After wind's blowing, basinsmiths get moneyと書けば映画のタイトルかなと思うが、なんてことはない風が吹けば桶屋が儲かるという日本のことわざの英訳である。今回は、学校と社会における知識の違いについて考えたい。
村上春樹の小説の中で主人公は、
「学校で教わったことは、学校で重要なことは何一つ学べないことだ」
と語った。そうかもしれないし、そうでないかも知れない。ともかく、答えを知っている先生から、なぞ掛けされるのが、子供にはつまらないのかもしれない。逆に誰も答えを知らないような「なぞ」に対しては、誰もが好奇心をもってその答えを探求し、それが自分を満たし、自分の存在感を確認するのかもしれない。人は、自分を知らない地へ旅行したり、新しい領域へ冒険し、夢を見るのもその延長と結びつけるのは飛躍しすぎだろうか。
学校で誤った情報を記載した教科書を用いたらニュースになるが、社会ではそのような情報のほうがむしろ当たり前である。現代社会では、あらゆる情報が飛び交う。それらの情報をひつづつ精査して、その因果関係を知ることが社会における知識あるいは経験とも言えるだろうか。
村上春樹の小説の主人公は、生き残るために社会の因果関係を知る必要があったのかも知れない。まぁ、生き残りのために必要かどうかはわからないが、誰も答えが知らないかも知れないというなぞなぞに挑戦することは、きっと楽しいことなんだと思う。