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  毎日にもっと楽~を! BLOG Tokyo

2008年9月29日

シルクロードをゆく 27(最終回) - 兵馬俑(へいばよう)

シルクロード旅行記も27回目にして最終回を迎えました。1週間の旅行を思い出しながら、約3ヶ月に渡って書くというのもなかなか面白く、今後の旅行の参考になったかなぁという感想です。今思い返しても、シルクロードに行ったんだなぁと他人事のようにすら思えています。人の脳は不思議だ。

兵馬俑は、世界遺産の中でも有名と思います。西安市内からも路線バスが走っていて行きやすく、ふらっと観光できます。シルクロードの帰国前日だったので、疲れもピークで、とりあえず行った、写真を撮った、という感じです。

兵馬俑は、秦の始皇帝のお墓の一部で、兵士の石像は等身大で、その数の多さに圧倒されます。また、顔や服装が一体づつ違う手の込みよう。当時の始皇帝の絶対権力がうかがえます。


兵馬俑(へいばよう)は、本来は古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったものを指す。現在では、秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納されたもののみをさすことが多い。ここでは、世界的に著名な始皇帝のそれについて記す。秦の始皇帝陵の一部として1987年、世界遺産(文化遺産)に登録されている。

発掘された兵馬俑

史記や漢書など数々の歴史書には秦の始皇帝陵の存在は記されていたが、数々の動乱などにより所在地や存在そのものが忘れ去られていた。漢書には秦の始皇帝陵は項羽によって破壊されたと記されている。

始皇帝の兵馬俑が発掘されて、世界を驚かせたのは1974年のことであるが、この地域の住民の話を総合すると、以前から水を枯らす化け物等として、その存在は薄々知られていたようである。

発掘と調査

この大文物群が発掘され調査が行われると、人々を驚かせるような事実が次々に明らかとなった。

例えば、これらの兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはないことや、秦の軍隊がさまざまな民族の混成部隊であったこと及びかつての秦の敵国が存在した東方を向いて置かれていたこと等である。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

館内を動画で撮影しました。



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