品々をご馳走してくれ日本から来た弟達も感激していた。ロブスターのてんぷら、ロブスターかき揚げはジャマイカを離れたら2度と食べられないんだろうなぁ。
LittleOch2006-02-02_04.jpgLittleOch2006-02-02_01.jpg
訪れるたびにそのホスピタリティに感動させられます。

ハイマウンテンコーヒー10キロレース

HighMt10k2006-02-02_03.jpgマンデビル近郊で行われたこのレース、アジアを代表して参加してきました。アジアからの登録は4名のみ。ふ、レゲエマラソンを完走したおれらには短距離にしか思えないぜ。

参加費無料。午後3時30分スタート。


HighMt10k2006-02-02_02.jpgとはいえ、難コース。最初の3キロはずーっと登り坂でスタートダッシュをかましたジャマ人がどんどん脱落していく。残りの7キロは下り坂と上り坂が交互に続く。まぁ、いくら上り坂がきついとはいえ、たったの52分間、苦しいのは肺。ゴールした時は息がゼイゼイ。無料のレースとはいえ、2キロ毎に給水もありしっかりしている。完走Tシャツとハイマウンテンコーヒーがもらえるのが嬉しい。
HighMt10k2006-02-02_01.jpgHighMt10k2006-02-02_05.jpg


毎年恒例になっているようでサウンドシステムによる大音量ミュージックが深夜まで続きそうな雰囲気で大人から子供まで大勢の観客で賑わった。
HighMt10k2006-02-02_04.jpg

3ぶんの2しゅう(2/3) ジャマイカの旅

jamaicaGetsJan2006.gif弟とその友達が遥遥日本からやって来た。そして自分もジャマイカ在住1年半。
ジャマイカ3分の2周旅行はむしろ遅すぎるくらいだぜ!!

ハイマウンテンコーヒー10キロレース、ロブスターのてんぷら、海に浮かぶレストラン、ネグリルのサンセット、ファルマスの夜光虫、ボブマーリ博物館、ダンズリバー、怒涛の5日間だ!!

2006年2月 1日

テイスティング

STasting2006-02-02_03.jpg弟は調理師である。専門は中華。生徒が弟の料理を食べたいというので食べさせてあげることになった。しかーっし、ジャマイカ人の食に対するストライクゾーンの狭さったら類をみない。まさにピンポイントの調味が必要とされるのだ。鳥料理といえばフライドチキンのこの国で、果たしてジャマイカ人を唸らせる鳥料理を作れるのか。


生徒が出したお題は「チキンチョップスイ」。

弟「いや。。。その料理しらないんですけど。。」

とりあえずそれを食べたことがある料理通の協力隊員に速攻で連絡。味付けを確認する。

S隊員「甘辛野菜炒め」
弟「。。。。。」

全くイメージが沸いていないようだ。ならばインターネットで検索だ。ここで
兄が登場。検索ならまかせなさーっぃ。
「西洋風中華どんぶり」、これがネットの答えだ!!

ま、あんまり参考にならなかったみたいなので、甘辛八宝菜とうテーマで作ってもらった。

そして、生徒がやって来た。いったいどんなコメントを言うのか、みんなその第一声を見守る。特に自分のカウンターパートを中華料理店に連れて行ったとき、こんなもんは食いものじゃないなんて騒ぎ立てたので、かなり緊張。唾を飲む。

生徒「てぃすぐー、べりーないす」(おいしい、とてもおいしい)

みんな「ほっ。」

これはかなりうれしい。
調理師の意地をかけてジャマイカ人の彼女らのストライクゾーンを捉えたのだった。
今度はオレの必殺のお好み焼きで勝負じゃーっ!!

2006年1月25日

ポートランドへ

Porty2006-01-23_02.jpgポートアントニオに行けば、やっぱりロブスターレストランかな?


Porty2006-01-23_06.jpg翌日は映画カクテルの撮影現場になったリーチフォールへ。公式には閉鎖になっていて進入しようとすると阻止される。それを振り切って前進するとリーチフォールに達する。途中の道はまるでジャングルのようだ。
リーチフォールは単なる滝なんだけど、公式には閉鎖しているのになぜかガイドが居て案内してくれる。水が透明で崖から飛び降りたり、洞窟をくぐったりとジャマイカ最大のアトラクション・ダンズリバーよりもエキサイティングだった。
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その帰りにロングベイというビーチへ。ピザがなかなかおいしいと評判で、実際ピザハットよりはおいしかった。
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最終日はボストンベイのジャークポーク・センターへ。発祥の地と一応なっているので観光化されているが、味に大差はない感じがする。日曜の10時頃に行ってみたが、まだ始まっていなかった。
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2006年1月24日

やっぱボブマーリーかもよ(Bダッシュ)

Porty2006-01-23_03.jpgジャマイカといえばボブマーリー。キングストンと言ったらトレンチタウン。レゲエでジャマイカを結びつけると、すぐにこれらのキーワードが思い浮かんでも仕方がない。しかーっし、ジャマイカはそんな旅行者の夢をあっさりへこませる事件がいっぱい起こっているので要注意。注意しながら出会ったボブマーリ像との記念撮影はかなり嬉しい。

2006年1月14日

弟がやってきたぜ 2

弟がやってきた。ついて早々の強行日程。朝日がまぶしいぜ。S_Jamaica03_2006-01-16.jpg


1月11日
飛行機で1時間遅れ。入国審査では英語が全くわからずかなり苦戦。その日は首都にいる友達の家に泊めてもらう。友達はジャマイカンビール「レッドストライプ」出してくれたり、朝食を作ってくれたりして、ありがたかった。

1月12日
両替所でUSドルをジャマイカドルへ。それからスーパーで早くもおみあげを購入。コーヒーミルで一息してから自分の任地リンステッドへ。橋が工事中だったためスライゴビルという迂回路へ。通常キングストンから2時間もあれば到着するところを3時間近く要した。弟たちはジャマイカ人の狂気の運転にびっくりしていたようだ。なにせ、山道平均時速80キロでぶっとばすから。

1月13日
二人に同僚のカーク君を紹介。日本人好きのカークは大喜びで「中国人か?中国語を話すのか?」と質問攻め。日本人の弟が中国人になる彼の発想は理解しづらいよ。
午後にキングストンに移動してデボンハウスに行ってアイスを食べ、ホテルフォーシーズンに宿泊。弟たちは最後のお湯シャワーを満喫していた。その夕方ゲーセンに行き、弟の一人勝ち。あれはすごかった。

1月14日(長い一日)
S_Jamaica02_2006-01-16.jpgS_Jamaica04_2006-01-16.jpgS_Jamaica01_2006-01-16.jpg

2006年1月13日

弟がやってきたぜ。

母と同じトロント経由で弟がやってきた。全く英語がわからんかったというが、トロントで1泊しちゃんとやってきたんだからたいしたもんだ。リゾート地のジャマイカではなく、リアルジャマイカを体験できる体力と勇気が弟にはそなわっているので、とことん堪能してもらいましょう。弟の滞在期間は1ヶ月。この年になって弟とこういう時間を過ごせる自分は幸せ者である。とりあえず初日は「スラムダンク、それから10日後」の話で盛り上がった。

2006年1月11日

リンステッドにあのファーストフードが。。

「Comming soon」という看板を見てから1年と2ヶ月。ついに「マザーズ」というファーストフード店がリンステッドにオープンした。ここの「フルハウスパティ(レタストマトお肉のパイ)」がおいしいんだよなぁ。これで、KFC(ケンタッキー)、ジューシーパティズ、そしてマザーズ。中華もあるし。もう単なる片田舎とは言わせねぇぜ。マザーズがある片田舎と呼んでおくれ。ふふふ。ちなみに銀行は2つもあるぜ。

2005年12月10日

写真で振り返るレゲエマラソン

9506-018-029tgoal.jpg大会事務局から写真が送られてきた。さすが外資系が仕切ると仕事が早い。

ゴール地点は笑顔がもれる。


9506-014-013tstart.jpg暗い。スタート地点はたいまつで照らされ、太鼓の音が響き渡る。朝5時15分のスタートのピストル音を聞くまで十分すぎるほど緊張感と興奮を掻き立てられる。レゲエマラソンならではの空気である。

9506-028-021t13miles.jpg13マイル地点。ようやく半分か。意外と快調でこのままなら4時間前半でゴールできるかもと楽観的だった。太陽もジリジリと体力を奪い始める。

9506-045-007t21miles.jpg22マイル地点。カメラマンがいることに気づいていたが、走ってるふりもできず。一番厳しい時間だった。

2005年12月 2日

困ったヤツ

新しい同僚(カウンターパート)ができて2ヶ月が経った。CISCOアカデミーで1年鍛えられているので、口は達者だ。ジャマイカ人でLINUXを使えるやつは珍しいが、WINDOWSネットワークを全然理解してないし、サブネッッティングも分かっていない。よくCISCOのコースを修了できたもんだよな。

コンピュータの知識はある程度あるにしても、困ったことは、彼が「辞めたがり」なのである。この2ヶ月間の間で既に2回辞表を書いている。辞めたい理由は、誰も自分を尊敬してない、だって。いやー、エンジニアなんて裏方の職業なんだよって言って聞かせるが全然ダメ。今日2回目の辞表を書くと言い出したので、慰めはしたが止めはしなかった。日本に居た時もそういうヤツがいたよなぁ。ちょっと自分の気に食わないことがあると帰ると言い出す輩が。ジャマイカでも居るんですよ、困ったヤツだ。


という自分も同僚のレベルと給料から比較して、全然ハイレベルで仕事量も倍近くこなしているのに、仕事の評価はない。当然のように思われている感じが納得いかなくなってきている。エンジニアが裏方の仕事だからとはいえ、待遇で誠意を見せてもらえない上、給与で評価してもらえないということは、モチベーションが下がる一因である。やってもやらなくても評価は一緒。ボランティアだから仕方ないとはいえ、自分を突き動かすのは自己満足以外何ものでもない。

自分は3代目だが、協力隊の派遣は3代目までが限度だろうなと思う。

2005年11月29日

今日のジャマイカ人

同僚とI隊員と昼飯に行く。自分の町にも中華料理店があるらしいのだ。しかも家から結構近くて、毎日朝の10時から夜の9時まで営業というフル稼働ぶり。中国人の働きぶりには頭が下がります。同僚は根っからのチキン好き。自慢話では、最高20ピースのケンタッキーを1日で食べたとか。要は、チキン以外に興味はないということ。

自分の任地にいると外食はほとんどしないので、せっかくの機会だと思って、マーボー豆腐とスイート&サワー・スープ(甘くて酸っぱいスープ)をオーダー。同僚は野菜炒め、I隊員は青梗菜炒めをオーダー。味はまずくはないが、中華から掛け離れている感じ。ただ、選択肢がないので、これからお世話になるに違いない。

さて、チキン好きな同僚。初めて中華を食べた最初の一言。
「大っきらいだ、これは食べ物じゃない」
。。。。店内でしかも大声でいうなっちゅーの。

同僚だけではなく、たいていのジャマイカ人は新しいものを食べるとき、ホントに少しづつ、まるでリスがクルミを食べるようにする。食に対してはとにかく保守的。だから、ジャマイカは食文化が貧弱なんだろうな。

2005年11月18日

母上がやってきた。2

日本から見るジャマイカ。ジャマイカから見るジャマイカ。観光地はジャマイカの一部でしかなく、観光地と観光地の間は、間違いなく発展途上国なのである。そういったところも見てもらいたくて隊員の居る学校や、自分の学校に連れて行った。自分には、「もう」きれいなホテルや町並にしか見えなくても、日本から来た母には「きれい」には写らなかったらしい。

自分の家に一泊してもらった。運が悪く、断水・停電で要らぬ心配をさせてしまった。断水後、ちょろちょろっとでた僅かな水道水をペットボトル入れる自分の姿を見て、目を真っ赤にしていた母を忘れられない。「住めば都」と何度も言い聞かせたけど、やっぱり日本から見るとかなり悲惨な光景に写って仕方ないみたいだ。


自分ひとりで生きていくために強く生きていこうと心に誓って22歳で親元を離れて東京へ。転職をした時期が一番厳しく、それを乗り越えるために、自分の中にある「弱さ」や「センチメンタル」を封印して30歳になった。仕事の忙しい時は、職場と家の往復だけの毎日でかなり無機的な生活を送っていたかも知れない。協力隊でジャマイカに来て、楽しい協力隊の仲間や職場のジャマイカ人に囲まれて、生活が有機的になっていたのかもしれない。柄でもないけど、母に逢えて嬉しかった。母の友人が母を連れてきてくれて嬉かった。母上ご一行にジャマイカを最大限満喫してもらうため、協力隊の仲間が最大限のサポートをしてくれて嬉しかった。たった4日間だったけど、ジャマイカに来て一番嬉しかった。転職のときに封印した「弱さ」や「センチ」が母の来ジャマイカで飛び出しちゃったのかなぁ。母とその友達が北海道の言葉で話をして、持ってきてくれた日本食を食べて、そのやさしさに触れて。マジで柄でもないけど、母上ご一行がジャマイカを出国した後、切なさが爆発して、残り8ヶ月ちょっとなげーなぁとか、早く北海道に帰りたいなぁとか思ってしまった。こういうのってノスタルジーって言うんだろうな。まぁ、そういうことを気づかしてくれたのは、ジャマイカでの生活、協力隊生活なわけで、、、
あと8ヶ月の間に日本では経験できないことがもっといっぱいあるに違いない。(あるといいなぁ)


ミスチルのcandyを聞きながら書きました。

2005年11月14日

母上がやってきた。

母がジャマイカに上陸した。友達の子供が引率してくれたので、普通にやってきた。「母親は強し」ということなんだろう。入国審査では、「フライト チケット」を見せて欲しいと言われたのを理解できず、「フライド チキン、ノー」っと意味不明な会話で入国審査英会話を堪能したらしい。ジャマイカ料理は、まずいと事前に伝えておいたので、意外と食べられると言って満足そうだったのを見て少しうれしかった。

自分の任地につくと、長旅でつかれているのに、掃除をしてくれたり、ご飯をつくってくれたり。荷物は大きなバック4個に日本食を大量に詰めて、重い思いをしながら自分のために持ってきてくれた。その中に新米のコシヒカリと鮭フレークがあって、マジ旨だった。感極まって涙があと一歩のところまで押し寄せてきた。いやー危なかった。はっきり言って、ジャマイカで1万円出して食べるレストランの料理よりもおいしいんじゃないかなと思った瞬間であった。おいしさは値段じゃないんだよなー。

2005年11月11日

母上がやって来る 2

母が来ジャマイカの日まであと2日に迫ってきた。モンテゴベイから来てモンテゴベイから帰るという4日間。ジャマイカは狭そうで以外と広い。4日間で全てを回るのは不可能なので、北海岸をさらりと回ってもらうコースを選んだ。コースの選定には、他の隊員にも手伝ってもらっているので、協力隊ならではというツアーになっている。気に入ってくれるといいんだが。。
エビを捕りに連れて行ってあげられないのが残念だ。

2005年11月10日

ピースコからのお誘い

ピースコのIT分科会が北海岸ランナウェイベイのオールインクルーシブ・ホテルで行われるので、それに招待したいというお誘いがあった。しかもオールインクルーシブの一日券(デイパス)まで用意しくれるそうだ。かなり行きたかったのだが、都合がつきそうにない。ここ一年でピースコとJOCVのITはかなり接近している。特にピースコ側からの接近が多いのだが、この背景について想像してみた。


ピースコとの接近は今に始まったことではない。個別には昔から繋がりがあるのだ。特に語学の堪能なJOCVの場合それが顕著にみられた。しかし、最近の動向は個人レベルに留まっていない。前回はある会場までのバスを用意してくれたり、今回はオールインクルーシブのデイパスを用意と予算を充当しているのである。JOCVとしては、ピースコと共同してできることがあれば刺激にもなるし、英語の勉強にもなるので、あまりデメリットは見当たらない。ピースコの連中は意外といい奴が多い。これは単なる国際交流だけなのだろうか。それともその裏には何かある?

1.JOCV_ITには語学の堪能なシニア隊員がいて、各隊員への連絡係もしてくれているので、ピースコも連絡しやすい。
2.ピースコのITは、コンピュータの訓練を受けていない。
3.ジャマイカのJOCVは最近ジャマイカ人向けにワークショップを多数開催している。

今回招待されたピースコの会議の題目が「ITAG Training Meeting」という今後のピースコ自身の研修を考えるないようらしく、JOCVで行われるワークショップを利用したいのではないかと考えられる。無料だしね。

JOCVの中には、ジャマイカ人のためのワークショップなので、ピースコを呼ぶのはどうかという疑問の声もあるのだが、自分的には、せっかく頑張って準備したワークショップには、人種を問わずやる気のある人に参加して欲しいなと思う。たまにはアメリカ英語も聞いてみたいってのもあるし、ジャマイカ人以外の人を呼ぶことで、ワールドスタンダードなワークショップにしようという刺激にもなる。どうせ時間をかけて準備するなら何度でも、どこででも使い回しのできるものを創造したい。

2005年11月 7日

母上がやって来る。

海外に行ったことのない母がジャマイカにやってくる。すごく勇気がいることだと思う。ジャマイカに来るためにはどうしてもどこかで乗換えをしなくてはいけない。さらには、そこで宿泊もしないとならない。しかも英語話せないし。大丈夫かなぁ。入国審査とかも厳しかったり、預け荷物がなくなったり、飛行機のゲートが変更したり、そういったトラブルがなければいいなぁと願うばかり。親切な人が助けてくれるといいなぁと思う。日本に帰ったら、空港や駅で困っている外国人がいたら手助けしてあげたい。

自分の初めての海外旅行は18歳の時だった。パスポートを取りにいったり、航空券をとったり、社会との接点がなかったので、全てが新鮮でびびりまくっていたことを記憶している。北海道から羽田、成田に行って。羽田と成田の違いもよくわかってなかったし、一人で不安だったし、スリの被害にあわないように、外国人とは目をあわさないように全然楽しめなかった気がする。結局、アメリカに行って、日本人とつるんでいる時間が楽しかったなぁ。英語も全く通用しなかったし、受験勉強であんなに勉強したのに、道を聞いても通じないし、答えも何を言っているかさっぱりわからなかったなぁ。常にドキドキしていて、スリル満点。10年以上前の話です。

2005年10月26日

extortion(ゆすり)

不良品の返品のためにキングストンへ向かう。何度も取引しているのでお店の駄目さは知っているが、返品を認めてくれるだけありがたい。キングストンが簡単に行ける所ではないのがネックだけど。今日も会計部長と一緒で、朝はフライドチキンをおごってくれて、お昼もフライドチキンをおごってくれた。ジャマイカ人は3食フライドチキンでも大丈夫なんだろうな。
店に着くと、聞いてない話を定員はしてくる。事前に言ってくれよという怒りは込み上げてこなかった。ジャマイカでは賢い客にならないと正当なサービスを受けれないのだ。多くのお客さんが泣き寝入りしているんだろうなと思う。結局金曜日にもう一度来ることで落ち着いた。後何回行くことになるのだろう。。

会計部長と一緒に行くといいことがある。普段は怖い人だが、コンピュータのことが良くわからないのか、定員と「これ高いな」とか話していると、「欲しいのか」って聞いてきて買ってくれるのだ。今回は、故障したADSLモデムと小型UPSを買ってもらった。通常の予算申請書、見積書等を提出しないといけないのをスキップできるので、超裏技である。

ハリケーンWILMAというのが先週ジャマイカ全土を覆っていたため、道路が荒れている。そのため、キングストンへは遠回りをしないといけないのだ。政府によると自己責任なら通っていいよという道がある。自己責任以外何があるのか不明だが、きっと荒れた道を整理しているのでしょう。ここで、それを利用した道路封鎖屋が現れて自己責任で通ろうとするものにお金を要求するのである。道路はタイヤや大きい石などで道路封鎖屋によってブロックされていて、自己責任でとおりたくても、お金を払うか、自分で大きな石やタイヤを移動させなければならない。なんともジャマイカらしいビジネスである。でも、これって違法だよな。

こういうのを英語ではextortionっていうそうな。。。

2005年10月17日

モスキートハウス

連日の雨で家の中に蚊が大量発生。少なくとも30匹は仕留めたがまだまだ居そうな感じ。外から入ってきてるとしか思えないが。終わりが見えないので、久しぶりに蚊取り線香を焚いて寝ることに。果たして今晩、快眠は得られるのだろうか。。

2005年10月11日

National Hero's Day 2005

PA130001_s10132005.jpg去年も居たので特に新鮮味はありませんが、ジャマイカの祝日で3連休です。ジャマイカの学校は、12月で1学期が終わるので、この時期を中間休(Mid-term break)と呼び、木曜日は仮装行列、金曜から月曜日まで4連休です。

仮装行列と言っても、部活のユニフォームを着たり、持っている人は民族衣装を着たりする程度で特筆すべきところはありませんが、学生の盛り上がりようは見ていて楽しいです。自分が高校生だった時の仮装行列のしらけムードといったら。。弾けるためにアルコールを必要としない学生たち、いい感じです。ラボで騒ぐのはやめてね。。。

2005年10月 5日

海外に住むお好み焼き好き 必見!!

ここ最近週5でお好み焼きを食べていた。気づいたらおたふくソースがほぼ無くなってしまい、オイスターソースが代用になるかなぁなんて思っていて実際使ってみたら全然駄目。やっぱお好み焼きはソースとマヨネーズが生命線だな。週5で食べていくとなるとおたふくソースが何本あっても足らない。おたふくソースの切れ目が、お好み焼きの切れ目。

そんなこたー、認めねぇ。

つーことで自作ソース作成のため、ネットで検索。数は少ないもののやっぱりありました。まだ試していないですが、今度自分流にアレンジしたレシピも公開します。(他の料理を覚えろっと突っ込まれそうですが。。。)
このブログを読んで試してみた方は感想とアドバイスを下さい。


トマト (400g) -すり潰す
りんご (200g) - すり潰す
玉ねぎ (10g) - すり潰す
にんにく (1g) - すり潰す
塩 (50g)
黒コショウ (適量)
適当な香辛料
ケチャップ (30g)
マヨネーズ (20g)
砂糖 (200g)
酢 (100g)
醤油 (20g)
KECAP MANIS (10g)←インドネシア料理で使うやつ(甘醤油みたいなもの)。
デンブン (35g)
水 (250-300g)
赤唐辛子(1~2本)

1. 大き目の鍋に全部ぶちこんで、基本的に中火でひたすらかき混ぜる。
2. 沸騰する一歩手前(97度くらい)で火を止める。沸騰してしまったら台無し。
3. 丹念に、こす。
4. ブレンダーにかけた後、直ぐに保存用のビンに移す。
5. 1~2週間寝かす。
6. 味見をして足りない調味料を足す。


このレシピは下記のページを参考にしています。
http://mk22.com/archives/000203.php

おぉ! 本格的なおたふくソース!! すごいっすねー。作らはったら味見してぇー。

ところで、ふふふ・・・、あるんですよ、簡単おたふくソース作成法 in Jamaica。『Eaton'sのWest Indies Papaya Chutney』(?)っていう、12oz80ジャマぐらいの安物のジャムがあります。これ、開封してしばらくは、ものすごくおたふくソース臭がします。で、これにオイスターソース(orそれに似たソース)等を足して煮込む→味見調整すると、おたふくソースです。完全におたふくソースではないけど、かなり近いので手間のかからなさを考えればメリットあるかも。
長文失礼しやした。一応の報告です。

2005年10月 4日

インフラは無償で提供する。

現在隊員連絡所のルーター、スイッチ、ハブ、LANケーブルが老朽化していてADSL下り1Mにも関わらずダイアルアップより低速に感じる。

確かに使える。しかし改善できる余地があるものをそのまま放っておいていいのか?
そこで、ジャマイカ3人のIT隊員が隊員連絡所のインターネット環境に立ち向かった。

♪風の中のすばる、砂の中の銀河♪
♪みんなどこへ行った、見送られることもなく♪

無線アクセスポイントの導入という案でまとまった。隊員連絡所内の配線を整理出来るとともに、10BASEリピータをSKIPすることで高速化を図ることができる。しかし、機材の投資にはお金がかかる。3人で負担する場合、個人の負担は、3000円近くになります。が、改善チームT隊員はいう。

「LANっていうのは、空気みたいなもんなんです。インフラは無償で提供する」

♪風の中のすばる、砂の中の銀河♪
♪みんなどこへ行った、見送られることもなく♪


。。。アクセスポイントには4Portsあって有線も排除しない形になっている。なので、有線も10BASEをSKIPすることになるので、当然高速化。

I隊員はいう。

「LANを道路に例えれば、有線LANは一般道、無線LANは高速道路なんです。」

全然、無償で提供する気ないやんか!っとつっこまれそうですが、全くそのとおりです。(笑、プロジェクトX風にお送りしました。)

♪風の中のすばる、砂の中の銀河♪
♪みんなどこへ行った、見送られることもなく♪

第111回 4月15日放送から 「家電革命 トロンの衝撃」

 携帯電話、デジタルカメラ、カーナビゲーション。日本が世界をリードする多くの製品を動かす基本ソフトがある。トロン。世界で最も使われている基本ソフトの一つである。

 昭和59年、トロンを考案したのは一人の日本人学者だった。東京大学の坂村健。パソコンから家電まであらゆるもの動かせるよう設計した。「基本ソフトは情報化社会の基盤。空気や水と同じ」と考えた坂村は、トロンの仕様書をなんと全世界のメーカーに無料で公開。たちまち内外140社が集まりプロジェクトが結成された。大手メーカーは次々とトロンで動くパソコンを試作。誰でも簡単に使える分かり易さと軽快な動きで評判となった。

 しかし、平成元年、そこに超大国アメリカが立ちはだかった。日本に対し、小中学校で使うパソコンの規格をトロンに決めるなと迫ってきたのである。自動車やVTRで日本に圧倒され巨額の貿易赤字を抱えたアメリカは、輸入制限や報復関税の制裁措置をちらつかせていた。メーカーは次々とトロン・パソコンから撤退を余儀なくされた。まもなく世界市場を制したのはウィンドウズだった。パソコンの心臓部を握られた日本メーカーの利益率は低下し、基本ソフトを持たない弱さを痛感させられる。

 窮地に追い込まれたトロン・プロジェクト。しかし、坂村と技術者たちは諦めなかった。「もの作りには自由に改良できる自前の基本ソフトが欠かせない」と各地で技術者たちに訴え、トロンのバージョン・アップを重ねた。逆境の中で技術立国のもの作りの将来のために闘い続けるメンバーの情熱は、革命的な新商品との運命的な出会いを呼び込んでいく。

 日本発信の世界的基本ソフト・トロン。育て上げた男たちの執念の逆転劇を描く。

2005年9月18日

何もないから。。

協力隊に来る前の技術補完研修でOBから50円の注射が打てなくて失われていく命がある話を聞いた。そして、そのOBは協力隊の若造じゃなきゃできない仕事があるって熱く語っていたのを思い出した。あの時、自分はすごく感動したことを覚えている。

語学力が満たないから、技術力が足りないから、力不足だから、そして何もないから、それを埋めようと必死になっているのが僕らだと思う。自分には何もないから自分にでもやれることをやろう、それがいつか誰かのためになるかも知れないから、っとまたの歌詞に戻ってしまった。

今日は、いう曲を聴いて、とても感動したせいなのか、校長から予算が認められて純粋にうれしいのか、前回のワークショップの参加者から次のワークショップはいつかとメールがきたからなのか興奮して眠れず、JOCV/JAMAICAのホームページの更新等をしていたら朝になってしまった。

2005年9月17日

30男はじめての小麦粉

恥を忍んで言いますと、この間初めて小麦粉を買いました。当然日本でも買ったことはなく。。。
小麦粉を使うとクリームシチューやお好み焼きが作れるのです。(周知の事実のはずですが。。)シチューなんかはシチューの元を使ってたし、お好み焼きは、お好み焼き屋さんで食べていたので小麦粉を買う理由が全く見つからず30年間過ごして来てしまいました。
それで感想は。。。


これは使える!!シチューも普通にシチューになるし、お好み焼きなんかプロじゃないのか?って思っちゃうほどうまく焼ける。天かすとか混ぜりゃさらにいいんだろうけど、ダシのもとと、エビ、ベーコンを入れるだけでかなり本物に近い味が出せるのさ、知ってた?(笑)というわけで、3日連続お好み焼きを焼いてしまった。明日は、久々に必殺のトマトソースパスタにするかな。

2005年9月 8日

昨日のデモは。。

Protest.JPG昨日は一日中家に居たのでいたって平和の気がしていたが、カウンターパートも仕事を休んだみたいで、たぶん学校は閉鎖だったんだろうな。道は木とか岩とかで封鎖されていたみたいだし、結局暴力沙汰もあったみたいだし。しかもジャマイカ労働党の党首は「またやるからな」と発表したらしい。新聞では古いやり方だという批判もあったけど、しばらくはこういうデモが続くんだろうな。

2005年8月18日

本日の紙面から(ガソリン大幅値上げ)

ガソリン代が8%値上げされる。昨日のタクシー代に続く発表だ。値上げの理由は、国際石油相場の上昇とジャマイカドル安と説明している。国内の一部地域では暴動が起こるかもしれないと言われている。


昨日のブログでも紹介したとおりジャマイカの主要産業は観光である。確かにレゲエ音楽、透き通るようなカリブ海。魅力的な国ではあるが、一方で物価が高く、犯罪が多い。特に犯罪発生率は観光業と密接な関係があり、政府も観光客を増やすため観光地の治安維持に力を入れている。しかーし、石油や輸入品は国際マーケットで値段が決められ、ジャマイカでの生活は常に国際マーケットの影響を受けてしまう。それが、生活必需品の物価上昇、貧困層の困窮、犯罪発生率上昇。まさに負のスパイラルなのである。

優秀な人材は海外に流れ、地場産業も育たない。農作物を育ててはハリケーンで破壊されてしまう。商業は外国人に支配され、収益は本国へ送金されているかもしれない。そのためか設備投資は進まず、一向に発展の兆しが見られないのである。
ただ、これだけアメリカが近く、英語を母国語としているジャマイカの潜在能力は高いはずなんだけど。現在は一部の政治家に完全にコントロールされてしまっているが、いつの日か一般市民が教養をもって立ち上がる日が来るかもしれない。教育は100年の計ですからね。ま、日本についても同じことが言えるんだけど。

ジャマイカでは何かにつけて、「なんかくれ」言われるのだが、個人としての自立がまだまだなのかなと思う(貧乏であるのは大前提ですが)。協力隊員としての自分は、一人でも多くのジャマイカ人の自立に繋がる仕事をできればいいと思うわけなのです。ボブマーリの歌にもある、
Get up, Stand up. Stand up for your right!
Get Up, Stand Up, don't give up the fight.
自信を持ってがんばれ!ジャマイカ!
(がんばれ、おれ!(笑)、自立するのは容易なことではありません。)

本日の紙面から(タクシー運賃値上げ)

新聞を詳しく追っていないものには、なんでいきなり値上げすんねん!と言いたくなる出来事。しかも実施は明後日を予定しているらしい。値上げ率は75-100%UP。って高くね?


ジャマイカはタクシー制度がまぁまぁ発達している。相乗りタクシーとチャータータクシーがあるのだが、今回の値上げは相乗りタクシーのほうだ。ただ、こういうものには便乗値上げがつきもので、意味もなく中華レストランのランチボックスが値上がりすることもあり、これを負のスパイラルと言うんだろうな。
ちなみに相乗りタクシーを乗り継いでジャマイカを1周するとしても総額5000円もあれば可能じゃないだろうか。(時間は3日くらいかかるも知れないが)

8月上旬に入って、ジャマイカドル安が顕著になってきた。2004年7月-2005年6月までは、US1ドル=60.0-60.5くらいで推移してきたが、8月に入って、61.1まで落ち込んでいる。隊員は生活費をUSドルで支給されているので、むしろドル高ジャマイカドル安は歓迎だが、現地で暮らす人たちにとっては、死活問題である。

もし、ジャマイカが輸出で外貨を獲得しているとしたらジャマイカドル安は歓迎すべきであるが、主要産業は観光なため経済の追い風にはならない。生活必需品の多くを輸入に頼っているジャマイカにとって、ジャマイカドル安は輸入品価格の上昇を意味し、給料の値上げなしにはますます生活が苦しくなるわけである。

2005年8月 7日

この家にきてから1周年

先日ガーナの同期隊員から手紙が来た。「1周年おめでとう、そしてあと1年がんばって」という内容だった。1周年と言えば、3日前に初めて泊りの来客が来た。家が山の中にあるためか、立ち寄るだけでも数人程度。泊り客を受け入れるだけの家具もないんだけど。ただ、残り1年は、いろんな人に遊びに来てもらいたいので、クイーンサイズの簡易空気ベッドを購入(3500円)。


初の泊り客Shinji君の齋藤宅拝見後の感想;
「人の家だけど掃除したい気分ですね。」
自分;
「そんなに汚いのかー(ショック)」

自分的には結構普通だと思っていたが、これは人を呼ぶレベルに達していないことを痛感する。そして早速大掃除に取り掛かったら、物凄い汚れ。くもの巣だの、虫の死骸だの、いっそのことそっとしておきたかったのだが、そうすると誰も来てくれなくなるので頑張りました。自分的にはかなりきれいになりました。(ヨシ!)

夕方ランニングに出掛けようとする。ストレッチ、腕立て、腹筋、スクワットを終えてやや汗だくになってさぁいくか。「ん、鍵がない」鍵がない。鍵がない。
おー、じーざん、ぴーす!!
ランニングはキャンセル。総力を挙げての捜索活動。3,4時間が過ぎる。家の中にはどこにもない。ひょっとして、大掃除中に捨ててしまったのか?ゴミ箱をあさる。ない、ない、ない。
おー、じーざん、ぴーす!!
道端に落としてしまったのかなぁ。とにかく鍵がないとめっちゃ不安。しかし、もう夜なので、道端には探しにいけない。半ばあきらめかけてふて寝。3日前から自分の行動を振り返る。振り返っては探し、振り返っては探す。そうすることさらに2時間後。
あ、あったー。
結局洗濯物と一緒に桶の中に紛れていました。良かった。良かった。あぁ、1周年。

2005年7月28日

電話線の話

最近家の電話が使えない。インターネットが繋がるので気づくまでに時間がかかった。いつもは、インターネットに接続できない時、まず、ルーターのランプを確認する。それから電話のトーンを聞くのだ。つまり、電話が使えればインターネットは使えると勘違いをしていた。考えてみれば、LANケーブルも中身は8本のより対線を使っていて、それぞれ違うデータを運んでいる。電話線も同様により対線になっていて音声データとインターネットのフレーム(データ)を別のケーブルが運んでいるらしい。
今日はC&Wの友達が来てくれてチェックしてもらったら、「音声データのケーブルがどこかで断線しているようだ」と言っていた。ジャマイカでは修理を依頼してから1ヶ月くらい掛かるのが常識だが、コネクションがあると2日もあれば確実に直る。やはりどこに行ってもコネだね。この友達にはいつもお世話になっているので、いつか恩返ししたい。プロパンガスが切れたというとガスの交換まで手伝ってくれた。ガスの交換は車がないときついんだよね。お世話になりっぱなしだ。

2005年7月27日

ジャマイカの先生を日本へ。

ジャマイカ人の先生を日本へ23日間派遣するプログラムがあるそうだ。せっかくなので、自分のワークショップに来てくれた先生に電話したら、是非申請したいと言っていた。アメリカとかには多分行った事があると思うけど、日本の発展ぶりを見たら超驚くんだろうなぁ。特に地下鉄はニューヨークより東京の方が発達してるし。うまく合格してくれて、派遣後の変化とか見てみたいなぁと思う。

久しぶりにラボに行くと、カウンターパートが学校に来ていた。カウンターパートには夏休みはないんだよね。3年契約ということや、給料が安いことからこの学校を良くしたいという感情は普通湧いてこないんだろうなぁ。夏休み中は、めちゃくちゃ暇そうなんだけど、基本的には、音楽を聴いて、インターネットをしているだけ。ただ、彼のコンピュータの知識はかなりあるので、侮れない。

2005年7月15日

油断。

先週ハリケーンのため1日停電の日があった。


日曜の深夜に夜食でコーンビーフにカレー粉を混ぜてから火を通して食べた(コーンビーフは開封済みのもの)。月曜の昼くらいからどうもお腹の調子が悪くなり、体がどんどんダルくなる。しかし、頭痛とは違い若干ダルい程度。体調は少し悪い程度なので、薬も服用せずほったらかしにしていたら、喉、肩の関節が猛烈に痛くなり、横になるのも辛いくらいの状態に。さすがにやばいかなと思い、同期隊員のナースに電話をして、症状を伝え、服用すべき薬を教えてもらった。

まだ、完治といえる状態まで回復していないが、最悪の状態は脱した。今回はマジでヤバかった。事前に防げた体調不良だけにかなり悔しい。おそらく、食中毒で体力を失い、その間に風邪が併発したのではと分析している。残り物はきちんと処分しないとな。

2005年5月23日

Labor Day(労働の日)

May20051122.jpg月曜日は祝日だった。日本なら労働感謝の日だが、ジャマイカは「労働をする日」なのである。そこでJOCVは、昨年のハリケーンで一番被害のあった地域にいって、椅子・机・柵の修理と、ビーチの掃除に行ってきた。朝10時から夕方4時までみっちり働き、いい汗かいた。個人的には、日曜大工のレベルを1上げれたのが嬉しかったかな。ボランティアっぽくていい活動だよな。おし、明日から自分の活動がんばってこ!

2005年4月17日

固定電話止められる。

ジャマイカではよくあることなのかもしれないが、電話の請求書が来ないので、支払いを出来ないでいた。来てないことに気づいていたので、電話したらスンカム(すぐ来るよ)と言われ、そうかぁと思い2週間が過ぎてもまだ来ない。そして。。。。


やっぱ止められた。何ですかコレは?そいで、苦情の電話をすると、請求金額が予想の2倍に。。。。。意味が全く分からず。ちょっと怒りがこみ上げてきて、なんで、請求書送らない電話会社が悪いのに、こっちが電話までして、不当な金額を請求されなきゃならんのだ!!I dont pay.(払わない)と連発。しかし、電話な上に、とりあえず、再接続はしてもらわないといけないので、いつまでも怒っていられない。詳しい内訳を聞き、とりあえず、最短の再接続方法*を実行し、苦情の電話から2時間あまりで、再接続はできた。(こんな簡単なもんなのか) しかし、腑に落ちないことはある。まず、再接続になぜか手数料が課せられること。ほんとに意味が分からない。来月さらなる苦情電話をしないといけないと思うと頭にくる。そして、ADSL2ヶ月無料のはずが、ばっちり請求されていること。直ちにクレームを入れると、詳しい事情がわかった。無料キャンペーンは1年間使った人に最後の2ヶ月無料になるそうだ。しかし、これについても、その時まで覚えておいて、請求されたら苦情の電話をいれないといかんというなんて面倒くさいシステムなんだ。さらに、最近無断で決済方法を変えられ、これまで、電話で決済できたのが、窓口に行かないと行けなくなった。本当に、街中を高額の現金を持ち歩きたくなかったので、重宝していた電話決済。勘弁してくれぇ。

*とりあえず、妥当な半額の値段で収まった。今回の一件で請求書なしでも支払いが可能なことが判明。(内訳がないので、電話会社を信頼しないといけないことがネックである。)請求書なしで支払いを終わった場合は、Teller番号というのを控える必要がある。但し、NCBという銀行で支払った場合、教えてくれないので、注意が必要である。

2005年4月 5日

カーニバル

carinival04032005.jpgカーニバルの参加費は高い。なぜなら、コスチューム、飲み物、ランチ、ディナーがセットだからである。男性の衣装は写真のとおりだが、女性のはさらに派手で目のやりどころに困る。キングストン市内を朝の10時半から夕方4時半まで、音楽に合わせて行進する。さらに、終点でサウンドシステム(野外コンサート)が夜の9時まで続くハードスケジュール。ちなみに自分は、4時半でリタイヤしました。警察や警備が多く配置され、安心して参加できる。

2005年4月 4日

カーニバル前夜祭

paintup04022005.jpgジャマイカでもカーニバルがある。世界で一番有名なのはブラジルのカーニバル、日本だと浅草かな。カリブ地域では、トリーニダド・トバコが発祥の地でジャマイカでの歴史はまだ10年余り。しかし、春休み時期に全国各地で行われ国民的行事として定着しつつある。ジャマイカ国内で最大規模を誇るキングストンのカーニバルは参加費が前夜祭とあわせて1万7千円と到底一般ジャマイカ人が参加できる値段ではないが、2年しか居ないジャマイカとミーハーな気持ちで参加してみた。
前夜祭は、サウンドシステム(野外ライブ)を中心に、夜中の3時頃にペンキの掛け合いになる。ペンキは十分に用意されていて、誰が誰だかわからなくなる。捨てても良い服で前夜祭に参加しよう。

2005年3月19日

春バテ。

いやぁ、最近パリパリ暑くなってきて、体の疲れが全然抜けず、ずーっとダルく、そして眠い。(眠いのはいつもだけど) 先週末から集中してアンケート作成、訪問とひと段落したのか、その疲れがどっときて、昨日、一昨日と帰って速攻で眠ってしまった。英語の勉強を20分~30分が毎日の日課なんだけど、それも出来ずにかなり悔しい。やっぱ慣れない気候で暮らすのは結構大変なのかなぁと思いつつも、花粉症よりマシだから、もっと頑張ろうと、仕切りなおしの金曜日でした。

2005年3月11日

モデムダウン。

つーか、壊れるの早くない?まだ、4日くらいしか使ってないのに、電源が入ったり、入らなかったり。また、ケーブル&ワイヤレスが来るまでに3,4日普通なら待たないといけないところ、最近その会社に友達ができたので、その友達デズモンドに電話。そうすると、今日には代わりのモデムを持って別の技術者が登場。モデム交換で難なくADSL復旧。いやぁ、やっぱりコネですねぇ。そして、その代わりの技術者クリスにも、コーラをご馳走し、Webデザインを教えることを約束し、あらたな強力な知人を開拓した。今週末からは、英語のプライベートレッスンを始める。人間関係が動き始めてきたなぁとちょっと嬉しくなった。人間関係はあせっちゃダメだね。

2005年3月 5日

ADSL到着

ジャマイカ、、、。2週間以内にADSLがやってくると営業の人が言っていたのにまったく連絡が来ない。催促あるのみと、今日はクレームの電話を入れようと思っていた矢先、仕事場にケーブル&ワイヤレスのお兄さんがやって来て。「日本語を教えてくれないか?」「いいよ」っていうと、いやいや、ADSLのセッティングに来たのであった。きっちり2週間。いやー、ジャマイカ、少し呆れていてゴメン。見直したよ。で、お兄さん、日本が好きらしく、頼んでもいないのに、ルーターのセッティングまでしていってくれた。自分で出来るけど、電話会社のテクニシャンのコネは今後役に立つのかなと思い、サンキューを言いまくったらご機嫌になって帰っていった。電話番号も交換したし、今度は活動の一環として、ケーブル&ワイヤレスに会社訪問に行ってみようと思った。

2005年2月26日

どうする「隣のジャマ人」?

長丁場になりそうな話し合いを持ちかけた。お金が絡む話なので、こちらも妥協するつもりはない。この話し合いを楽しみたいと考えている。
お題は、
「ADSLが来るので、接続料金をシェアしない?」
果たして、「隣のジャマ人」を説得できるのか。

「隣のジャマ人」の状況を整理しておこう。
・デスクトップPCを持っている。
・インターネットユーザである。
 +ダイアルアップ接続で電話料金プラス月2000円のプロバイダ料金を支払っている。
・スピードが100倍になることに興味を示している。

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2005年2月25日

ADSLがやってくる-その2

ケーブル&ワイアレスのADSLサービスエリア外にも関わらず、配属先だけでなく、自宅にも高速インターネットがやってくる。編集長が校長先生にはっぱをかけて誘致したからなんだけど、こんな簡単に来るものなのかとちょっと疑問を感じてきた。さらに自宅へはキャンペーン中だからと初期費用や初回2ヶ月接続料無料。どーも気になる。それで、いろいろ調べてみたら、ジャマイカのISP(プロバイダ)2社がマイアミからの海底光ファイバラインの権利を落札したらしい。ついにジャマイカにも光ファイバがやってくるのだ。おそらくC&Wはその影響で今までもったいぶっていたADSLの料金を値下げし、顧客を囲い込もうとしたわけだ。そう考えると納得である。

2005年2月24日

となりのジャマ人

夜中の10時。ノックが聞こえる。「Yeh?」と対応するととなりのジャマ人だ。今日は何かというと大学の宿題を手伝って欲しいとのこと。即答で「自分でやれば?」と言って断った。すると、今回は全部やって欲しいわけではないと、食い下がる。エクセルの関数の使い方を覚えたので自慢したいらしい。ん〜。まぁ、こっちも話があったので、久々に付き合ってやるか。

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2005年2月23日

ADSLが自宅にやって来る

ジャマイカに来て初、勧誘の電話がかかって来た。ケーブル&ワイアレスという電話会社から。ADSLにしませんかって内容。おーー。今日は本当は夜8時までの勤務のところ、早めに帰ってきてこの電話を取れた。ジャマイカに次はないからね。で、契約内容はというと、
接続料月US60ドル
初期設置費用 無料(キャンペーンのため)
初回2ヶ月接続料無料(キャンペーンのため)
ルータ US104ドル
スピード(上り/下り)128K/512K

ルータはポートが4つあって、職場のと一緒のものだ(SpeedTouch510 Thomason)日本と比べると高すぎる(注)が、ダイアルアップで、プロバイダに月2000円、電話代を7000円近く使っていたので、これまでより安くなる。これで電話代気にせずインターネットだ!!

(注)日本ではスピードがほぼ100倍(下り54M)で、価格は半額(月約3000円)

2005年2月21日

今日のジャマイカ人

お昼に食堂に本を置きっぱなしにして、隣の部屋にある職員室のパソコンの設定をしていた。ちょっとてこずって20分くらい経過。その本、普通になくなりました。って、その食堂は教職員しか使わない場所なのに。。。で、食堂のおばちゃんに聞いたら、図書室の司書が持っていったらしい。あの人はかなりまともな人だと思ってたのに。で、図書室に行くと、俺のだと知っていて持ってったぽい。確信犯。はー、こいつらマジで、日本と常識違い過ぎるぞ。どこで信用していいのか。とりあえず、金、モノ、性に関しては全く信用できないな。これでもジャマイカ人は敬虔なクリスチャン。いったいどんな教えを受けているのか。ジャマイカは、シェアの精神が浸透している。もっている人があげて当然。だから、人に何かあげても全然喜ばない。あげる人も別に見返り求めてないし。。。。2年居ても理解出来ないと思うし、それが正しいとはどうしても思えない。ジャマイカ人同士で分かり合ってくれって感じ。祈っているだけで救われたら世界はもっと平和だよと、ぼやく編集長であった。これまでが悲惨すぎて、祈るしかない状況が長く続いたのかもしれないとも思えるので、複雑だよ、実際。

2005年2月17日

メッセンジャー

最近ファイアーウォールの設定をしていて気づいたことがある。
現在メッセンジャーと言うと、ヤフー、MSN、AOLとか他にもいろいろある。MSNとヤフーしか使ったことがないので、それについて、性能の比較をしてみた。

MSN ビデオの画像よし。音声ダメ。
ヤフー ビデオの画像普通。 音声よし。

なお、テキストについては、変わらないでしょう。

技術論は続きを読んでください。

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2005年2月16日

今日の夕食

メキシコ風トマトソーススパゲッティを作ってみた。
材料 たまねぎ 1個 小トマト 4個 ベーコン 3キレ 塩・コショウ・バジル 少々 サルサ・テキーラの残り物全部
どこがメキシコ風なの?って感じだけど、単にサルサソースを使っているだけ。でもメキシコで買ったやつだもんねぇ〜。
tomato05021520000078.jpeg

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2005年2月14日

バレンタインデー

ジャマイカでもバレンタインデーはあるみたいだ。カードの交換をしたり、プレゼントの交換をしたり。恋人同士もプレゼントを交換する習慣があるようだった。以外だったのが日本と同じようにチョコレートもあげたりするらしい。ただし、女性→男性というのではなく、双方向というのが日本と異なる点だ。ちなみに、学校でハッピーバレンタインとは誰も言ってくれませんでした。別に気にしてないけど実は(涙)。。。

2005年2月13日

ビリヤード特訓

今回の旅では、あまり海に入れなかったのでもっぱら夜はビリヤードをしていた。日本にいた頃は、外国生活をしたら毎日ビリヤードするのが夢だった。学校には必ずビリヤードあるんじゃないかなと期待していたが、やはり発展途上国。ここはアメリカではありません。

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2005年2月 9日

Ash Wendesday

明日は祝日だ。そして、ジャマイカの高校はここを使って中休み。5連休です。しかし、休みは先生と生徒だけ。同僚は明日休みで、木、金と出勤らしい。んーん、やすんじゃえ。ってことで、来週からガッツで頑張ります。先週も水曜から隊員総会の関係で出勤してないんだよなぁ。ま、いっかぁ。

2005年2月 5日

キングストンでランチ

barkin05020212510067.jpeg首都キングストンは都会だ。なぜなら、バーガーキングがある(通称ばーきん)。日本人の口にはあわなかったらしく、ばーきんは日本から、3,4年前に撤退した。日本でも食べたことがあった。感想は。。。高くて別においしくない。正直モスの方が断然おいしいし、最近の日本はハンバーガーの高級志向化が進み自分も、高くてもおいしいのが好きだった。それで、ジャマイカ行く前に経由でニューヨークに寄った時、久しぶりだったので、ばーきんで食べたんだけど、ぶっちゃけマズカッタ。ジャマイカに来たって絶対食べないと思っていたのだが。。。
キングストンで友達との待ち合わせ場所がばーきんだったので、仕方なく食べた。4,5ヶ月ぶり。んーん。うまい。結構いけるねぇ。これ。味変わったのかな。と思ったが、以前すでに任期を終え、ジャマイカに遊びに来た先輩の言葉を思い出した。
「ジャマイカいるとさぁ、味覚が狂ってくるんだよね。最後の方は、ジャマイカの鶏肉は最高って思っていたけど、日本帰ってわかった。」
何がわかったんですか。
「あれは錯覚だね。」
なぬー。でもそりゃそうか。あんまうまいもん食べてないもんな。慣れって恐い。

2005年1月28日

ADSLが来るらしい↑

おぉー。マジですか?ADSL?ブロードバンドですか?3回くらい聞き直した。わーお、リアリぃ?を連発(笑)。昨年10月に校長先生にお願いしていたADSLがこの田舎リンステッドに来るらしい。C&Wという日本で言うNTTみたいなところがあるんだけど、今日ネットで確認したところでは、サービス外地域になっていた。きっと校長先生が裏で動いてくれたに違いない。ルーターとかどうすんのかな。やっぱC&WからついてくるADSLルーターなんだろうなぁ。仕方ないけど。今、ネットワークが一つだけでその下に60台くらいのクライアントがぶら下がってるんだよなぁ、WINDSも立てていないので、ブロードキャストしまくりだし。ADSL導入と同タイミングで、DNSとWINDS入れて、あとNTから2000Serverにアップグレードだな。アクティブディレクトリにしちゃおう!!インターネット安全講習会みたいなの開かないとダメだよなぁ。なんて、ちょっと興奮。ホントかなぁ?ほんとだといいなぁ。

ボブも、もう60歳

bob.jpegボブマーリと言えば、日本人でも知っている人が多いと思う。せめて名前だけでも。という自分もジャマイカ来るまであんまり知らなかったんだけど。レゲイの神様と言われ未だに慕われ続けるボブ。代表曲には「One Love」がある。みんな知ってるんじゃないだろうか。34歳という若さで他界したボブの印象はみんな写真のような若い姿じゃないだろうか。そんなボブがもし、生きていたら今年で60歳。ジャマイカ各地でボブに関する様々なコンサートが開かれると言う。平和や、ジャマイカ頑張れっ ていう歌を歌ったボブが今のジャマイカを見たらどう思うだろう。

長く、そしてまとまりのない文章が続きます。時間のある方だけ続きをどうぞ。

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2005年1月21日

ジャマイカでのSEの給料は?

最低賃金の記事を読んで、SEの給料はどうなんだろう?自分がもしこの国で働いたらどれだけもらえるのか興味が出てきた。そこで、新聞の求人広告の切抜きを始めた。始めて行くうちに、どんな能力があればどんな仕事があって、どんな経験を積めば仕事にありつけるのか、そういう視点で何かこの国の人にしてあげることができる手がかりをつかめる気がしていた。。。

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2005年1月19日

本日の紙面から

1月31日から最低賃金が20%引き上げられる法律が施行される。先日発表された物価上昇を考慮してのことだが、いろいろ問題がありそうだ。最低賃金で働いている人は、手に職がない人、主に家事手伝い(ハウスヘルパー)らしいのだが、これまでの最低賃金は週2000ドル(日本円で4000円)らしい。新聞では、最低賃金より少し多めの給料(6000円)で9人の家族を養うお母さんが紹介されていた。週6000円で9人?どうやって生活しているのだろう。。。。

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2005年1月18日

ジャマイカの経済

ジャマイカでの2004年の物価上昇率(インフレ)は12.7%だった。2003年は15%だったので悪化してはいないが、昨年から12.7%物価が上がって、賃金がすぐに12%近く上がらないと生活は圧迫されるわけだ。特に、これまでギリギリの生活をしていた人にとっては、このインフレの影響は大きい。国内物価上昇率(インフレ)は上記の通りだが、ジャマイカの貨幣価値つまり、ジャマイカドルは、米ドルに対して比較的安定していて、ジャマイカ経済としては嬉しいところだが、米ドルで生活費を支給されている協力隊員としても見逃せない指標である。

2005年1月17日

大使公邸での新年会

lob.jpg毎年1月中旬に大使公邸で在ジャマイカ日本人を招待した新年会が行われ、協力隊も招待されるので行ってきた。大使公邸料理人のおせち料理、刺身等が堪能できた。

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2005年1月 7日

今日のジャマイカ人

仕事の後、体力が余っていたので歩いてマーケットまで行くことにした。(だいたい1.5Kmくらい。)たいした距離ではないが、アップダウンがあるのでまぁまぁ運動になる。途中一人の生徒にあった。鍵持ってくるのを忘れたらしく暇らしい。一緒に来たそうだったのでマーケットまで一緒に行った。さすがに長年住んでいるだけあっていろいろ知っている。ベジタリアンレストランやDVDレンタル屋まであった。5ヶ月間俺は何を見ていたんだ。。。そういえば、開拓スピリットに欠けていたなぁ。この生徒は、赴任して一番最初に話をした生徒で、日本から持ってきたペンが欲しいと執拗に迫られた記憶があったがここは学校ではないので、少しくらいおごってあげてもいいかなぁくらいの覚悟はしていたが、結局最後まで何もねだってこなかったのが、印象的だった。学校の外でゆっくりと生徒と話す機会は初めてだったので、プライベートなこととか日頃疑問に感じたことをいろいろ聞いてみた。うすうす気づいてはいたが、ジャマイカ人は両親と暮らしている子供が少ない。この生徒の場合も同様で、父親は早くに他界して、母親には会った事がなく、叔父と住んでるらしい。日本で考えたらかなり悲しい家庭環境だ。少し生意気なジャマイカ人高校生もいろいろ背負って生きてるんだなぁと思うと、少し許してあげられる気がしてきた。

2004年12月21日

キングストンの国際空港

正直不安だった。朝8時の出発だったので、2時間前には空港に着いていなくてはならない。午前6時に空港に居るためには、5時半にはキングストンにある、隊員寮(ドミ)を出発しなければならない。前日にタクシーを依頼したのだが、時間通りタクシーは来てくれるのだろうか。ジャマイカン・タイムで動くジャマイカ人タクシードライバーが朝そこに居なくてもなんら不自然ではないからだ。ドキドキしながら、午前5時半にドミの前に出るとなんと、すでにタクシーが来ていた。これには、驚いた。ジャマイカ人もなかなか捨てたもんじゃない。タクシードライバーは、暗闇の中、特に急いでもいないのに、狭い道の住宅地を意味もなく、恐ろしいスピードで駆け抜け、20分弱で空港に到着した。
キングストンにある国際空港は、旅行者しか建物に入ることができない。つまり、出発の見送りをしたくても、見送りの人は建物の入り口で手を振らなければならないのだ。ホントにこれで国際空港?と首を傾げたくなる。何も食べていなかったのでお腹がすいた。でも、ここはジャマイカ、かつ朝6時、きっとお店は開いてないだろうなぁっと思ったら、意外にもカフェやお土産ショップは開いていた。空港の中はさすがに、ジャマイカの雰囲気は無く、都会だった。久々にカフェでコーヒーを飲みながら新聞を読んだ。幸先の良いスタートだ。

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2004年12月16日

クラブ開拓中

伊達さんとの懇親会の後、速攻で眠った。眠かったから。2時間ほどした、深夜12時頃、先輩から「行くぞ」と声が掛かった。「行きます」と返事した。Tシャツ・ジーンズに着替えた。「それじゃ、ダメだ」『え、何が』と思ったが、『ははーん、ドレスコードね』「OK」ジャマイカにもドレスコートがあるようだ。ジーンズ、TシャツはNG。男性は、襟付きシャツで、革靴(レザースニーカーも可)、女性も、スニーカー、ジーンズはNG。今回は、ニューキングストンにある、「QUAD」というところに行った。1階はJAZZレストランで食事ができ、地下1階はGOGOBAR、2階は、HIPHOP系の音楽が流れ、一番人が集まる。3階は幅広い曲が流れるが、古めの曲が多く、年齢層も高め。気になる安全面だが、クラブ内は数多くのスタッフと、入り口でのボディチェックや、セキュリティガードが居るので、かなり安全で危ない人はほとんど居ない。日本のクラブより変な人が居ない感じだ。入場料は1200円とジャマイカの物価から考えれば高いが、日本に比べれば相当安い。朝まで踊って、クラブを出た時の”あの”気だるい感じは久々だった。日本にいるSZ野ちゃんは元気だろうか。よくクラブ後にランプ亭の牛丼を食べに行ったもんだ。

2004年12月 9日

ジャマイカ第3の都市

children.jpgジャマイカ第3の都市マンデビルに行ってきた。マンデビルは高地にあり、ジャマイカで一番寒い地方にあり、夏は避暑地となっている。12月のマンデビルの夜はかなり冷え込み長袖長ズボンじゃないと寒い。

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2004年12月 7日

今日のジャマイカ人

前々任者は、すごい人物だったようだ。まぁ、ジャマイカの本を書いちゃってるくらいだからなぁ。彼の本に、「怒らずに笑って対処すれば、いろいろうまくいく」って書いてあったので、とりあえず、挨拶の時くらいは笑顔でしようとなんとなく心掛けているんだけど、今日食堂のオバちゃんが、「「チン」*って呼んで悪かった。気分が悪いんだったら、呼び方を変えるよ」っていうので、名前を言ったら「そんなの覚えられない」って、まぁ、分かるけどさ、『頑張ろうよ。そんな長い名前じゃないし』と心の中でつぶやき、結局「日本人」で落ち着いた。「チン」よりマシか。それで、ちょっと気分が良かったので、オバちゃんがケッチャプのビンを一生懸命開けようとしていたので、「貸して」っと言って、フルパワーで開けようとしてあげた。『ぬーーーー』なんつー硬いフタだ。。手を真っ赤にして、なんとか開けて、「Here you go!」っと渡すと、オバちゃんは「サンキュー」っと言って、その後に「Actually, I have just closed」(実は今閉めたとこなんだよね)って。。。『はやく、言ってよ』つーか、なんつー怪力。そんなに強く閉めなくても。。。。

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2004年12月 4日

午後4時のスーパーは

今日は、ネット上で飲み会をするという理由(それが許されるのも結構驚きだが。。)で仕事を30分早く切り上げて、スーパーへ歩いて向かった。こんな早い時間(午後4時)にスーパーへ行くのは初めてで、人も少ないし、快適、しかも手に入らないと思っていた、レタスやトマトそれにチンゲン菜に似た野菜が売っている。なんだぁ、買えるんじゃん。今までスーパーで売ってないと思ってたので、トマトは路上で買ってたんだけど、やっぱスーパーの方が全然安い。ボラれてたのかぁ。まぁ、夕方6時はどのみちスーパーでは売切れているので、選択肢はないんだけどね。仕事を早く切り上げろってことか。今度はそれを理由に早退してみようかな。

2004年12月 3日

今日のジャマイカ人

放課後は、インターネットを開放している。とは言っても3台だけなんだけどね。よく来るというか、毎日来ているよく言えばぽっちゃり系の11年生(高校2年生)が、いつもどおり、インターネットをしにやって来た。「先生、メールを使ってみたいんだけど。。」というので、「じゃあ、ホットメールでアカウント作れば?」って言って、仕事をしていると、遠くで「じ〜ざ〜ん」って声がしてすぐに、「さー(先生)」っと呼ぶ。つーか、『お前が来いよなぁ』っと思いつつ、見に行くと、アカウント情報の入力の仕方が良くわからないみたいだ。『つーか、あんたの方が英語できるんだから、ちゃんと読めよなぁっ』て心の中でつぶやいて、英語を良く読んで見ると、やっぱり単純ミスじゃーん。でも、実際ちょっとわかりにくいんだけどね。それで、仕事に戻ると、また、遠くで「じーざーーーんっ」って声がする。『その「じーざーん」ってなんなのよ』と思っていると案の定また、「さー」って『はいはい』って感じで、見に行くと、メアドがすでに誰かによって取得されていてエラーがでているみたい。「ちがう、普通じゃないのにしたら」って言って仕事に戻る。そしたら、2分後に「ジィ ザーン!!」って、知ってたけど。『ジィ ザーン!!』って妙に頭に残るんだよね。今度は何よ。「さー、また、メアドが登録できない」って「じゃあ、もっと長いのとか、ユニークなのにしたらぁ」ってそのメアドを見てみると「セクシーケニーシャ」(ケニーシャがその子の名前)。。。セクシーって。。セクシーケニーシャですでに誰かに登録されていたことが相当「じーざーんっ」だったらしく、『一生やってればぁ』っと思いながら、「勝手にして」と伝えて仕事に戻った。その後、少なくても三回は「じーざん」と聞いた。「ジーザス」って言えよな(笑)。

2004年11月22日

ジャマイカン・リゾート

poolside.jpgジャマイカのリゾートにはオールインクルーシブというシステムがある。全部込みという意味だが、何が全部込みかというと、食事、飲み物(もちろんお酒も)、ダイビング、水上スキー、乗馬、ゴルフ、マッサージ等のアクティビティが全て宿泊料に含まれている。レストランもフレンチ、イタリアン等。プールサイドには、カクテルバーがあり、そこでのドリンクも当然込み。館内は財布を持ち歩かなくていいのだ。そしてその気になるお値段は。一人US260〜400ドル(日本円で2万7千〜4万2千円)。た、高い。ただ、ジャマイカ在住者向けの料金もあり、私、編集長も半額くらいの料金で利用できます。

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2004年10月19日

リオ・グランデでラフティング

rioGrande.jpg
ポートアントニオにあるリオグランデ川のいかだ下りは特別だった。
日没時と満月の夜が最高の時間で、今回は、日没時にトライしてみた。全部で2時間のこのコースは、1000JMDで日本円にすると2千円。時間に余裕がある人は、必ず試して欲しいアクティビティである。
特に、帰路の一秒ごとにその景色を変える夕暮れのリオグランデは、あ〜、ジャマイカに派遣されて良かった〜って思わせてくれる最高の瞬間だった。

2004年10月16日

Hero's Day

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ヒーローズデイは、国民の祝日だ。奴隷解放や黒人の人権に活動した英雄を称える日である。それで、学校では、学校祭のような盛り上がりで、授業はなく、午前中はマーチでキャンパスと市街地を回る。午後は、演奏部をバックにカラオケ大会。午前中のマーチも物凄いテンションで行進しまくりだ。午後のカラオケ大会も見ていて恥ずかしくなるくらいのオーバーアクション。お酒なしでのこの盛り上がりかたは半端じゃなく、見ていて超楽しい。学校隊員でよかったなぁと思う一日でした。

2004年10月 7日

となりのジャマイカ人

となりに住んでいるジャマイカ人はハリケーンの時にお世話になった。生活用水を使い切ってしまって困っていた時に、時間をかけてバケツいっぱいためた雨水を惜しみもなくくれた。その後、声が大きいので聞こえたのだが、速攻で奥さんに怒られていた。ドンマイ。
で、最近彼のPCが不調らしく、おとといはなんと朝の6時30分にドアをどんどんと叩かれて、「PCがおかしいのだけど。。。」つーか、あんた、今何時だと思ってんのというのを堪え、眠気眼でPC修理。結局パーツが壊れていたので、買い替えが必要だと伝えた。翌日速攻で、買い換えたらしく、今度は、ドライバーのインストールがうまくいかないという。また、彼の家にいって、修理か。問題は、彼の家は半端なく、アリと蚊がいるので、長居したくない。だが、問題は複雑で、最終的な解決に3時間を要した。その間、アリと蚊にかじられたり、刺されたり、悲惨な時間を過ごしている間、彼は後ろで爆睡していた。コラ!!

2004年9月24日

コーヒー好きにはたまらない。

ついにブルーマウンテン的生活に突入することができました。(*) ブルーマウンテン。。。それは薫り高く、味わい深い至高のコーヒー、キングオブ・コーヒーなのです。ブルーマウンテンとはジャマイカにある山の名前なんですが、そこにコーヒー農場があり、そこで生産されるコーヒーをブルーマウンテンと呼ぶそうです。そう、ジャマイカにはブルーマウンテンがあるのです。ジャマイカ人はコーヒーを飲まずにソーダばかり飲んでいるため、コーヒー自体は観光客または、外国人向けに販売されているため高めですが、それでも下記写真のブルーマウンテンコーヒー227g、520ドルで日本円で1,000円くらいなのです。値段はどうであれ、とにかくおいしい。コーヒーをそんなに好きでない人ですらこの味の違いはわかります。途上国での生活の中で、ブルーマウンテンを味わうひと時は幸せを感じぜずにはいられない。(**)
*ただし、都会にしか売っていない。(涙)
**ちょっと贅沢だけど、ファーストドリップは格別。(涙)
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2004年9月21日

ローカルプライスは存在した

長期滞在する場合、大使館に届出をします。大使館は、その届出に基づき、ジャマイカ外務省に申請者の身分証明書の発行を依頼します。それがいわゆるレジデンスカード*なんですが、この威力は半端じゃありません。観光本に載っているホテル等の金額は全て外国人向けだったのです。下記写真のホテルはかなりいい感じのレストランとバーを持ち、さらにプールつきで、キングストンの閑静な住宅街にあります。観光本によるとUS80ドルとありましたが、レジデンスカード提示すると、US40ドルで宿泊できました。ジャマイカへ遊びに行くときは是非一報を!!
*身元証明はジャマイカ外務省が行う。取得まで申請から約1ヶ月かかります。(書類が完璧ならば)
P9190003.JPGHOTEL FOUR SEASONS

2004年9月17日

蛍の光で勉強中!

ハリケーン中の家の中は本当に暗い。昼でも強風のため、窓(注1)を閉めているため、けっして明るくない。おまけに、ロウソクを買いそびれ、暗黒の数日間を過ごすのかと思うとぞっとした。そんな中、ブルーマウンテンを登るとき用に持ってきたヘッドライトを思い出した。単4電池3本で24時間以上持つ上、ロウソクより明るく、本を読むには最適だ。
ただ、暗闇だから眠いのか、本を読んだから眠いのかよく解らないまま、ハリケーンはジャマイカを通り過ぎて行ったのであった。
(注1)窓はガラスではなく、木製で締め切ると外からの光は入ってこない。

暗闇の中勉強に励む
P9120013.JPG撮影:編集長(セルフタイマー)(笑)

2004年8月 6日

ポートロイヤル

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ポートロイヤルはかつて世界で一番裕福でそして、残虐な港町として知られています。その頃はパイレーツと呼ばれるカリブの海賊達(パイレーツ・オブ・カリビアン)によって支配されていました。ジャマイカはコロンブスによって発見されたたため(すでにアラワクと呼ばれる先住民族は存在していましたが、スペイン人によって絶滅されています。)、スペイン領でした。ポートロイヤルは、このカリブ海を制するには重要なポイントで、なぜならばキングストン湾は世界で5番目に大きい自然湾で海底が深く船が入港しやすかったからです。よって「ポートロイヤルを制するものはカリブを制する」っと編集長は勝手に想像しました。スペインをよしと思わないイギリスは海賊を利用してポートロイヤルを制そうとするでした...っとこのことはジャマイカの過去の奴隷制度を理解するうえでも重要ですので、また機会をみて紹介します。
写真の建物は傾いていますが、過去に2回大きな地震がこの町を襲いそのせいで傾いてしまった家です。当時は海賊が町で好き勝手に生きていたので、バチがあたったんだという言い伝えもあるそうです。

2004年8月 5日

キングストン市内のバスは

ジャマイカでバスに乗ろうと思うと少し困ることがあります。それは、乗ろうとしているバスがいつ来て、どこに行くのか、それを知る手段が人に聞くしか方法がないからです。まったくないわけではありませんが、ほとんどタイムテーブルというものがありません。30分ごと、あるいは20分ごとにきてくれそうな感じです。
慣れるまでは、バスに乗るのもちょっとした冒険です。しかし、どのバスも郊外にでるか、市内(ダウンタウン)に向かうものが多いので、逆方向に乗ってしまうとちょっぴりスリリングです。
それで、キングストン市内はタクシーが発達しています。相乗りタクシーです。同じ目的地へ向かう人同士が乗りあいます。道を歩いているとジャマイカ人がダウンタウンとか、コンスタントスプリングとか地名を言って大声で客引きしています。バスよりは若干高いですが、待たなくて良い分快適です。ただ、お金は小銭を用意しておかないと、つり銭がない等を理由にちょっぴり儲けようとするドライバーが多いので注意が必要かもしれません。

2004年7月24日

ボブ・マーリー

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滞在1週間目にして、ついにボブ像にたどり着きました。町の中心になく、ちょっと行きづらいところにあるので、超感動です。ボブ・マーリーはレゲイの草分け的存在で、そのドレッド・ヘアーとラスタといわれる風貌、そして、時代に訴えかけるメッセージ性の強い詩で今でもジャマイカ人の中に強く生きていますが、最近の若者はボブをわかってないと嘆く大人も多いようです。

2004年7月21日

ジャマイカのホームステイは。

ジャマイカでホームステイを始めました。JICAが事前にインタビューをしただけあって全員良い家庭にあたったようです。それがリアルジャマイカンファミリーかと言われると決してそうではありませんが。ここ都会のキングストンの比較的裕福な家にホームステイしました。ホストファザーもマザーもきれいな英語を話し、レゲエも聴きません。キリスト教でとても穏やかです。そして、日本人を尊敬していて、僕が英語がイマイチ聞き取れなくてボーっとしていると、マザーがゆっくり話してくれるのだけれども、ファザーは同じことを何度もゆっくり聞くなと、日本人は賢いんだからとマザーに言い聞かせるシーンが何度かあった。英語は重要だよ。今度来る日本人のためにも尊敬される正しい日本を紹介できるといいなぁ。

2004年7月20日

ジャマイカの銀行は

銀行の口座を開設しました。JICAからの公式文書があったので比較的簡単な手続きでした。今日開設したのは、外貨預金口座と現地通貨口座で外貨預金通貨は電子送金でなければ現地通貨にすることができず、キャッシュでの取引はできないようです。(私の英語力が正しければ...)
現地通貨口座開設時にATMカード(キャッシュカード)も作ることができて、非常に便利です。驚くことに24時間ATMが首都キングストンには結構あります。また、ちゃんとしたATMは個室になっていて、カードを通さないと入れないし、内側から鍵をかけることが出来るので安心です。

2004年7月19日

ジャマイカ上陸

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ジャマイカ空港にて。(Air Jamaican)
ジャマイカに来るには、いろいろなルートがありますが、マイアミ経由、ニューヨーク経由が一般的です。現在、米国は経由地でも入国審査を受けなければならず、荷物もいったん引き上げなくてはなりません。セキュリティのチェックも厳しく、手荷物に爪切り等があればその場で処分されてしまいます。
米国からジャマイカへの出国で驚いたのが、異常なほどに荷物の多いジャマイカ人が多いことです。ホントにすごくて、タイヤをダンボールに入れて預け荷物にしている人もいました。注意点はノートパソコンを持ち込むには別途セキュリティチェックをうけなければなりません。それ以外は特に問題なく出国できます。